クラーク氏は9月1日付で、DAN初の女性グローバルCEO に就任した。英国生まれの米国人である同氏はこれまで広告エージェンシーのリーダーとして、またマーケターとしてカリスマ的手腕を発揮。広告業界ではよく知られる存在だ。
同氏はエージェンシーとクライアント、双方での勤務経験を持つ。直近ではオムニコムグループのDDBでグローバルCEOを務め、それ以前はコカ・コーラでシニアマーケターを歴任した。Campaignは今春、DANのグローバルCEO就任が内定した直後に同氏のインタビューを掲載した。
電通グループの海外事業を担うDANは海外に4万人以上のスタッフを抱え、マイクロソフトやP&Gといった巨大企業をクライアントに持つ。電通グループの山本敏博CEOは8月の第2四半期決算発表時、クラーク氏への期待をこのように表明した。
「ウェンディはかつてクライアント企業でマーケティング責任者を務めていた。ですから、クライアントが何を我々に求めるかを本能的によく理解している。我々に大きな貢献をしてくれるはずです」
また、「クライアントとのコミュニケーションに重きを置くのが彼女の仕事の流儀。同様に、社員とのコミュニケーションも重んじます」とも。
概して過去のDANのCEOは、社外であまり目立つ存在ではなかった。クラーク氏はこうした前任者たちと一線を画すCEOになるかもしれない。
同社のニック・プライデーCFO(チーフ・ファイナンシャル・オフィサー)も、新しい上司に大きな期待を抱く。「ウェンディの経験や人柄を考慮すると、この人事は極めて重要。彼女はクライアント側で貴重な経験を積むとともに、グローバルな広告ビジネスの難しさも熟知している。これは我々にとって大きなメリットで、総合的な成長戦略にも寄与します。クライアントに最大の貢献をするという点でも、我々をスキルアップしてくれるはず」。
クラーク氏への期待は膨らむが、実際にはどのような課題が待ち受けているのだろうか。
クリエイティブ力の強化
クラーク氏のCEO就任が4月に決まると、DANのティム・アンドレー取締役会議長は「クリエイティブ力とクライアントへの包括的アプローチの強化が課題」と明言した。
DAN傘下でよく知られるのはカラ(Carat)やビジウム(Vizeum)、マークル(2016年に16億米ドルで買収)、アイプロスペクトといったメディア及びデジタルエージェンシーで、クリエイティブエージェンシーは今ひとつ知名度が低い。
この5月、DANは海外にあるクリエイティブ関連企業を一つにまとめ、電通マクギャリーボウエンを設立した。ブランドマーケターが価値を認める個々のエージェンシー名を活用するWPPやオムニコムにとっては、思いも寄らぬ戦略だろう。
「DANは積極的に買収を行ってきましたが、これまでクリエイティブ面で強みを発揮したことは一度もない」と話すのは、投資銀行リベラム(Liberum)から独立したフリーのメディアアナリスト、イアン・ウィッテカー氏。
つまり、クリエイティブエージェンシーであるDDBを牽引したクラーク氏の抜擢は、DANにとって英断と言えよう。数年前には広告エージェンシー、マザーの共同創業者であるステフ・カルクラフト氏を英国のエグゼクティブチェアマンに迎えたこともあった(1年弱で辞任)。
経営コンサルティング会社オブザーバトリー・インターナショナルの共同創業者スチュワート・ポコック氏は、クラーク氏が「自分のキャリアを生かしてDANのクリエイティブ力を高め、メディア部門とより密接に協働させるだろう」と話す。
「ブランドは迅速に行動し、柔軟性を持たなければならない −− これが、コロナ禍から我々が得た教訓です。パートナーであるエージェンシーにとってもそれは同じこと。エージェンシーの世界はあまりにも複雑化してしまった。ウェンディの加入で、DANのクリエイティブやメディア、データのサービス提供はもっとシンプルになっていくでしょう。その基本となるのは運営の効率化やコストモデルの透明化。それを成し遂げれば、彼女に与えられた課題であるはずの収益成長も実現できるはずです」
だが、DANが克服しなければならないのは「クリエイティブ面の強化だけではない」とウィッテカー氏。「メディアはスケールが課題。デジタルではさして問題になりませんが、テレビ広告ではこれまでずっとスケールが重視されてきました。DAN傘下のポスタースコープ(Posterscope)社はOOH(屋外・交通広告)が専門で利ざやが大きく、大きな収入源となってきた。だが、OOHも変わりつつある。メディアバイイングで変革が起きている最後の分野でしょう。最大手であるジェーシードゥコー(JCDecaux)もプログラマティックバイイングを増やし、クライアントと直接やり取りを始めています」。
効率化の実現
クラーク氏を取り巻く環境は厳しい。コロナ禍による世界的不況に加え、それ以前からの電通グループの業績不振という負の遺産とも闘わねばならないからだ。
