ブランド変革とは、一体何を意味するのだろうか? 多くのブランドにとっては、新しいタグラインやロゴの変更であり、消費者にこの変更を知らせるための大々的キャンペーンが加わる程度の取り組みかもしれない。
だが、単に変わったと思わせたいだけでなく、真に変化を生み出したいのだとしたらどうだろうか? もしもブランドが本気で、自社に対する認識や、実際の働き方、さらには新たなパーパスの表現方法まで変革したいと望んでいるとしたら? しかも、独立系の販売会社のネットワークを介さなければならないような広大で多様な地域において、そうした本格的な変革を現場の隅々にまで浸透させようとするなら、どうすればよいのだろうか?
これこそが、トヨタ自動車の子会社であるトヨタ・モーター・アジア・パシフィック(以下、TMAP)の課題だった。シンガポールに本拠を置き、APAC(アジア太平洋地域)17カ国のマーケティングと販売を統括管理する同社は、創立84年の歴史を持つ大企業のブランド変革に取り組むこととなった。
モビリティへの移行
トヨタはここ数年、製品主導型の企業から、モビリティに注力するパーパス主導型企業への変革を進めてきた。トヨタの豊田章男社長が自らこうしたビジョンを掲げたのは、2017年のことだ。
TMAPのグローバルブランドマネジメント担当ゼネラルマネージャー、デビッド・ノードストローム氏はCampaign Asia-Pacificの取材に応じ、「当社は自動車企業からモビリティ企業へと転換しつつあり、顧客の移動のニーズに応える多様なモビリティソリューションを提供することを目指している」と語った。
歴史ある自動車メーカー、トヨタがこうした変革を進める背景には、さまざまな要因が絡んでいるという。ノードストローム氏はその理由として、自動車の利用と所有に関する消費者ニーズや期待の変化、新興の自動車ブランドとの競合状況、若年層へのアピールの必要性などを挙げた。同氏は気候変動問題には言及しなかったものの、それも業界状況を激変させる要因のひとつとして重くのしかかっているのは明らかだ。
ノードストローム氏によると、トヨタは、これまで常に価値と品質という合理的な判断基準で消費者とのつながりを維持してきたが、もっとエモーショナルなレベルでもさらに絆を深めることを望んでいるという。ブランド力やブランドエンゲージメント力の高い企業の方が、他の企業よりも大きな成功を収められることを十分認識しているからだ。
ただし、社内におけるブランドとブランドパーパスへの理解を刷新しないかぎり、今後提供していく製品やサービスに真の変化をもたらすことはできないと、ノードストローム氏は考えている。
「これは単なるブランド変革ではなく、企業全体のトランスフォーメーションだ」と同氏は強調する。「我々のビジネスのあらゆる部分で、考え方を変える必要がある。人々にモビリティソリューションを届けるためには何ができるのだろうか、何を変える必要があるだろうか?」
TMAPの組織全体でこうした変化を推進するのは、きわめて難しい試みだった。同社は各国市場で独立系販売会社を介して運営されており、販売会社は顧客との主要なコンタクトポイントとなるディーラーと協働している。TMAPが統括する17カ国の市場(バングラデシュ、ブータン、ブルネイ、カンボジア、東チモール、インド、インドネシア、ラオス、マレーシア、ミャンマー、ネパール、パキスタン、フィリピン、シンガポール、スリランカ、タイ、ベトナム)には、それぞれ独自の競合状況があり、もちろん文化や言語も異なる。
これまで、各国市場のオペレーションとマーケティングはそれぞれ別々の戦略をとってきており、使用するタグラインさえ異なっていた。しかし、ノードストローム氏によれば、今回の統一アプローチを生み出す上では、各販売会社こそが主導的役割を担ったのだという。「各市場に共通のニーズがあるかを判断し、そのニーズを特定する取り組みは、販売会社主導で進められた。そしてメディアやブランド、消費者の意識がますますグローバル化する現状を踏まえ、各市場が団結して連携することにどんなメリットがあるかを見極めていった」と同氏は説明する。
ヒューストンの挑戦
2018年、TMAPは広大な事業領域の全体でトランスフォーメーションのプロセスを加速させるべく、パートナーを求めた。実施したピッチには多数のエージェンシーが参加したが、その中にシドニーとメルボルンにオフィスを構えるブランディングエージェンシーのヒューストン・グループ(Houston Group)も含まれていた。ヒューストンは、すでにトヨタ・モーター・コーポレーション・オーストラリアとの同様の提携プロジェクトで成功を収めており、その仕事をさらに広い地域に拡大する案件を勝ち取った。それは2018年12月のことで、キックオフセッションは2019年3月に行われた。
