1978年は重要な変化の年だった。パンクロッカーたちがキングスロードを闊歩し、サンフランシスコのゲイ・フリーダム・デイ・パレードで虹色の旗が初めてはためいたこの年、ウォーリー・オリンズは著書『コーポレート・パーソナリティー』を出版。アイデンティティーの提示は、変わりつつある世界でもはや欠けてはならない経営基盤であると、マネジメント層に訴求した。「文化を視覚的に見せることは、社内の結束力はもちろん、その会社がどのような企業で、どのような行動を期待できるのかを外部に示す上で、大きな役割を果たす」とオリンズは語った。
それから20年後、パンクはファッションとなり、虹色の旗もすっかり馴染みの光景の一部となった。オリンズが提唱したコーポレートアイデンティティーは、ブランドのありとあらゆるビジュアル展開に対応する分厚いブランドブックへと進化した。それでも、ほとんどのコミュニケーションは一方通行で、ブランドのバーバルアイデンティティー(ブランドの言語的資産 )は置き去りにされた。
ここ10年ほどは、マーケティングの世界で大きな変化が見られた。コミュニケーションチャネルの数が一気に増え、それに対応するためコンテンツの量も指数関数的に激増した。簡単な試算によれば、今日の中規模ブランドのマネジャーが管理している制作物の量は、新聞の編集者が担当する平均的な文字数を上回る。
その後、時代がWeb1.0からWeb2.0に変わると、ブランドは急に、外部と対話し関係を構築することを迫られるようになる。ロゴやカラーパレットが正しく使われているか確認するのは、自分でコントロールできる簡単な仕事になった。しかし、現実の人々とのリアルタイムでのコミュニケーションとなると、話は別だ。結果的に多くの企業は、こういった問題対処時の古典的な対応、つまり、見て見ぬ振りをしたのだった。
中には、問題と真摯に向き合い、ビジュアルアイデンティティーと同じように力強く一貫性のあるトーン・オブ・ボイスでコミュニケーションを展開したブランドもあった。でも、それ以外のブランドにとっては、時代はまだ1978年のままだった。
案に違わず、先陣を切ったのはIT企業やスタートアップ企業だった。デジタルネイティブが集まるこうした企業にとって、個人から大勢へ、上下関係などなく情報を共有するのは当たり前のことだった。
ブランドが海外に進出すると、トーン・オブ・ボイスだけでなく文化の違いにも目を向けなければならなくなり、話はさらに複雑になった。慇懃無礼なのか、それとも経費を節約しようとしたのか、言葉を単に直訳することで手を打った多くのブランドは、異なる市場で大敗を喫することになった。あるいは感情を動かす文言を、ローカリゼーションにおいて完全に取り払うという過ちも見られた。ほぼすべての言語や文化で、こうした間違いは起きている。
今のところ2020年の東京五輪もそうした例に入る。エンブレム問題の件はさておき、リアルなパーソナリティー(個性)やバーバルアイデンティティーがどのコミュニケーションチャネルにおいても欠如しており、これこそ深刻な機会損失といえる。オリンピック招致にかかるエネルギーやコスト、政治的意志を考慮すれば、招致に成功した都市はそのクリエイティビティーの力量を世界に知らしめるのが当然の展開ではないか。東京がそれをできないのはなぜか? それには、さまざまな要因が絡んでいる。リスク回避を重んじる環境、過度に官僚的な意志決定プロセス、そして何よりも、デジタルに長けたチームに権限を与えられるほどの強い自信がブランド側に欠けている点だ。2020年までに、ぜひこれらの点が改善されることを願っている。
クリス・ウェスト氏は、ヴァーヴァル・アイデンティティの創立者兼ボイス・ヘッド。スティーブ・マーティン氏は、東京を拠点にブランディングやコミュニケーションを手掛けるエージェンシー、イート・クリエイティブの創立者兼ディレクター。
(文:クリス・ウェスト、スティーブ・マーティン 翻訳:高野みどり 編集:田崎亮子)