澤井愛佳氏は、2022年のゲレティ・アワードで日本国内の審査員を務める。ゲレティ・アワードは、女性の視点を反映した優秀な広告を表彰する世界で唯一の賞であり、Campaignは同賞のメディアパートナーだ。このインタビューは、APAC(アジア太平洋地域)のゲレティ・アワード審査員を対象としたインタビュー・シリーズの一環で、Campaignの寄稿者であるバリー・ラスティグ氏が聞き手を務めている。
澤井愛佳氏は、世界でもっとも愛されるラグジュアリーブランドの一つであるロエベの期待の星であり、日本におけるロエベのマーケティングとコミュニケーションを統括している。2019年にロエベに入社する前、澤井氏はAKQAの東京支社でキャリアを積み、マネージングディレクターまで上り詰めた。さらにそれ以前、澤井氏は日本最大手の通信会社の一つ、KDDIでプロダクトマネージャーを務めていた。このインタビューで、同氏はエージェンシーの世界からラグジュアリー業界への転身について、またラグジュアリー業界におけるコミュニケーションの進化について、自身の見解を語ってくれた。
ロエベでのあなたの役割は?
私は2年半ほど前に、日本国内のマーケティングおよびコミュニケーションディレクターとしてロエベに入社しました。今の仕事はコミュニケーション戦略の調整で、ゼネラルマネージャー、本社チーム、マーチャンダイジングチーム、その他の部署のリーダーと連携して取り組んでいます。すべてのマーケティングキャンペーンの年間スケジュールの作成も手掛けています。
AKQAからロエベに移った理由は?
とくにラグジュアリー業界に興味があったとか、昔から好きだったとかいうわけではありません。でもロエベに出会った時、176年もの豊かな歴史を誇る、他とはまったく違うラグジュアリーブランドなのだと感じました。エネルギーに満ち、クラフトマンシップに最大級のリスペクトをもっています。ここには自由とイノベーションの余地が無限にあると、直感的に思ったのです。
ラグジュアリーブランドの消費者は、ここ数年でどう変わりましたか?
ラグジュアリー業界では、アーンドメディアからオウンドメディアへという戦略転換が起きました。コミュニケーションストラクチャの面では、評判重視のビジネスから、より消費者に直接働きかけるビジネスへと移行しつつあると思います。消費者との直接のつながりがますます重要になってきました。自社の価値を示し、ブランドとしての実体を確立し、また私の上司がよく言うのですが、「できる限り温かみを感じてもらう」必要があります。人の顔が見えることで、私たちが単にグローバルブランドの一つとして、全世界に画一的なメッセージを発信しているわけではないことが伝わります。私たちは、さまざまな地域の多様な人々との接点を見つける努力もしています。こうした変化は確実に進行しています。
ラグジュアリーブランドをオンラインで体験することに、人々はどう適応していますか?
今の消費者のほとんどは事前にリサーチします。ブランドとの最初の出会いは、ますますデジタルになりつつあります。路面店での出会いがないわけではありませんが、素敵なバッグを見つけて、もっと知りたいと思った時、人々がまずやることはGoogleなどでキーワード検索し、写真を撮って画像検索をすることです。消費者のショッピングジャーニーは、オンライン体験と完全に融合しているのです。店頭に来る時には、たいていすでに見たいものが決まっていて、最終決定の直前段階にいます。こうしたトレンドは、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)のパンデミックの有無にかかわらず、加速していたでしょう。
私から見て重要なのは、カスタマージャーニーのはじまりの敷居を低くすることです。ロエベのウェブサイトを見てもらえれば、そこには興味を引くコンテンツがあります。それから、オンラインで予約できたり、購入できたり、最寄りの店舗に(見たい商品を)取り寄せたりできる、機能的な側面もあります。日本に関していえば、画像と情報が豊富であることが重要です。一方で、商品に魅力的なストーリーを添えることも不可欠です。ジャーニーのはじまりから終わりまで、もっと高揚感を感じてもらって、商品が本当に良いものだと確信してもらうことが重要なのです。
エージェンシーから、ラグジュアリーブランドの一員となって、マーケティングに直接携わることで、一番苦労したことは?
