MINIがドイツのBMWグループ傘下に入ったのは、1994年のことだった。だが日本でそれを知っている人は、今でもほとんどいないだろう。ルーフやアクセサリーにユニオンジャックをあしらったMINIは、今でも「英国らしさ」を誇るブランドだ。カルト的とも言えるファンが現れたのは、1970年代にまで遡る。
日本に上陸してから比較的長い年月が経ているMINIだが、いまだにニッチ・ブランドとしてのポジショニングは変わらない。その点は、MINIが人気を博している他国での市場と同じだ。だが、日本の消費者の嗜好を理解し、それに適応しながらもブランドの原点を忠実に守り続けていることは注目に値する。
BMWが新型MINIを日本市場に投入したのは、2002年のこと。オリジナルMINIにとって日本は1970年代から最も重要な市場の一つで、当時はBMWの新たな解釈も物議を醸した。それでも日本は新生MINIを素直に受け入れ、1年目には1万台が飛ぶように売れた。
現在、MINIの日本での販売台数は年間約2万1000台で、2011年から毎年順調な伸びを示している。2010年から日本でのマーケティングを陣頭指揮してきたミヒャエラ・キニンガー氏は、今年は「さらに20%の増加を見込んでいる」と言う。
いかにも実直で生真面目そうなキニンガー氏は、MINIの軽やかな雰囲気を体現しているとは言い難いが、潜在的な顧客の心に響くポイントは明確に把握している。MINIの「英国らしさ」が評価されるという点で日本と米国は似ているが、いくつかの重要な違いがある。
欧州ではMINIは女性ドライバーに人気だが、日本では購入者の60%が男性で、そのほとんどが40代以上の中高年層と同氏は言う。「日本では車を所有する方々の年齢層が上がってきています。その中でもMINIに乗る方は特に気持ちが若く、余暇をアクティブに過ごされる。自己表現の手段として、MINIを選ぶのです」。
LGBT(性的少数者)の間でもMINIは人気が高く、同社ではかつてパレード用に車を1台寄付したことがある。だが、ブランドとして特にLGBTをターゲット層と見ているわけではない。MINIのイメージが矮小化されないよう、「性的志向は意識していません」と同氏。
MINIの成長を支えたのはローカライズであり、ソーシャル・チャネルを活用することでブランドを確立してきた。フェイスブック上のフォロワーは約19万人に上り、最近立ち上げたラインのアカウントもすでに10万人のフォロワーがいる。キニンガー氏は、「セールスを目的とした戦術的コミュニケーションをソーシャル・メディア上で展開しても、通用しない」と断言する。その方針は今のところうまく機能しているようで、具体的なセールス戦術は各販売店レベルが担っている。
一方、親会社であるBMWには、一貫したグローバルなブランド・メッセージをMINIから発信させたいという意向がある。このため若干の「トーンの変化」が起きたという。しかし、日本では他の市場よりもMINI本来の特徴を生かしたマーケティングを継続し、適度な自主性を発揮していく予定だという。3月にリリースした新型コンバーチブルのデジタル・キャンペーンは、BMW本社が関わらず、車愛好家やMINIのオーナーたちからのフィードバックに基づいて展開された。
キニンガー氏は市場に順応することを重視するが、一つの明快なコンセプトをもっている。それは、日本の自動車ブランドとは決して同じ土俵で勝負をしないということだ。ただし今は、MINIの標準的顧客層より合理的な考えをもち、価格を重視する層に向けて発売した「クラブマン」の販売を伸ばすという課題に直面しているが。
「決してMINIを、国内ブランドと同じように打ち出そうとは思っていません」と同氏。MINIよりも価格が安いトヨタのプリウスなどは競合し得るとした上で、主な競争相手にはフィアット500、アウディA3、フォルクスワーゲン・ポロ、フォルクスワーゲン・ゴルフなどを挙げた。特にフォルクスワーゲンは「多くの日本のセレブリティーやミュージシャン、俳優などを起用して、国内ブランドと同じ土俵で戦う道を選んでいる」とも。
「フォルクスワーゲンは国内ブランドのコミュニケーションに近づきました。私たちは原点を忘れることなく、市場に適応しすぎないことが大切だと考えます。それがむしろ、セールスの上で強みになる。MINIのようなブランドを求める方々は、輸入車を買いたいというはっきりした意識をお持ちですから」。
(文:デイビッド・ブレッケン 翻訳:鎌田文子 編集:水野龍哉)