独立記念日、労働祭、感謝祭、そして見苦しい展開が確実な大統領選にまたがる6カ月間、バドワイザーはブランド名を「アメリカ」に変更する。このバドワイザーの決断を、「愛国心はならず者の最後の逃げ場」との名言を残した詩人サミュエル・ジョンソンならどう評するだろうか。パッケージのお馴染みのロゴは差し替えられ、広く親しまれている国歌の一節やフレーズが載る。バドワイザーは文字通り、アメリカ国旗に身を包むことになる。
この企画が綿密な調査とリスク管理の上に実行されることは間違いないだろう。国を二分する混沌とした状況はバドワイザーにとって、シンプルな一体感を大々的に訴える絶好のチャンスと映ったのかもしれない。国が危機的状況に陥り、政治の仕組みが崩壊しかかっているとき、ビールに国の名前を付ければ、難局を打開して元の世界に戻れそうな雰囲気くらいは作れるかもしれない。心を通い合わせるのに適した媒体が、慣れ親しんだビールをおいて他にあるだろうか。
確かにそういった考え方もあるだろう。しかし実際には、愛国心は「ならず者の最後の逃げ場」ではない。愛国心というのは、心の深くにある複雑に絡み合った一連の忠誠心をつなぎ合わせる言葉だ。しばしば私的なものであって、意味を完全に説明することはできない。これまでも多くの市場で、主要なビールブランドが愛国心に訴えかける手法を取ってきた。しかし今回のバドワイザーの大胆さは、どちらかと言えば皮肉な見方をされるのではないだろうか。
バドワイザーは自らとアメリカの価値観を露骨に関連付けようとしているが、そうするにふさわしいブランドなのかどうか。一体感の醸成を打算なく願っているのか。それともただ販促用のスリーブに包まれているだけなのか。消費者がどう受け止めるかに成否がかかっている。
(文:ジェームズ・トンプソン 翻訳:鎌田文子 編集:田崎亮子)
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