ゲーム室、無料の食事、マッサージ室、仮眠用マシン、さらには社員の個人的な用事を相談できるコンシェルジュサービス――。有能な人材を引き寄せるために、企業は実に多様な社員待遇を充実させているようだ。
企業評価サイトを運営するグラスドア社が2017年に行った調査では、求職者の57%がこれらの制度を検討材料の一つと考えていることが明らかになった。より多くの企業が手当や待遇に注力するのも当然といえる。
グーグルのもたらした影響
そこにはグーグルが大きく影響していると考えられる。このテクノロジー大手の社員待遇は、シェフによる無料の食事、食べ放題の軽食、職場でのマッサージ、ヨガ教室、そして無料の散髪などと充実している。そしてこれらが独特な職場のカルチャーを形作っており、世界で最も魅力ある雇用主としての地位をこれまで何度も獲得してきた。そして社員のモチベーションが高まることを期待するスタートアップ、メディア、テクノロジー企業が、同じ戦略でこれに追随している。
しかし、斬新な職場や特別な待遇は、社員を幸福にするために企業が努力していることの証なのか。あるいは、企業には何か別の意図があるのだろうか。
グーグルのアジアパシフィック本部は一昨年、シンガポールのメープルツリー・ビジネス・シティⅡの広いオフィスに移転。1000人が働ける新オフィスには、名高いシリコンバレーの本社に匹敵する社員待遇を採り入れた。朝食と昼食が毎日無料で供され、ジムは週末も含めて無料で24時間利用できる。さらにはリラクゼーション室、ゲーム室、マッサージ室、屋上庭園まで完備しているのだ。
グーグルは、それだけのコストをかける価値があることを理解している。同社でアジアパシフィック地域の施設を担当するディレクター、パトリック・カレン氏は「我が社のエンジニアはデータ、新しいことへの挑戦意欲、独創的な考えに基づいて、コンピューターサイエンスに取り組んでいます。私たちも同様に、職場の改善に一生懸命取り組んでいるのです」と説明する。
「社員への投資は、我々の事業上の関心事であるイノベーションの促進と人材の維持・確保につながっています。気持ちよく働く社員は生産性も高く、グーグルで長く働いてくれる傾向があるのです」
社員が求めるもの
PR会社「ゴリン」の香港支社でマネージングディレクターを務めるジェーン・モーガン氏は、職場環境を正しく整備することは生産性向上に効果があると話す。「マーケティングコミュニケーションは創造的な世界です。一歩引いて考えることができ、インスピレーションが得られる仕事場が必要なのです」
モーガン氏が率いるチームは一昨年、社員の要求に応えて香港のオフィスを作り変え、テーブルサッカーゲームや、新しいテレビとXboxを供えたゲーム室を新たに設置した。「社員にとって不快な職場ではなく、快適で楽しい環境へと変えていくことが重要だと思います」
柔軟な働き方を求めるミレニアル世代の要請に応え、同社はさらに踏み込んで「ゴリン・ライフタイム」という制度を発足させた。この制度はオフィス以外での勤務、月当たり580香港ドル(約8400円)の福利手当、さらには全社員が休暇を無制限に取得できるというものだ。
過剰労働の実態を調べるためCampaignがオンラインで実施した地域調査では、各社の社員待遇トップ3について質問した。以下は518社から得られた回答の結果である。
1.柔軟な勤務時間
2.在宅勤務
3.協働のためのスペース
4.おいしいコーヒー
5.その他
6.社員食堂
7.ジム
8.バー
9.テレビゲーム
10.ビリヤード台
11.テーブルサッカーゲーム
「毎年の休暇日数を自由に決められるというのは、今までの制度から比べると大きな進歩です。顧客に迷惑をかけないことを前提とした仕組みだと十分理解し、チームとしてしっかり結果を出し、この制度による悪影響を出さないことが重要です。社外の友人たちで、当社のように年次休暇を無制限に得られる人はいないため、この制度はいつも話題の的になっています」とゴリン香港のデジタルマネージャー、エリン・フン氏は話す。
「柔軟性のある待遇を用意することが重要だと考えています」とモーガン氏。「ここ香港、そしてアジア地区の我が社の社員は、典型的な若年層です。ワーク・ライフ・バランスへの考え方は変化しており、仕事と生活の時間を自分たちが望む最適な形で調整できる自由を、彼らは評価します。優れた成果を時間通りに顧客に提供できている限り、関係者全員が満足できるのです」
人事コンサルティング企業「エーオンヒューイット サウス・イースト・アジア」のパートナー、クマール・サブラマニアン氏は、若い社員たちを引き付けることが目的でこのような社員待遇が急増していると考えている。「我々の見るところ、ミレニアル世代は給与や賞与だけでなく、あらゆる待遇も同様に重視しています。ミレニアル世代の社員の割合が高まるにつれ、企業も彼らにアピールするべく、報酬や待遇をトータルなパッケージとして強化しているのです」
柔軟な将来
