DDBグループ香港のグループアカウントディレクター、ジョディ・チク氏は「DJ」の肩書きも持つ。「私はハウスやアシッド、テクノなどの音楽が大好き。だからDJは生き甲斐なんです。DJで収入が得られるようになったのは、ほとんど偶然の結果ですね」
DDBは「副業を全面的にサポートしてくれるので、とても嬉しい」。オフィスでしばしば開かれるパーティーでも同氏はDJを務め、DDBは「お得意様」でもある。
「この業界では様々なクリエイティビティーに対する情熱が大切。そういう側面を他の業界よりも理解してくれると思う」とチク氏。「会社にとってもメリットになると思います。DJという異なる世界で活動することで、私は新しいユニークな発想が得られる。本来の仕事にも確実にプラスになります」
副業に励むのはチク氏だけではない。こうした傾向はアジアを含め、世界中に広がりつつある。2017年の調査では、シンガポール人の54%が副業に従事。日本の厚生労働省は「副業・兼業の促進に関するガイドライン」を定め、企業に社員の副業をより一層促す。
TBWA\HAKUHODO人事部長、中村洋介氏はこうした政府の方針を歓迎する。「非常に前向きな動きだと思います。社員に安定した労働環境を提供しつつ、副業を奨励し、個人の能力を伸ばす機会を与える。こうした姿勢は社員やエージェンシー、そして究極的には社会の価値を高めていきます」
エージェンシーで副業を奨励するのはTBWAにとどまらない。メディアモンクスは、社内の副業者の間で「パンクモンクス」の異名を取る。副業者が毎週1人ずつ指名され、世界の全社員(9000人以上)に向けてスラックで自分の取り組みを紹介するのだ。
「肩書きを超えた社員の本質を知ることができ、皆のクリエイティビティーへの熱意を実感できる素晴らしい取り組み」と話すのはメディアモンクス・チャイナのマネージングディレクター、ロジャー・ビッカー氏。「我々はデジタル重視のエージェンシーですが、マシンではないのですから」
そして、同氏自身も副業に勤しむ。「週末は友人たちとともに、『ハイライト』というゼロカロリーの高級茶ブランドを展開しています。エージェンシー経営に携わっていない時はお茶を作っているんです。最新のテイストはもちろん、社内の冷蔵庫にストックされていますよ(笑)」
副業は「弊害」?
社員の副業が広く受け入れられ、雇用主も奨励するようになったとは言え、誰もが賛成というわけではない。本業との区別がつかなくなったり、企業への忠誠心が薄れたり、利益相反が起きたりすればなおさらだ。
先月、インドのIT企業ウィプロ(Wipro)はライバル社の仕事を請け負っていたとして300人の従業員を解雇した。リシャド・プレムジ同社会長は、「ウィプロとライバル社、双方の仕事をするような者に居場所はない。ライバル社も同様に考えるはずだ」と述べた。
ソクソ(Socxo、マーケティングプラットフォーム)CMOのアジト・ナラヤン氏は、「社員が2つ以上の仕事をしたいのなら、請負契約に切り替えるべき」と話す。
「正社員が副業を持つのは決して良いことではない。もっとお金を稼ぎたい、自分をアピールしたい、新しい能力を身に付けたいというのなら、企業と請負契約を交わせばいいのです。そうすれば個人の責任は軽減される。契約で認められていない限り、2つ以上の企業で働くことは道義に反する。そうした行為を許せば、誰もが好き勝手なことをして、ビジネス界は無法地帯のようになってしまいます」
だが、バーチュー(Virtue、クリエイティブエージェンシー)APACのグループクリエイティブディレクター、クリス・ガーニー氏は「エージンシーやクライアントとの利益相反を避けられれば、副業の奨励は社員にもエージェンシー にも良い結果を生む」と話す。
「副業(side hustle)という呼び方を再考した方がいいでしょう。本業をおろそかにしているようでネガティブに響くし、世間知らずで厚かましい印象も与える」と同氏。「それでも我々は副業が自社にメリットになると考えます。我々はクリエイティブな仕事に従事しているのですから」
本業と副業の両立
VCCPシンガポールのアートディレクター、ジョアシュ・サム氏は友人とともに昨年同社に参画。当初はアパレルブランドを立ち上げる目的だったが、その後はクリエイティブスタジオへと発展、今では複数のブランドを運営する。最近ではヴォーグ・シンガポール誌にも特集で取り上げられた。
「フルタイムで仕事をしつつ、新しい事業を拡張させていくことは決してたやすいことではありません。それでもビジネスパートナーやVCCPの素晴らしい同僚たちのお陰で、両方ともうまく機能しています。睡眠時間を削ったり、社会生活を犠牲にしたりということは多々ありますが……」
「本業と副業のバランスをうまく取るには、しっかりとした時間管理と明快な分け方が欠かせない」と話すのはメディアモンクス・チャイナの戦略ディレクター、ニナ・コン氏。同氏は女性向けのオーダーメイド服ブランド「サウスバンド」をパートナーとともに運営する。
「特にコンテンツ制作やプランニングが副業にとって重要な要素だと、本業よりも優先してしまいがち。そういう意味で時間管理は極めて重要です。2つの仕事を明確に分けることも必須。私がインスタグラムで自分のブランドのチェックをするのは、本来の仕事が終わってから。朝一番でチェックすると必ずそちらに意識がいってしまい、本業に差し支えますから」
1つの仕事では不十分?
