ブランドは成長と発展に伴い、その名を変えたり手直しするという選択肢がある。最近、ダンキンドーナツとシュガーパフ(シリアル)は時代の風潮に合わせ、高カロリーを連想させる表現の削除を決定した。肥満問題を認識していることを消費者に理解してもらおうと、ダンキンドーナツは名前から「ドーナツ」を外し、シュガーパフは「ハニーモンスターパフ」に変更。ダンキンはさらに、商品が油脂と砂糖でできたものばかりではないことを伝える意図もある。
あらゆるブランドは、事実をベースに確立されていく。しかし時として、ブランドの持つ伝統やブランドに対する人々の記憶が、その事実をしのぐことがある。ブランド名によって企業活動や伝統、由来を伝えたり、嬉しさや楽しさをもたらすこともできる。
名前を短くすることによって、ブランドの本当の姿から逸脱してしまう可能性もある。「Yo! Sushi(英国の日本風レストランチェーン)」は、歓喜の声のような響きの素晴らしいネーミングだが、実は生魚を使ったメニューは全体の3割しかない。
最近のMINI(自動車)は、もはやそれほどミニサイズではない。しかし車体が一番大きなモデルであっても、MINIらしい独特なフィーリングは維持されている。
表現に富むブランド名は、軽快さや個性を表現することができる。崇高な名前はブランドを際立たせ、高級感を演出する。そして、印象に残らず平凡になりがちなものであっても、熟慮されたブランド名によって、ブランドの哲学や活力、個性を宿すことができるのだ。
時代とともにブランド名が力を失い、時代遅れになってきたことに対応するため、おなじみのブランド名を頭字語・略語に変更する傾向が見られる。名前の変更によって特定の分野から解き放たれ、将来広い分野での展開が期待できるという意味において理にかなっているが、特徴のないブランドになってしまう可能性もはらむ。AMEXやFedExのような成功例の陰には、The Huffington Postから最近改名した「ハフポスト」のように違和感が残ったり、面白みにかける事例も多々存在する。
頭字化することによって、本来の良さが失われることもある。例を挙げると、「The Great Western Railwayで世界を巡る」という表現だと、まるで未知の世界に飛び込んでいくかのようだが、「GWRで旅をする」だと怒りに駆られた唸り声のように聞こえてしまう。
既存のブランド名をスリム化する動きは、ブランドアイデンティティーのデザインを極端に合理化することと連動している。マスターカードやインスタグラムは最近、大画面だけでなくスマートフォンの小さな画面にも対応するために、ブランドアイデンティティーを最小限にまでそぎ落とした。
この分野で次に予想されるのは、ネーミングやブランドアーキテクチャーを大胆にそぎ落とす動きだろう。ツイッターや、アプリのアイコンに使える文字数には限りがある。そのためにデザイナーやコピーライターたちが十分に腕をふるえないのは、残念なことだ。
私が幼い頃、家の近くの曲がり角に「ザ・ホワイト・ベアー」という名のパブがあった。しかし人々はこの店を、「スクーナー(シェリー酒用の大型グラス)」という昔からの愛称で呼んでいた。酔った連中にとっては、どこにでもあるような正式名称よりも「スクーナー」の方が言いやすかったのだ。
これこそが、ブランド名の見直しにおいて難しい点だ。クリエイティブにできるのは仮説を作り、戦略を立て、新しいストーリーをビジュアル化することだが、その善し悪しを決めることができるのは、受け手である消費者だけなのである。
今日のデザイナーやマーケターたちは、クリエティビティーを発揮するためツールを、かつてないほど多く手にしている。そのことによって、驚くほどクリエイティブなものが生み出されることもあるが、一方で、凡庸な結果を生み出すことにもなりかねない。メゾン マルタン マルジェラ(フランスのファッションブランド)、ルルレモン(カナダのヨガウエアブランド)、プレタ・マンジェ(イギリスのファーストフードチェーン)といった長い名前のブランドも、存在し続ける意味は十分あるのだ。
クリエイティブに携わる人たちに今まで以上に求められているのは、短絡的にブランド名を短くするのではなく、人々が心の底から笑ったり、驚いたりするような名前を作ることではないだろうか。
(文:クリス・ムーディ 翻訳:岡田藤郎 編集:田崎亮子)
クリス・ムーディ氏は、ウルフ・オリンズのチーフデザインオフィサー兼グローバルプリンシパル。