ミレニアル世代は仕事と生活を別々のものではなく、融合したものと考えていることが、エーオンヒューイットの調査で明らかとなった。「彼らは仕事を、例えば9時から18時までの決まった時間内で行うものとは考えない傾向があります。彼らにとっては朝起きてから夜寝るまでのすべてが、生活と仕事の時間なのです」とサブラマニアン氏は説明する。
人事コンサルティング会社「マーサー」のアジア・リージョナル・ヘルス・コンサルティングでアソシエートディレクターを務めるフェリシア・ヨン氏は、柔軟な働き方が求められるようになった理由の一つにグローバリゼーションがあると考えている。「グローバリゼーションとテクノロジーによって世界はますます小さくなり、いつどのように働きたいか、何に重きを置いているのかといった、社員の価値基準を形作っています。数年後の職場の変化をどう予測するかとアジア地域の社員に質問したところ、勤務の時間と場所の柔軟性をさらに重視しているだろうという回答でした」
中には、柔軟な働き方のためには賃金の一部を犠牲にすることを喜んで受け入れる社員もいるようだ。
「我々はグーグルやフェイスブックと、社員待遇制度のトータルパッケージを作る仕事を多く行っています。彼らは自分たちの社員に、どのような制度を望んでいるのかと問いかけていますね」とサブラマニアン氏。
「一例を挙げれば、1ドルの賃金を受け取るか、1ドルに相当する時間を好きなときに休暇として得るかを選択できるという仕組みがあります。個々の社員が自分にとって最も有意義な、報酬のパッケージを作ることが可能になるのです」
通常このような制度は、雇用者と社員の双方に利点があり、真に価値のある試みだと両者から理解されている。
オフィスの罠か
コーン・フェリー・ヘイグループのディレクターで、従業員エンゲージメントの専門家のスティーブン・チュー博士によると、企業側が社員に提供していると主張する待遇と、社員が得ているものとの間に食い違いが生じている企業があるという。社内施設に投資して待遇を充実させた結果、社員にとって居心地が多少良くなっただけで、職場にいる時間が長くなり長時間勤務につながるケースがあるというのだ。
「このような企業が提供するのが、従業員の望む場所で勤務できるという柔軟性ではなく、無料の食事やリラックスできる場所であるため、結果的に社員が職場に長時間留まることを奨励する結果になっているのは興味深いところです」とチュー氏。
実際にこれらの社員待遇は、過剰労働を促進するものとして批判の対象となっている。グーグルも例外ではない。
「充実した待遇により、社員がオフィスで長時間働く結果にはなっても、必ずしも生産性の向上には貢献していないと語るグーグルの元社員もいます。決められた時間内に仕事を終えるために一生懸命働く社員の姿とは、全く反対のものです」とチュー氏は語る。
これらの待遇は、能力のある人材を呼び寄せるための強力なツールとなるかもしれないが、同様に彼らをつなぎとめる手段としても有効なのだろうか。
「基本的には人材を引き寄せるためのブランディングの一つとして、企業は実践しているのだと私は考えています」とチュー氏。「すなわち表面的な飾り、あるいは何か問題を覆い隠す小手先の対策なのです。本当の意味で重要なことは企業文化について考えること。もし入社後に、その企業が官僚的な組織だということを知ったとしたら、オフィス内にすべり台が設置されていたとしてもそれは何の役にも立ちません」
では、従来とは違った社員待遇で、社員にとって長期的に価値が持続するものは存在するのだろうか。
「社員が求めているのはビーズクッションや卓球台、デスク上のリンゴなどではありません。彼らにとって価値があるものを求めているのです」と語るのは、英帝国三等勲爵士(CBE)で『アジアにおけるワーク・ライフ・バランス』(未邦訳)の著者であるサー・キャリー・L・クーパー教授だ。「マネジメント層が社員に相談せずに決めた待遇は表面的なものになりがちで、効果はあまり期待できません。社員が求めているもののみが、本当に機能するのです。例えば、柔軟な勤務体制、医療費の支給、社員持ち株制度、あるいは無制限に取得できる休暇などがそれに当たるでしょう」
社員待遇は企業文化全体に照らして検討されるべきだというのがヨン氏の意見だ。「最終的には雇用主との関係構築といえるでしょう。雇用主が協力的で、社員の成長を支える企業文化と職場環境があると、社員が感じられるか否かなのです。一つの制度だけで、人生を変えることができるわけではないので、雇用主は全体的に考える必要があるのです」
最大の成功を収めるために必要なのは、従業員エンゲージメントへの長期的なコミットメントだとチュー氏は確信している。「興味を引くような対偶を用意すればすべてが収まると考えるのは、あまりに近視眼的です。入社した有能な人材を会社に引きとめるために、企業がやるべきことは数多くあるのです」
(文:マシュー・キーガン 翻訳:岡田藤郎 編集:田崎亮子)