
* 自動翻訳した記事に、編集を加えています。
3月8日の国際女性デーが近づくにつれ、国連が掲げる今年のテーマ「すべての女性と少女のために:権利、平等、エンパワーメントを」について考えさせられる。その思いは崇高なものだが、2025年に実現されるかという点では、願望に近いだろう。
豪州、欧州、アジア各地で暮らしてきた私は、女性たちが経験する幅広い範囲での不平等さを目の当たりにしてきた。それは単に経済的あるいは文化的なものではなく、社会が私たちをどう認識し、どう評価するかという根本に関わるものだ。そして、平等性そのものがますますイデオロギーをめぐる闘争として扱われるようになる中、その責任は本当にどこにあるのだろうかと自問してしまう。
また今年は、1995年の第4回世界女性会議(北京会議)で画期的な枠組み「北京宣言・行動綱領」が189カ国の政府によって採択されてから30周年を迎える。これは、女性の権利に関する最も進歩的で広く支持されているロードマップで、経済的エンパワーメントから政治参加、メディアの表現、暴力の撤廃に至るまで、重要な分野を取り扱っている。1995年以前は家庭内暴力に対する法的制裁を設けていた国はわずか12カ国だったが、現在では193カ国で1,583の立法措置がとられるようになり、北京宣言は重要な立法の前進に寄与している。
皮肉なことにジェンダー平等は、誰の問題なのかという終わりのない議論に巻きこまれ、扱いにくい問題としてたらい回しにされてきた。まるで、誰もがパーティーに招待したいのに、誰ももてなしたいと思わないゲストのようだ。そうするには努力や投資、説明責任が必要だからである。ジェンダー平等の存在は不可欠で、社会的な影響力と進歩性の指標であり、誰もがそれを支持しているように見られたい。だが、真にそれを支持することの代償を払いたいと考える人はほとんどいない。
皆、男女平等を支持すると主張する。だがそれも、構造全体の変革や財政的なコミットメント、そして権力構造の再調整が必要だという数字が示されるまでだ。そして突如、「結局のところ、誰の責任なのか?」と問う。政府は後退し、ソーシャルメディアのプラットフォームは政策立案者へとバトンを渡す。すると政策立案者は世論に従い、企業に負担を転嫁する。しかし、企業は常に利益を念頭に置いているため、構造的な不平等の影響を最も受ける個人に責任を転嫁するのだ。
この構造全体の問題は、驚くほど規模が大きい。 法的にしっかり保護されているにもかかわらず、世界では女性の3人に1人が依然として身体的または性的暴力を受けており、そのうち報告されているのはわずか10%だ。 2024年だけでも6億1200万人の女性と少女が武力紛争の中で生活しており、その数はわずか10年で50%も増加。進歩がいかに脆弱なものであるかを如実に示している。経済格差に関するデータも同様に深刻だ。世界の女性の賃金は依然として男性よりも20%低い。その傾向が最も顕著なのはアジアで、韓国の男女賃金格差は31%とOECD加盟国で最も大きい。豪州のような先進国でさえ、格差は18.6%に達する。働く母親を守るはずの産休制度も、根強い偏見のために十分に活用されていない。また金融業界などでは女性リーダーの収入が男性リーダーを30%も下回るなど、ガラスの天井は依然として解消していない。
私たちが目の当たりにしているのは、見通しではなく後退だ。役員室、メディアの報道、政策アジェンダのいずれにおいても、男女平等が優先事項ではなくなっていく中で、ただ静かに諦めていく。
苛立たしいこの責任転嫁のサイクルの中で、広告・マーケティング業界は、数十年にわたる構造的な不平等をジェンダー表象のみで解決することが期待され、しわ寄せを一手に引き受けている状態だ。キャンペーンは多様性について厳しく精査され、キャスティングは包括性の観点で批判され、メッセージは価値観が進歩的か否かを細かく分析される。まるで、何世紀にもわたって築かれた社会的な不均衡を、広告のストーリーだけで正すことができるかのように。この業界がこういった不均衡を是正する重荷を背負うべきだという期待は、もはや教条的と言ってよく、キャンペーンや採用活動、役員室などが不釣り合いなほど厳しく監視されるようになった。
確かにマーケティングが、認識を形作って固定観念に挑む上で大きな影響力を持つことは広く知られており、責任も伴う。しかし、基盤であるシステムが変わらない限り、広告にできることは限られている。広告は、社会や一般の人々の現実に応じ、それを表象するものなので、そこから切り離しては機能しない。いかに広告のキャスティングやメッセージが進歩的であったとしても、賃金格差、女性への暴力、政治的権利の剥奪といった問題は、広告表現を改善するだけでは解決できないのだ。
私たちは努力しているし、もっと良い結果を出すこともできるはずだ。東南アジアでは、広告代理店の最高幹部の55%が男性で、クリエイティブディレクターのうち女性はわずか24%だが、フィリピン(37.46%)やベトナム(36%)などの国では多くの欧米諸国よりも女性管理職の割合が高い。これはアジアで進歩が可能で、実際に起こっているということを示すものだ。業界内にはジェンダーの多様性に向けて精力的に活動する支持者もいる。女性がリーダーシップの地位に就き、クリエイティブの方向性を形作るケースも(ペースはさまざまではあるが)増えている。