ヒューストンの創業者でCEOのスチュアート・オブライエン氏は、Campaign Asia-Pacificにこう語った。「我々の仕事は、アキオ(豊田社長)のビジョンと、日々の業務とのあいだに架け橋を築くことだった。そして、各販売会社と連携し、彼らに対しこの新しい組織がどんな風に進化していくのかを示すことだった」
オブライエン氏は、ヒューストンのプロセスをエンゲージメントの方法論と呼んでいる。小グループや1対1の対話から収集された情報がワーキンググループに集約され、それから各市場のブランドカウンシルや、さらには地域全体へと伝えられた。
すべての市場におけるコラボレーションが、成功には不可欠だったと、ノードストローム氏も同意する。すべての市場から得られたデータやインサイト、独自の視点などが、戦略とクリエイティブの方向性を決める際に役立てられた。ヒューストンは、最終的なアウトプットが各国の販売会社のニーズを満たしていることを確認するため、再度フィードバックと同意を求めた。
「私はこう呼びかけた。相違点について話しをするのはやめて、まず共通点はどこかについて話し始めよう」と、オブライエン氏は語る。「共通の課題について話そう。モビリゼーションや気候変動について、地域社会やより大きな世界で起っていることについて、世界が共通で抱えているプレッシャーについて議論を始めよう」
このボトムアップ型アプローチは、トヨタ内で長年にわたって支持されてきた日本の原則である「現場」を重視する姿勢を反映しているという。この言葉は、「生きた情報が在る場所」と解釈され、問題の中心である場所、実際に価値が生み出される場所に注力するということを意味している。会議室からこと細かに指示を出すのではなく、現場で働く全員が一緒になって「真の価値を追求していく」ことが重要なのだと述べ、今回もこの方法論の実践によって、皆と共にゴールにたどり着くことができたのだ、と付け加えた。
「組織が全体でこの変革ビジョンを構築していく」と同氏は語る。「全員がその中に自分自身を発見する。自分自身がそこに反映されているのを確認し、自分たちが取り組むことにはすべて意味があるのだと理解する」
ヒューストンのモデルにより、トヨタは各市場で共通する価値観を見いだすと同時に、異なっている点も明らかにすることが求められた、とノードストローム氏は補足する。
「東京の本社で考案されたものでも、ニューヨークの広告代理店で考案されたものでもない。今では誰でも自由にキャンペーン内容を選んで、実施することができる」とオブライエン氏は付け加える。「これは草の根のビジョンであり、これにより、全員に将来のビジネスへの道筋が見えるようになる」
柔軟性の確保
重要なのは、チームが全員の行動を恒久的に支配するような制限をつくろうとはしなかったことだ。ヒューストンはその代わりに、ブランドという一貫性の範囲の中で、各市場に柔軟性を持たせることを目指した。
具体的には、地域全体に一貫性を持たせるためのメインコンセプトに加えて、各市場が強調したいコンセプトを2つ選択できるオプションメニューを用意した。
オブライエン氏はこれらのコンセプトをブランドドライバーと呼ぶ。「ブランド価値のようなものだが、もう少し現実的だ」
オブライエン氏は「ブランドドライバーは、ブランドを定義する組織目標であり、組織を規定するものでもある」と述べ、「なぜならブランドは、今や単一のものだけを表していないからだ。もっと複雑になっている」と説明した。
オブライエン氏によれば、ベトナムでは、「全幅の信頼や絶対的信用」が重要なブランドドライバーだという。一方、ブランド志向が強いシンガポールでは、「未来に向けた取り組み」など、感情に訴える表現が重視される。
これらのブランドドライバーは、単なるマーケティングスローガンではないとオブライエン氏は強調する。各部署が課題とその実行を評価するのに利用できるツールだ。「私たちはどのように信頼と信用を築いているか? どのように顧客の生涯価値を築いているのか? 私たちが行う『挑戦』とは何か? 私たちは『未来への取り組み』をどのように示せているのか?」
例えば、トレーニングプログラムを構築しているチームは、「挑戦」というブランドドライバーがどのように用いられているか確認する必要がある。オブライエン氏は「私たちはどのくらいいつもより大胆なことを行っているだろうか?」と問い掛ける。
また、各市場が広告キャンペーンの構築に取り組む際には、この仕組みがその基盤を提供する。
オブライエン氏によれば、例えば、カローラの新モデルを発売するとき、以前までは、市場ごとに白紙の状態から広告キャンペーンのブリーフをまとめていたという。ブランドドライバーができた今、チームは市場にとって重要なドライバーを1つ選び、それを強調する形でブリーフを作成できる。「挑戦」がドライバーだとしたら、エージェンシーは車の基本的価値の訴求よりも、新しいデザインの要素を強調するよう求められるかもしれない。
成功の基準は?
