日本を大きな概念として一言で表すとしたら、80年代であれば「品質」「精密さ」「出来栄え」などが即座に挙げられたであろう。こうした言葉で定義される日本は、機能的、合理的で、明白なブランドである。すなわち、心の通わない、無表情で機械的な経済大国だ。
30年以上が経った今、世界は日本を全く違った観点から見ている。経済大国としてよりも、文化的な存在として称賛している。日本は、ブランドを再定義する復興期を迎えているのである。
2020年のオリンピックを間近に控え、世界は今までとは違う日本を捉えている。より人間的、感情豊かで生き生きとした日本。グルメ、アート、デザイン、ファッション、映画、音楽、建築など、ありとあらゆるところに日本の文化的なエネルギーを感じることが出来る。これを現代の、モダンな、あるいは「クールな」日本と称するのはあまりに短絡的であろう。クリエイティブ・ジャパン、である。日本の創造性が世界中のクリエーターにインスピレーションを与えている。クリエイティブ・ジャパンはエネルギーであり、ムーブメントであり、目が離せない存在となっている。
その証左を見出すのは難しくない。日本の高級料理はフランス料理を凌駕し、予約が最も取りにくくなっている。その一方で、ラーメン、お好み焼き、たこ焼き、焼きそばなどの庶民的な食べ物の写真がインスタグラムに絶え間なく投稿され、本格的なグルメファンの間でも熱狂的に支持されている。
ルイヴィトンは昨シーズンを通して草間彌生一色となり、世界のファッション通はほうじ茶ラテを飲み、日本発のアンダーカバーに押し寄せたり、メゾンキツネのテイストに浸っている。
この文化的現象の背景には計算された戦略があるかのようだが、実態はそうではない。日本の創造性はあらゆる分野のプロ、通、影響力のある人々の支持を自然に集めている。ミシュランの星を獲得したシェフたちは日本食の手法、食材、芸術性を称賛している。アレキサンダー・マックイーンは川久保玲のコムデギャルソンのファンであったし、ヴェニス・ビーチでは日本の粋なデニムブランド、オクラに夢中だ。このように日本の創造性は最高峰の芸術家たちの関心と支持を集め、日本ブランドは進化し続けている。
これを一時的な流行と見ることもできるが、クリエイティブ・ジャパンをトレンドとして位置付けては誤解を招く。見出されたのは最近かもしれないが、日本の創造性は決して新しくはない。今という時代に限ったことでも、若者に限ったことでもなく、その普遍的な魅力は時を超え、国境を超える。
日本の創造性が世界中のクリエーターと共鳴するのは、表現のための表現ではない、「在り方」としての本質と美があるからだ。
日本の創造性には、熟練した技能という芯が通っており、それは決して小手先の工夫ではない。
日本の創造性を表す最良の例えは、旅であろう。古きと新しきが出会う、日本の心と魂への旅。そこには対立はなく、調和がある。常に先人から受け継いだ伝統に根ざしつつ、イノベーションに刺激され、慣習を破ることを恐れず創意工夫を続ける。純粋でありながら表現に富み、色彩豊か。時代を遡ることも、時代の先を行くことも出来る。日本の創造性は創り手一人ひとりの声であり、力である。
これを念頭に置いて考えるに、日本の主要ブランドや業界のリーダーたちが状況を十分に生かしきれていないように思える。この文化的な現象の持つ意味合いや関連性を重要視していないのだろうか?それとも、彼らは現実の生活者の現状をしっかりと捉えられていないのだろうか?
主要ブランドは、日本文化の置かれている状況がニッチで特異なサブカルチャー限定との誤った解釈に陥らないよう、今の状況を生かしていくべきだ。
今こそ主要ブランドが居心地の良い場所から一歩踏み出すときではないだろうか。数字や技術、イノベーションの後ろに真のアイデンティティを隠し、USPでブランドを打ち出す時代は終わった。世界は前に進んでいるのであり、日本への期待値は高い。日本を象徴するブランドやプロダクトに対する期待も大きい。世界が待望するのは、機能的なプロダクトの背景にあるストーリーだ。創り手の声、そして魂。日本のブランドはその独自の視点を打ち出すときを迎えている。なぜ、どのように着想を得たのか、その存在意義は、世界における意味合いは何なのか。
クリエイティブ・ジャパン。日本の創造性は、主要ブランドがその真の姿を世界に発信する究極の機会をもたらしている。
中尾文美
株式会社博報堂
執行役員