いずれにしても、企業がジェンダー平等に取り組むべき根拠は明白だ。幹部のジェンダーの多様性が高い企業は、常に同業他社を上回る業績を上げている。幹部のジェンダー多様性が進んだ上位25%以内の企業は、平均以上の収益性を達成する可能性が25%高い。これらの企業は下位25%の企業と比べると、業界の中央値よりも高い収益性を達成する可能性が21%高く、優れた価値を創造する可能性も27%高かった。女性の経済力は役員室にとどまらず、はるかに広い範囲に及ぶ。女性消費者は世界の消費支出の大部分を占め、世帯の購買決定の8割以上に影響を与えている。しかしジェンダー不平等の問題は、私たちの業界だけで対処できる規模をはるかに超えている。ここまで挙げてきたように明らかな経済的利益があるにもかかわらず、2025年の時点で、S&P500に含まれる企業の上級管理職に占める女性の割合は29.2%に過ぎず、CEOに至ってはわずか8.2%だ。日本では、上場企業の女性経営者は0.8%にとどまる。企業の経営層レベルについてはこの傾向が、アジアや世界のほとんどの地域で依然として続いている。
こういった不均衡を是正するには、社会全体が大きな役割を果たす必要があり、特に男性はジェンダー平等が停滞するか前進するかに最も大きな影響力を持つ。男性はさまざまな人間関係や、役員室、行政機関、政府、ビジネス、アクティビズム、エンターテインメント、メディアでの指導的地位に至るまで、社会を形成するシステムの重要な鍵を握り続けている。ジェンダー平等は常に社会の課題だったが、それを主張するという重荷を不釣り合いなほどに背負わされてきたのは女性で、特に特権を持つ女性が、自らのために戦うことができない人々に代わって戦ってきた。
北京宣言の30周年は、特に不安定な時期と重なった。不安感は増し、経済は低迷し、市民が自由に活動できる場は縮小している。ドナルド・トランプ氏が大統領に返り咲き、世界的にも右派ポピュリズムが躍進する中、ジェンダー平等を必要不可欠なものとしてとらえず、軽んじる動きが勢いを増した。かつて女性の権利を保護して前進させるために苦労して勝ち取ってきた政策が、「ウォークネス(意識高い系)」を排除するという名目で撤廃されている。
それは、マーケティングが社会の特効薬ではないという厳しい現実を突きつけている。この業界は問題にスポットライトを当て、規範に挑むことはできるが、構造的な不平等を単独で解消することはできない。キャンペーンは認識を変えられるかもしれないが、法律を書き換えたり富を再分配することはできない。ジェンダー表象は重要だが、変革を実現するには世界中の役員室や議会、機関で真の権力を握る人々のコミットメントが必要だ。
これを政策立案者や企業が導き、真の勢いを作り出すことが切実に求められている。政府にはジェンダーバイアスに関する法律を制定し、実効性のある形で施行することが求められる。教育機関には、幼少期からジェンダーバイアスをなくしていくことが求められる。テック企業のプラットフォームは、固定観念を定着させるアルゴリズムの偏見に対処する必要がある。金融機関は、女性起業家への投資の格差を是正する必要がある。そしておそらく最も重要なのは、企業のリーダーがジェンダー平等を、単なるマーケティングのメッセージや国際女性デーに向けた形だけの取り組みに終わらせることなく、ビジネスの根幹に関わる必須事項として優先させることだろう。
はっきりさせておきたいのは、マーケティングの役割を軽視しているわけではないということだ。私たちはキャンペーン、リーダーシップ体制、業界慣行の積極的な進歩を促すよう、できる限りのことを行うべきだ。責任は現実のもので、避けて通ることはできない。しかし、変化の原動力として広告業界にすべての重荷を負わせるのではなく、女性主導のビジネスへの投資や、資金調達の機会、女性リーダーシップを強化するプラットフォームにもエネルギーを注ぐべきだ。女性が自らの事業を立ち上げて率いていくための財政的支援と意思決定権を持つようになれば、進歩は自立したものとなるだろう(起業家のシンディ・ギャロップ氏が何年も前から言い続けていることだが)。真の課題は、広告業界が女性をどのように表現するかという点だけではない。業界が作り出すナラティブに完全に依存するのではなく、女性が自らの未来を形作るためのリソースと影響力を確保することだ。
グロリア・スタイネム氏(フェミニズム運動の活動家)の有名な言葉にもあるように、「女性の平等のための戦いの物語は、特定のフェミニストや組織のものではなく、人権を大切に思うすべての人々が力を合わせた努力」なのだ。今年の国連のテーマにも掲げられていたように権利、平等、エンパワーメントが、すべての人にとってスローガンでなく必須事項となるまでは、ジェンダー平等はすべての人にとっての現実にはならない。多くの人にとっての願望にとどまるだろう。