副業には確かにメリットがあるが、本業で十分な収入と充足感が得られるのなら副業は必要ない、と主張する専門家もいる。
「1つの仕事で十分な収入が得られ、クレジットカードも持たず、副業もせずに4人の家族を養えていた時代を覚えていますか?」。先頃、副業について語り合うリンクトインのスレッドにある投稿者がこのように書き込んだ。「副業者の多くはお金が目的。貯蓄をしたり、借金を返したりするためです。こうした状況が、あらゆる業界にバーンアウト(燃え尽き症候群)を再発させている」
だが、よりポジティブな理由で副業に励む者も多い。副業推進派の1人、マリリン・ヨン氏はアセンブリー(Assembly、マーケティングエージェンシー)の地域クライアント担当ヴァイスプレジデント。その傍ら、シンガポール有数のダンスウェアショップをインターネット上で展開する。「本来の仕事以外に、モチベーションとインスピレーションを高めてくれる何かを持っていることは重要。本業にもメンタルヘルスにも良い影響を及ぼします」
「副業に積極的な人は会社にもメリットをもたらす。私の副業は常に起業家としての立場を考えねばならず、経営者としての思考を鍛えてくれる。クライアントの視点がより深く理解できるようになりました」
だが、両立はやはり簡単ではないという。「最大の課題は時間の管理。1日24時間ではとても足りません。何を優先させるか、そして本業の時も副業の時もいかに集中できるかが鍵。加えて重要なのは、相互の信頼関係。会社は社員が最大の利益をもたらしてくれると信用するべきだし、社員は個人的目標にチャレンジする自由を与えてくれる会社に敬意を払うべきです」
副業は「ウィンウィン」か
メディアモンクス・オーストラリアのエグゼクティブクリエイティブディレクター、ティム・ウッド氏は全面的に副業を奨励する。「始めたばかりの人にとっては、クリエイティビティーを放出する素晴らしい機会になる。さらに経営の難しさや、そのための繊細な配慮を学べ、人にも伝授できるようになるのです」
10年に及ぶリーダーとしての経験から、部下が集中力を欠いている時はすぐにわかるという。だがその理由が「副業であることは滅多にない」。「最悪のシナリオは、副業で成功した社員が離職してしまうこと。でもそれは彼らにとって素晴らしい結果なのです。我々も幸せな気分になりますよ」
ピュブリシスグループも社員の副業を奨励する。「文化や社員を動かすダイナミクスは変わった。自分の価値観が仕事にどれだけフィットするかではなく、価値観に仕事がどれだけフィットするかで人々は判断するようになった」。こう話すのは同社CTO(最高人材責任者)、ポーリー・グラント氏だ。「ゆえに、社員としての素晴らしいエクスペリエンスを提供するよりも、人生を豊かにするエクスペリエンスを我が社は奨励しているのです。我々の中に隠れたロックスターやアーティスト、インフルエンサーがいるのは素晴らしいこと」
クリエイティブな副業に勤しむのがデジタスANZ(マーケティングエージェンシー)のクリエイティブディレクター、トム・マクマラン氏だ。ホラー映画を使った暴露療法(不安障害の治療に用いられる行動療法)を専門とするポッドキャスト「スプーコ(Spooko)」を運営する。「本業以外にクリエイティブな趣味を持たないクリエイターは100%信用できない」というほど、同氏は副業を信奉する。
「私が知るクリエイターのほとんどは、ものづくりのためのものづくりを純粋に愛している。クライアントの求める成果やKPI(重要業績評価指標)が記されたブリーフを具現化することではないのです。副業はそうした要素に煩わされないからこそ、非常に重要。最も素晴らしい点は、こうしたクリエイションが本業にインスピレーションを与えてくれることです。目に見える部分と見えない部分、両面で恩恵がある。私の場合は、ポッドキャストに興味を持つクライアントから信用を得たり、プレゼンターやストーリーテラーとして鍛えられたり……クリエイティブディレクターとして、確実に成長しています」
「時代は変わった。エージェンシーのトップたちは社員の副業をサポートすべきです」というのはDDBグループ香港のCEO、アンドレアス・クラッサー氏。
「副業に否定的で、社員には本来の仕事に100%専念してほしいと考えるトップもまだ少なくない。しかし時代が変わり、個人的プロジェクトや副業は、本業のクリエイティビティーや生産性を向上させることを業界全体が認識すべきです。私は社員に副業を奨励するだけでなく、プロモーションもしています。オウンドメディアを通して、社員の刺激的でユニークな取り組みを定期的に紹介しているのです」
(文:マシュー・キーガン 翻訳・編集:水野龍哉)