バブル崩壊以降、日本のリテール市場は横ばいが続いている。経済産業省の「商業動態統計」によれば、1991年の小売販売額は146兆円で、2020年も同じく146兆円だった。しかし人件費は約70%も増加(厚生労働省『地域別最低賃金改定状況』より)し、業界全体の収支を圧迫している。さらにパンデミックを受け、消費者の購買行動や小売企業に対する期待が変化しており、消費者や市況の変化に迅速に対応することがかつてない喫緊の課題となっている。
消費者志向の変化
アクセンチュアが行ったグローバル調査によると、50%の消費者がパンデミックを機に人生の目的や優先順位を見直したと回答している。消費者の価値観が「物質的価値」から「情緒的価値」へと移行し始めており、価格や品質よりも安全性や製品由来、信頼・評判などを優先したいと感じるようになっている(以下、図)。特にこの傾向は若い世代に多く見られる。
リテール業界の体験再創造
情緒的価値をより重視し始めた消費者の行動や期待に適応するには、企業がまず自社のパーパス(存在意義)を定めて社会に対する姿勢を明確にし、それに基づいた優れた体験を提供し続けなければならない。そのためには、これまで事業者起点で運営されていた企業活動を消費者起点で抜本的に見直す必要がある。特に小売業界では、どのように体験の再創造(EXR、エクスペリエンス・リイマジネーション)を起こすべきかがカギとなる。その3つの領域について説明していきたい。
- リアル店舗でのみ提供できる体験を
パンデミックによりオンラインショッピングの成長に拍車がかかり、いつでもどこでも欲しいモノを買うことができるようになった。リアル店舗は、もはや商品や在庫を消費者に結び付けるための場所ではなく、消費者が店舗に足を運びたくなるような新しい価値を問われている。それは消費者の五感を刺激し、「楽しい」「嬉しい」体験を提供するリテールとエンターテイメントを掛け合わせた「リテールテイメント」を取り入れることで提供できるのではないだろうか。
例えば、ニューヨークの玩具店CAMPは「A family experience company」をタグラインに据え、子どもと大人が一緒に楽しめる店舗づくりに取り組んでいる。店内のマジックドアと呼ばれる隠し扉の先にイベントスペースが設置され、工作をしたり、ゲームやマジックショーに参加したりと家族で楽しむことができる。サマーキャンプに参加するようなワクワクする体験を求めて来店する家族連れが多いという。店舗にとっては物販のみならず、イベントのチケット販売が新たな収入源となっていることも特筆すべき点だろう。
たくさんのおもちゃが揃った玩具店はそれだけで幼い子供たちにとって魅力的で、リアル店舗への欲求をなくすことはないだろう。しかし子供だけではなく、大人もわざわざ足を運びたくなるような魅力ある仕掛けは国内企業も学べる余地が大きい。リアル店舗ならではの新しい価値を提供し、それを新たな成長の源泉としていくあり方が国内で広がっていくことを期待したい。
- 新しい「Reビジネスモデル」の構築
市場の成長が停滞する中、新規事業・サービスの創出と拡大が小売業者の重要な経営アジェンダとなっている。また、市場ではサステナビリティに対する意識が高まり、消費者も企業の姿勢に対して強い関心を抱いている。Y/Z世代の53%が企業に対して「環境に関する信頼できる情報の提供」「環境への影響の最小化」「サステナビリティ投資に取り組んでいること」を求めている。
これからの小売業は「所有」を前提とした“売るだけのビジネスモデル”から脱却し、再販売やレンタル、リフィルなどを含めた「Reビジネスモデル」を構築することで社会・消費者に貢献するとともに、新たな収益源を創出し、企業としてさらなる成長を遂げることができるのではないだろうか。
アウトドアウェアなどが人気のパタゴニアは、「私たちは、故郷である地球を救うためにビジネスを営む」というミッションを体現するため、「消費を減らす(必要ないものは買わない)」「修理する」「再利用する」「リサイクルする」ことを社会や消費者に強く啓発している。
例えば、11月下旬のセール期であるブラックフライデーには売上の100%を環境保護団体に寄付しており、消費者から「地球のための募金活動」として称賛されている。さらに業界の大量生産・大量消費に抗議する立場から「DON’T BUY THIS JACKET」という強烈な広告を出稿する一方、自社製品に関しては永久保証や充実した修理サービス、古着の回収及び古着専門店の展開といった手法で一貫した企業活動を行っている。自社だけの利益追求ではなく、企業としての社会的責任とビジネスを両立する循環型ビジネスモデルを構築し、そのビジョンに共感する消費者から高い支持を得ている。
- パーパスを行動で示す
消費者の88%がブランドパーパスが重要と答える今、パーパスを明確にし、それに資する企業活動が消費者を惹きつける差別化要素となる。一方で企業がパーパスに反する行動を取った場合、即座にブランドは毀損し、顧客は離れていってしまう。
ファッションブランドEverlaneは「Radical Transparency(徹底した透明性)」というミッションを掲げており、製品原価や工場での生産工程など、これまで消費者が知ることのできなかった情報をオープンにする誠実かつサステナブルな姿勢で米国の若者を中心に支持されていた。しかし2020年に、正社員を目指し労働組合の結成を模索していた非正規社員のチームを突然解雇したことで、ブランドミッションと従業員対応の乖離が大きな批判の的となった。消費者は常に企業の動きを注視しているのだ。
リテールEXR実現に向けて
以前より企業変革の必要性は言葉を変えて語られてきたが、いまだに実行に移すことのできない企業は多い。変革を阻害する要因は様々あるが、その1つは必要性及び危機感の欠如ではないだろうか。自社のビジネスが国内市場である程度成立している、消費力があり価値観の変化が緩やかな中高年層をメインターゲットにしている、といった理由が考えられる。しかし消費者の価値観が大きく変化する中、あっという間に市場構造が変わってしまう可能性は大きい。今こそ顧客体験を軸とした小売業変革(リテールEXR)を実践し、持続可能な将来価値(FV)の高い企業へと生まれ変わる時ではないだろうか。
リテールEXRを実現するには、パーパスに資する顧客体験を基軸にビジネスモデルの検討、商品・サービス開発、配送、在庫管理、顧客サポートなど、あらゆる領域で企業活動を見直す必要がある。このような組織横断の取り組みを成功に導くカギとなるのは、次世代のリーダーシップを担うミドルマネジメントだ。
筆者はこれまで変革を遂げてきた企業で、現場責任者が自身の進退をかける姿勢で周囲の人を感化し、変革を推し進めていく様を目の当たりしてきた。彼らは経営と現場双方の動きを俯瞰した上で組織間の潤滑油になり、経営層にはない新しい視点を持ち、大胆な変革を牽引する力を備えている。
誰かが変えてくれるのを待つのではなく、自らが実行する強いオーナーシップを持ち、自社が目指すべき姿を熱量をもって語り、社内外の協力者を増やす。また、強い想いを伝えるだけではなく、実証実験を通じた小さな成功モデルを織り交ぜたストーリーを準備し、賛同の輪を広げていく。
今の日本の小売業界に必要な人材はこのような次世代リーダーではないだろうか。業界を自らの手で変革しようという、気概ある人材が多く登場する日を心待ちにしている。
(文:清野壮逹 編集:水野龍哉)
清野壮達氏はアクセンチュア インタラクティブのマネジングディレクターを務める。