ダイソンの(電気)自動車市場への参入は、自動車産業の1つの時代の終わりを意味する。ヘンリー・フォードによって馬車の時代が終焉を告げてから、ついぞなかった大変革とも言えよう。
前世代的な自動車業界は、同社の発表によって大刷新を迎えることとなった。業界での地位を維持しようと模索する既存の自動車メーカーに対し、新しい競争ルールが提示されたのだ。
既に自動車業界は、自ら招いた苦境に喘いでいる。この数十年の技術・素材革新は目覚ましく、消費者からの信頼は低下し、かつては先進性を誇った業界は壊滅寸前の状態だ。
肥大化した自動車産業の“犠牲者”とも言える既存のメーカーは、変化し続ける消費者の嗜好に左右される。今は車の所有よりカーシェアリングなどの手軽さが注目され、環境意識が脚光を浴びる時代だ。だが各メーカーの対応は、こうした点で遅れが目立つ。
消費者の要望や規制面でのプレッシャーは強まる一方で、メーカー側もこれ以上遅れはとれない。パリは、交通公害対策で厳しい規制(2025年までにディーゼル車を禁止する予定)を導入している都市のほんの一例に過ぎない。また、ロンドン交通局がウーバーの営業免許取り消しを決定したことは大きな反発を呼び、消費者がいかにより多くの交通手段を望んでいるかを示した。
これらの劇的な変化の中、グーグルやテスラ、そして今度はダイソンという新たなプレーヤーが登場し、もはや大手メーカーは将来もその地位を保てるかどうか定かではない。
21世紀がこれまでのやり方を改革していく時代であるならば、昨今の変化は「モビリティー」が何よりも喫緊の課題であることを示している。
既存の自動車メーカーにとって、ダイソンの市場参入ほど大きな警鐘はかつてなかっただろう。もう同じようなことを繰り返していては意味がない、というメッセージを同社は明確に送っているのだ。
ダイソンは革新的な企業精神と日常生活をより快適にするデザイン思考を持つことで知られ、掃除機や洗濯機、扇風機に対する我々の概念を変えてきた。
電気自動車市場への参入を確かなものにしているのは、こうしたブランドの特性と優れた技術力だ。従来の自動車メーカーが意義ある革新の推進という点で消費者の信用を失っている一方、ダイソンは確実に信頼を蓄積してきた。
その上、ジェームズ・ダイソン氏は同社代表の顔だけではなく、英国のテクノロジー界の声を代表する存在として広く認知されている。
自動車メーカーに対する信用がこの上なく落ち込んでいる今、消費者がダイソン氏のような信頼のおける型破りな起業家のブランドに魅了され、排ガス不正問題を隠蔽してきた顔の見えない経営者たちに見向きもしなくなるのは自然なことだろう。
決してこれは、目新しい現象ではない。起業家精神を体現してきたリチャード・ブランソン氏は同じように型破りな方法でヴァージン・グループを築いたし、アップルの台頭もスティーブ・ジョブズ個人のビジョンと強く結びついている。
ジェフ・ベゾス氏も同タイプの起業家だ。まずは書店で、それから小売業で大成功を収め、もはやアマゾンが扱っていないものはほとんどないと言っていい。事業の全ては物流力と、顧客重視のイノベーションへの強い意識に裏打ちされている。
ダイソンの発表を受け、アマゾンが流通における消費者の信頼を活用して、商品の配送にとどまらず人の輸送を手がけるようになっても驚くにはあたらない。
実際、アマゾンは既に自動車産業で強い存在感を示している。フォードやフォルクスワーゲン、現代自動車、ボルボは車両にアレクサを搭載しており、アレクサ(そしてアマゾン)はドライバーをアシストする上で最も信頼できるブランドとして地位を確立しているのだ。
20世紀に大規模なリブランディングを実行できなかった業界にとって、今後必要なのはこれからの消費者にモビリティーを提供する意義をもう一度考え直すことだろう。
既存の自動車ブランドは起業家精神やデザイン思考の重要性を理解し、今後の競争相手はスタートアップだけでなく、既に確立された革新的ブランドまで含まれる −− ダイソンからのメッセージは、さしずめこういったことになる。
自動車メーカーがこれらの教訓を学べば、業界を揺るがす激変にもきちんと備えることができるはずだ。そして、アマゾンのような企業が参入してきた場合でも、強い競争力で対抗できるに違いない。
ピーター・ナップは、ブランディングデザイン会社「ランドー」のグローバル・クリエイティブ・オフィサーを務める。
(編集:水野龍哉)