Daniel Langer
2021年6月17日

フラッグシップ製品の廃止は賢明な選択か

ブランドにとって最も象徴的な製品を製造中止にすることは稀である。だが、高級時計メーカーのパテックフィリップは「ノーチラス5711」の製造終了を発表した。そして、それは賢明な選択だった。

フラッグシップ製品の廃止は賢明な選択か

ブランドが自社を象徴する製品の製造を打ち切ることはめったにない。それが入手困難なほどの人気商品ならばなおさらだ。時計業界のロールス・ロイスとも呼ばれるパテックフィリップは、世界有数の超高級腕時計ブランドとして広く知られている。同社が1976年に発表した「ノーチラス」は、伝説的な時計職人ジェラルド・ジェンタ氏がデザインした時計だ。同氏はオーデマピゲの「ロイヤルオーク」を含む有名な時計の生みの親でもある。

ロイヤルオークとノーチラスはともに、高級腕時計のあるべき姿を一新した時計だ。ノーチラスは「世界で最も高価な時計のひとつはスチールでできている」という広告キャンペーンで登場した。ノーチラスが誕生するまでは、スチールは時計用の素材としてゴールドに劣るとみなされており、スチール製時計はゴールド製よりもはるかに安価だった。そうした考えを変えたのが、ロイヤルオークと、それに続いて誕生した、さらに高価格帯のノーチラスだった。

ノーチラスはヒットした。「GQ」の記事によると、そのあまりの人気ぶりに、「パテックのティエリー・スターンCEOは、このモデルの驚異的な売り上げを喜んだが、この時計は明らかに同氏の好みではなかったようで、そのヒットによるノーチラスへの注目は彼を苛立たせていた」という。ノーチラスのベースモデル5711は、ムーンフェイズ(月の満ち欠けの状態を教えてくれる機能)、GMT機能、暦年カレンダーなどの複雑な機構を備え、世界で最も入手困難な高級腕時計のひとつに数えられるようになった。パテックはここ数十年にわたり、需要を抑えるために定期的な値上げも実施してきたのだ。

モデルによっては予約から入手まで数年かかることも常態化しており、ノーチラスの魅力はますます高まることとなった。エルメスの高級バッグ「バーキン」と同じく、ノーチラスには、中古時計市場価格が新品価格を10%~30%も上回るモデルもある。なぜなら、時計愛好家には、それらを入手するすべがほかにないからだ。とはいえ、ノーチラスの製造終了が発表されて以降、世界の時計市場で巻き起こった最近のこの熱狂に匹敵するものは、これまでなかったことだろう。

現在、ノーチラス5711の中古品価格は最高で25万ドルに達し、最多取引価格帯は10万ドルから15万ドルほどで、製造終了前の小売価格3万3000ドルを大きく上回っている。こうした価格差はノーチラス5711への需要がいかに大きいかを示しており、その希少性は、時計愛好家にとって、その小売価格が示すよりもはるかに貴重なものとなっている。初代誕生から40年以上を経た商品にとって、この非線形な価格上昇は前例のないものだ。

2020年に製造された、オリーブグリーンの文字盤を使ったステンレススチール製ケースのノーチラス5711/1A


ノーチラスはまた、ほかのブランドと比べれば高く思えるかもしれないが、高級品の小売価格としては、実際には低すぎる好例でもある。もしパテックが、ノーチラスの新たな価格設定のもと5711の価格を見直すことを選んだなら、筆者は、その価格帯はかなり高くなると予想する。なぜなら、現在の需要を考えると、修正価格は、現在の価格よりも、時計の価値をより適切に反映するはずだからだ。

従って、絶対的な象徴であるノーチラスの製造を終了するというパテックの方針は、これまでで最も巧妙なラグジュアリー製品戦略の一つと言えそうだ。これによりブランドの話題性が一気に過熱し、パテックフィリップは中古市場を通じて製品の真の価値を査定することができた。将来、製品をさらに高価格帯で投入する準備をしながら、高級時計製造におけるパテックの主導的地位を一層強固にすることにもつながるだろう。

他の高級ブランドはパテックフィリップから何を学べるだろうか。まず、類まれなストーリーを持った象徴的な商品を作り出すことの重要性だ。ノーチラスは時計製造史において明確な役割を果たしており、それゆえ、40年以上が過ぎても魅力的なブランドストーリーを生み出すことができた。重要なのは、歴史と価値創造を混同しないことだ。ブランドの歴史は、現代の顧客との関連性がなければ無価値だ。パテックは、ここ数十年、ノーチラスを進化させ続け、さらに高機能化した商品を次々ラインナップに加えてきた。その結果、価値と開発力を高めながら、ブランドはノーチラスの文化的な関わりを維持することができたのだ。

次に、ブランドを象徴する商品が人気の絶頂にあるときに、新たな象徴的商品に置き換えることが好結果を生む可能性がある点だ。ブランドの多くは安定志向であり、象徴的な商品をいつまでも維持したり、価格設定を変えて別バージョンを繰り返し発表したりしがちだ。しかしパテックは、需要は商品の入手困難性と限定的なリーチによって左右されることや、単に大衆を喜ばせ、売り上げを伸ばすために延々とバージョンを重ねて市場を溢れさせてはならないことを理解していた。販売数を抑制したことで、消費者の欲求はいっそう加熱し、ノーチラスの製造を終了することで、ついにその熱狂はピークに達したのだ。

ラグジュアリーは究極の価値創造だ。パテックフィリップは、ブランド管理を徹底し、どのようなラインナップの商品をいかに流通させるのかを厳選することで、膨大な需要を生み出し、特定の商品が製造終了となったあとも、その需要は続くことを証明してみせた。同社は、目先の利益を重視し、チャンスと見れば飛びつき、すぐに結果を出すことばかりを考えている多数のブランドに、すばらしいインスピレーションを与えている。そしてこれは、長期的なブランドエクイティの構築、ブランドのストーリーテリング、入念に練り上げられた戦略実行の好例でもあるのだ。


ダニエル・ランガー氏は、ラグジュアリー、ライフスタイル、消費者ブランド戦略のコンサルティング企業エクイテ(Équité)のCEO。また、ペパーダイン大学(カリフォルニア州マリブ)でラグジュアリー戦略および究極の価値創造を専門とする教授を務める。世界トップクラスの高級ブランドのコンサルティングを行うほか、ラグジュアリーマネジメント関連の著作がある。世界各地で基調講演を行い、欧州、米国、アジアではラグジュアリー分野のマスタークラスを開講している。Twitterアカウントは@drlanger

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