ノードストローム氏によれば、各地域の販売会社は変革のさまざまな段階にあり、TMAPとヒューストンがそれを支援しているという。
「最終的な成功の尺度は、消費者がこのトヨタの変化にどう反応するかだ」として、「人々が、新しい車を買うという文脈の元で、トヨタを考えるのではなく、どこかに行きたいと思ったときに『トヨタ』が思い浮かぶようになれば成功なのだ」と、ノードストローム氏述べている。
一方、進捗状況に関してはブランド調査を通して測定し、ブランド戦略に沿ったイメージを追跡している。ノードストローム氏によれば、鍵を握るイメージはブランドエクイティで、そのコアとなるものには次の3つがあるという。トヨタは有意義であるか(トヨタブランドは人々に愛され、人々から必要とされているか)、違いはあるか(トヨタはトレンドをつくり出すユニークなブランドか)、際立っているか(トヨタは人々が真っ先に思い浮かべるブランドか)だ。
また、マーケティングチーム以外の従業員もブランドについて話をしたり、ブランド責任者のように振る舞ったりしているかなど、社内エンゲージメントの柔軟な測定も必要だとノードストローム氏は言う。
広がる賛同
オブライエン氏とノードストローム氏は、これらすべての変化がもたらす最大の恩恵は、キャンペーンの質を上げることよりも、もっと深いところにあったと強調する。
オブライエン氏によれば、プロジェクトが進むにつれて、ネットワーク内のあらゆるチームで再検討が進められていることが明らかになったという。多くの市場で既存の活動や取り組みを見直し、新しいアプローチを試していた。「このプラットフォームは彼らに、新しいことに挑戦することへの道を開いた」とオブライエン氏は語る。「このプラットフォームは、新しいオーディエンスとつながるための新しい方法を探求することに、ブランドとしての許可を与えたのだ」
ノードストローム氏は、このプロジェクトが望ましい形で同意形成されていることを確信した瞬間を振り返った。それは、地域オフィスの幹部会議でプロジェクトの最新情報を共有したときのこと、あるバイスプレジデントから、(掲載されている)ブランド幹部の肖像写真が、従来のスーツに身を包んだ旧態依然とした姿で、もはやブランドの個性に合わないのではないかという指摘を受けた瞬間だ。
オブライエン氏によれば、プロジェクトは形に残る資産も生み出しているという。ブランドのトーン・オブ・ボイスについての説明資料や大量のトレーニング資料、ブランドドライバーの解説動画や社内コミュニケーションのガイドライン集、ブランド資産の適切なデータベースなどだ。これにより各市場では、外部からクリップアートを調達して資料を作成する必要がなくなった。
「トヨタで働くということは、ブランドの一員になるということだ」とオブライエン氏は語る。「自分の仕事とブランドが行うべきことを深く理解することで、よりいっそう意欲を感じられるようになるだろう」
ノードストローム氏は、17市場すべてがプロジェクトに賛同したことにほっとしている。TMAPは当初、こういった結果になると確信できていなかったのだ。
ノードストローム氏は「いくつかの市場が、足並みをそろえ、強力な世界、地域ブランドとして団結するメリットを享受できればと期待していた」として、「80%の市場でも十分素晴らしい結果だ。それが17市場すべてで賛同を得られたというのは偉業であり、プロジェクトが認められた証しだろう」と述べた。
最後に大切なこと
TMAPには、このブランド変革の大きな成果として、まだ公表していないことがある。
当然、多くのブランドが最初に考えるはずの要素、つまり地域共通のタグラインだ。
プロジェクトの理念と一致したタグラインではあるが、本社のストラテジストやヒューストンのコピーライターが1人で考えたものではない。TMAPはすべての市場に働き掛け、地域共通のタグラインが必要であること、求められていることを理解してもらったうえで、地域全体から案を募り、候補を絞り込んだ。そして、地域全体の消費者3200人を対象にテストも実施し、戦略的な適合性や好感度、独自性などの調査を行った。
TMAPによれば、選考を勝ち抜いたタグラインは「間もなく」発表される予定で、一部の市場には現地語バージョンが用意されるという。