ラグジュアリーブランドには、(従来の意味での)PRを中心としたコミュニケーションデザインの伝統があります。私はデジタルエージェンシーの出身で、統合戦略やキャンペーンの計画と実施の経験があります。PRは私の専門ではありませんが、依然としてラグジュアリーブランドのコミュニケーションにおける必須要素の一つです。そのため、マーケティング戦略の構築と、消費者と直接つながるコミュニケーションの構築のあいだには、多少のギャップがありました。ロエベにも欠けていた要素があり、私はその部分を埋めることができたと思います。
ラグジュアリーブランドは、日本の消費者に特有のニーズをどのように考慮すべきでしょうか?
単純な例でいうと、日本は治安が良い国なので、日本人は上部にジッパーのないバッグを持ち歩くのにあまり抵抗がありません。他の地域だったら財布を盗まれてしまいますよね。また、財布の大きさにも特徴があります。日本人はポイントカード、キャッシュカード、小銭をたくさん持ち歩きがちです。このような日常生活に根ざした習慣は、日本人が持ち歩くものや購入するものに反映されています。
クリエイティブエージェンシーは、どうすればラグジュアリーブランドのより良いパートナーになれますか?
例えば、東京で大規模な展示会がある時、そのイベントプランはたいてい物理的要素に力が入れられています。ブランドのイベントそのものは、専門家の監修や本社による強力なディレクションによって、素晴らしい成功を収めるでしょう。しかし、私がやろうとしているのは、オムニチャネルコミュニケーションです。参加登録プロセスは、会場に足を踏み入れる時のストーリーと同じくらい、美しくつくり込まれているでしょうか? 消費者ジャーニーの出発点から終着点まで、一体感のあるものとして完結しているでしょうか? そこには時にギャップがあります。
参加登録のためにウェブサイトを開くと、退屈な使いまわしのサイトだったり、ウェブフォームのデザインが良くなかったりします。美しくラグジュアリーな体験であるべきなのに、急に使いにくいインターフェースを強いられるのです。こうしたことが起こるのは、ブランド内に専門家がいないせいもありますが、エージェンシー側やプロダクション側がリーダーシップを隅々にまで発揮できておらず、全体としての顧客体験の質を管理、向上できていないせいでもあります。
クリエイティブディレクションに関して、エージェンシーにアドバイスするとしたら?
ラグジュアリーブランドは、高い美的感覚と厳格なデザイン原則をもっています。そのためにイノベーションを持ち込むことに及び腰になりがちですが、私は、エージェンシーにはもっと大胆な提案をしてもらいたいと考えています。もちろん、ブランドのアイデンティティや理念をしっかり理解していることが前提です。けれども、究極的にブランドの目的は現状維持ではなく、進化すること、ブランドの可能性を次の段階として形にすることなのですから。
ラグジュアリー業界での仕事は、エージェンシーでの仕事とどう違いますか?
広告業界は、まだ男性社会です。ラグジュアリー業界に移った時、男女のバランスが真逆で、この業界では女性のほうが多数派だと知って驚きました。しかし、同時に強い自由を感じました。
こちらでは誰もが人間らしく働いています。広告業界のエージェンシー側にいた時は、自分が女性であるという事実をいつも意識していました。常に少数派だったわけではありませんが、管理職に限っていえば、そうなりがちでした。今では女性であるという理由だけで発言をためらうことはありませんが、AKQAにいた時や、その前に通信会社で働いていた時は、そういうことが多々ありました。以前の環境では、いつも男性のストレートがデフォルトのジェンダーでしたが、私はそうではないので、いつも無意識に躊躇する部分があったように思います。今は男女を問わず、素晴らしい才能をもった人々と仕事をしています。女性たちがジェンダーを理由に尻込みすることはまったくありません。今の環境は自由で、とても勇気づけられます。
バリー・ラスティグ氏は、東京を拠点にマーケティングコミュニケーション、デジタル、クリエイティブ、デザイン、企業コミュニケーションに関するエグゼクティブサーチを手掛ける企業、コーモラント・グループ(Cormorant Group)でプレジデントを務める。