同社は海外事業の見直しとして、4つの優先課題をまとめた。電通グループの曽我有信CFO補佐が第2四半期決算発表時に言及したのは、「クライアント向け業務と社内業務の簡素化、構造的なコスト削減、バランスシート(貸借対照表)の効率化、長期的な株主価値の最大化」。
ウィッテカー氏は、「コスト削減と事業の簡素化を掲げる電通にあって、ウェンディがその資質と個性を発揮できるか疑問」と話す。
「こうした課題を優先しつつ、新しいリーダーに個性を発揮させようというのは非常に難しい。ウェンディが市場における電通の評価を上げようとする一方で、本社は増収とコスト削減を訴える。両立は極めて困難でしょう」
コロナ禍で、大手エージェンシーグループの業績は大きく悪化した。第2四半期決算の結果、DANは落ち込みが最も激しいグループの一つとなった。
そのオーガニック成長率は−20%。この数字より悪いのはオムニコム(−23%)だけで、インターパブリック(−9.9%)やピュブリシスグループ(−13%)、WPP(−15%)、ハバス(-18.3%)などはいずれもDANを上回った。
DANにとってのひと筋の光明は、データマーケティング会社マークルだ。ウィッテカー氏は、「今年上半期に確実なオーガニック成長を果たした超優良資産」と評価する。
「様々なプラットフォームやデバイスを通し、ユニークかつパーソナライズされた顧客体験を提供する」マークルは、DANの他のエージェンシーやクライアントである英国メディア関連企業スカイ(Sky)などを通して、プラットフォーム「M1」を強力に展開した。
「この数カ月でウェンディが成功を収める鍵は、世界的不況の最中でも再びマーケティングに投資する自信をクライアントに与えられるか否かにかかっている」とポコック氏。
「DANはデータとテクノロジー面のサービスを強化した。クライアントが十分な情報に基づいて正しい決定を下すのに、これらは欠かせない要素です」
だが、マーケティングコンサルティング会社IDコムスの共同創業者で北米担当CEOのトム・デンフォード氏は、「万事全てにデータを活用するよう、傘下のエージェンシーに強く促したDANの姿勢は行き過ぎだった」と話す。「結果的に、カラやアイプロスペクトのスタッフをレイオフしてしまいました」。
「ウェンディはストーリー性のあるクリエイティブや戦略をDANに復活させることができる。彼女もエージェンシーの役割を再考し、簡素化することが重要と考えているはずです」
「そのためには、DANを扱いやすい組織に変える必要がある。まずやるべき仕事は、グローバルネットワークと電通本社の関係をもっと密にし、メディア分野を『電通メディア』として世界的にブランディングし直すことでしょう。その次に、多くのサブブランド・エージェンシーを合理化・簡素化し、データやテクノロジー、ツールといった分野の複雑な構造を整理することです」
企業文化への挑戦
こうしたマネージメント改革のハードルになるのが、日本の電通本社と海外に拠点があるDANとの「文化的摩擦」だ。
消息筋はしばしば、最近は「本社の影響力は欧米だけでなく、アジアにも及んでいる」という。
昨年、DANはアジア太平洋地域の多くの経営幹部の首をすげ替えた。その後、主要市場である中国とオーストラリアは著しく業績が悪化した。
電通が代わりに送り込んだ日本人幹部が、日本での成功を再現できるかどうかはまだ判断できない。
「電通グループの中で常にくすぶっている問題は、日本の本社と海外各社との摩擦。海外事業はグループの売上総利益の55〜60%を占め、デジタル面も牽引しているにもかかわらず、決定権は今も日本にあるのです」(ウィッテカー氏)。
つまり最後の課題は、東京の幹部が大きな実権を握る電通グループでクラーク氏にどれだけ自由な裁量が与えられるかということだ。
同氏の前任だったジェリー・ブルマン氏は、電通に買収される前からイージスを率いていた英国広告業界の「顔」で、いつも東京と闘う姿勢を持っている人物とみなされていた。
クラーク氏のような才気みなぎる米国人女性が、「保守的な日本企業」と業界内で評される組織にどう対処していくのか。
文化的差異のほかに、もう一つ懸念事項がある。電通はこれまで日本最大の広告代理店として、日本国内で強力な特権的地位を謳歌してきた。だがこの優位性は、海外では持ち合わせていない。
日本における電通の大きな役割は、テレビ広告枠のディストリビューターだ。その結果、放送局や広告主に強い影響力を持ち、広告の価格を決める交渉でも優位な立場を保ってきた。
にもかかわらず、クラーク氏にとってDANの改革は「今が理想的なタイミング」とポコック氏はいう。「コロナ禍がもたらした大変動で、今はどの企業も社内の見直しと変革に取り組んでいます。テーマとなっているのは、業務の効率化と顧客ベースの新たな需要への対応。ウェンディがDANの舵取りをすれば、自信を持ってネットワークに必要な改革を推し進めていくでしょう」
コロナ禍は依然として世界を揺るがすが、クラーク氏が極めて重要な時期にDANを牽引することは確かだ。DANの期待に、同氏はどのように応えていくのだろうか。
(文:オマール・オークス 翻訳・編集:水野龍哉)