2020年11月25日、アルゼンチン屈指のコピーライターが、予期されなかったとはいえ避けがたい死を迎えた。自宅で医師団と看護師、精神科医らに囲まれての寂しい最期だった。
たった60年で生涯を終えた彼の名は、ディエゴ・マラドーナ。
サッカー選手としてのキャリアを極めたマラドーナは1986年のある夜、独創的な「コピーライター」の道も歩み始めた。手を使ってゴールを決めたのではないかと騒動になった、ワールドカップ・メキシコ大会準々決勝が終わった後のことだ。
大勢の記者が質問を浴びせ、とりわけイングランドの記者らは反則を犯したと責めたてたが、即座にマラドーナは最初の傑作コピーをひねり出した。彼が唐突に発した言葉はこうだ。「あれは神の手だ」
聖書の言葉を思わせるこのフレーズは、当時の状況に完璧に適合していた。その試合とはほかでもない、アルゼンチン対イングランド戦であり、アルゼンチンと英国によるフォークランド紛争からほんの数年しかたっていなかったのだ。
「神の手」発言で、この騒動は幕引きとなった――少なくとも私たち、アルゼンチンのマラドーナファンにとっては。ただしこの発言は彼にとって、サッカー選手としての偉業と同じくらい輝かしいもう一つのキャリアの始まりでもあった。
マラドーナはそれ以来、不安定ながらも光速で回転する頭脳から、ものの数秒で絶妙なフレーズを繰り出すようになる。翌日には、サッカーファンのみならず、あらゆる人々が彼の産みだしたキャッチーなフレーズを口にしていた。
1994年ワールドカップ米国大会で、薬物使用により追放処分を受けたと知った日の夜、マラドーナはカメラの前で涙ながらにこう語った。「私は脚を切り落とされた」
アルゼンチン代表のチームメイトだったフアン・シモンについては、並外れた狡猾さを見抜いてこう評した。「シモンは飼い猫の皿から牛乳を盗める奴だ」
件の対イングランド戦で「神の手」ゴールに続いて決めた5人抜きゴールについてはこう語っている。「あれはいいゴールだったが、奇跡とは言えない。(米女優の)ラクエル・ウェルチは奇跡だ。ゴールはただのゴールさ」
敵陣のゴールに接近したにもかかわらず球を蹴り込む能力も勇気もないプレーを、彼はこう揶揄した。「パーティーに出かけたのに、自分の妹と踊ってしまうようなものだ」
精神の不調で入院した療養所での日々について聞かれた時には、こう答えた。「自分はロビンソン・クルーソーだと思い込んでいる男がいる。それなのに、俺はマラドーナだと名乗っても誰も信じないんだ」
賢すぎる代理人のギジェルモ・コッポラ(Guillermo Coppola)については、金銭的な意見の相違(と言っておこう)で決裂した後、見事な表現で皮肉った。「コッポラはすばしっこい。水中でもタバコが吸えるだろう」
また、仕事の遅い役人をこんな言葉でこき下ろしたこともある。「亀さえ逃がしてしまうような奴だ」
優れたコピーライターがそうであるように、マラドーナもプレッシャーがかかると最高の力を発揮した。そのとき、皆の目が彼にそそがれ、サッカーの妙技の代わりに彼の言葉を待っていた。彼の引退試合が開催された夜のこと、愛着のあるボカ・ジュニアーズ競技場でのプレーは散々で、もの悲しかった。マラドーナは試合後、チームメイトやスター選手が見守り、サポーターらの声援に包まれるなかで演台に立った。彼のスピーチはボソボソととりとめがなく不安定で、その時の感情に圧倒されているようだった。だがやがてペースをつかみ、話の筋も定まっていった。それから自分の失敗を並べ、自らの責任だと認めた。だが何人たりとも、サッカーを非難すべきではない。
「私は多くの過ちを犯してきたが、ボールは汚れない」
「La pelota no se mancha(ボールは汚れることはない)」。このスペイン語のフレーズが持つ響きは、翻訳では正しく伝わらないだろう。ここでも彼は、ライターの黄金律にも従ったのだ。天賦の才は、その魔法を失うことなく別の言語に完璧に置き換えることなどできないのだから。
とはいえ、マラドーナの独創的なひらめきはどのようにして生まれたのだろうか。おそらく、これ以上ないほど過酷な貧民街であるビジャ・フィオリトで生まれ育ったことが、敏捷で回転の速い頭脳の形成に役立ったのだろう。こうした環境では、当意即妙の言葉が俊足と同じくらい身を守るのに役立つ。
ただし、マラドーナのコピーライターとしてのキャリアが、対イングランド戦の日に本格的に始まったのは偶然ではないだろう。
優れたライターは、普遍的なストーリーを装い、自身の人生のストーリーを語るものだ。
対イングランド戦のあの日にピッチで彼が見せたプレーは、この上なくアルゼンチン人らしい誇示だった。不必要な戦争でアルゼンチンを侮辱した国に対し、マラドーナは最初に騙し、次に世界を驚嘆させ、最後に決め文句で締めくくったのだ。
彼の声が失われたことはまさに悲劇だ。アルゼンチンはもう何年も前に、彼のプレーを目にする特権を失っていたが、それでもその日の訪れは確かに早すぎた。
だがマラドーナの死はまた、言葉の妙技が失われたことも意味する。それはアルゼンチンの生活圏で使われる誇張表現や、街中での合言葉のようなものだった。
「マラドーナ」という彼の姓は、今では「最上級」やそれに類する形容詞として使われている。
具体例で説明しよう。
日常のどんな分野であれ、あなたが何かすごいことをやってのけたとする。するとそれを見た誰かがすぐに、たいていはバルコニーから、あるいは通りかかったトラックや新聞売りのスタンドから、あなたに大声で呼びかけるだろう。
「お見事、マラドーナ!」
そして、ひとときの高揚はまた日常に戻る。
そうした場面に出くわすと、ディエゴはライターとしてやり残した事があるのだと、言わざるを得ない。
マラドーナは、自身が世を去った後に残される私たちのために、代わりの名文句を用意しておくべきだったのだ。
私たちはこの先、妙技を披露した人に何と声をかければいいだろう。「メッシ」だろうか?
いや、それは違うだろう。
ハビエル・カンポピアノ(Javier Campopiano)は、Grey Europeの最高クリエイティブ責任者とGrey Londonのクリエイティブチェアマンを兼任する。