広告市場を席巻するグローバルエージェンシーのほとんどは、欧米にルーツを持つ上場企業だ(第二勢力となるエージェンシーについても同じことが言える)。この現実は広告業の歴史と市場規模の反映でもあろう(広告業は19世紀の欧米に端を発する)。こうした状況は当面変わりそうにない。
ただし、1つの大きな例外がある。日本だ。この国の市場は国内エージェンシーが支配し、欧米企業が進出する際にはこれら企業と提携しなければならない。日本の主要エージェンシーはこれまで国内事業に専念してきた。その慣例を打ち破ったのが電通だ。同社は過去にピュブリシス ・グループと提携、株式も保有した。提携関係は10年前に解消されたが、その直後に英広告大手イージスを買収、グローバルプレイヤーへと転身を果たした。
イージス買収後、電通は事業変革に着手した。利益率の低いカスタムリサーチが中心だった市場調査部門を売却し、テクノロジーとデータ面を強化。中核であるメディア事業を拡大させた。2016年には米データマーケティング会社マークルのマジョリティー株式を取得(2020年に完全子会社化)。この買収は「賢い戦略」として、業界で高い評価を受けた。その結果、カスタマートランスフォーメーション&テクノロジー(CT&T)分野が急伸、グループ売上高の約35%を占めるまでに。2022年には円安も手伝い、海外事業の売上高は61%に達した。外国人役員はチーフファイナンシャルオフィサー(CFO)のニック・プライデー氏を初め、現在では4割。経営陣全体では6割を占める。
正しい言い方をするなら、電通は海外事業への「関与を強めて」きた。昨年11月、五十嵐博CEOはグローバルマネジメントの再編と組織の統合を明言。だがことわざが示す通り、行動は言葉より雄弁なり。見落としてはならないのは、この再編が「お金の力」で実行されている点だ。
昨年2月、電通は今後3年間で買収に2500〜3000億円を拠出すると発表。そして、すでにその半分を使ってしまった。これまでに買収したのは海外企業6社。カスタマーエクスペリエンスマネジメントの強化を狙った英タグ社の買収には、電通史上3番目という高額を支払った。
海外投資家の割合も増加した。2019年が2割だったのに対し、今年は3割に。だがアナリストカバレッジ(業績を論評・推奨する証券会社や調査会社のアナリスト一覧)の動きは鈍く、電通の努力はあまり反映されていない。欧米アナリスト・投資家の日本企業への関心と関与は逆に高まっているのだが……。
現在の電通にとっての課題は、方向性だ。海外事業は「ビッグ5」と言われるグローバルエージェンシーの一角を占める規模を誇る。だが、売上高で他の4社との差は大きい。2022年の電通の海外売上高が52億ドル(約6800億円)だったのに対し、第4位のIPG(インターパブリック・グループ)の売上高は109億ドル。今後も買収を続ければその差は縮まるかもしれないが、他の4社も常に事業拡大を目指している(電通の売上高の40%を占める国内事業も含めれば、また別の議論になろう)。
事業規模は、必ずしも問題ではないのかもしれない。だが、メディアやデータでは規模の大きさが重要なファクターだ。それらが大きいほどビジネスチャンスは広がる。果たして、電通は今後もさらなる大掛かりな買収を企てるのだろうか(海外企業の買収では長引く円安も課題だ)。その対象として、まずハヴァスかスタッグウェル(米マーケティング会社)、あるいはその両社が考えられるが、それらを買収して規模を拡大しても、他社に追いつくための重要課題の解決にはならないだろう。
私の意見を述べるなら、現時点で経営陣が他社の買収を考える必要はない。買収はこの先、タイミングを計ってじっくりと考えるべき案件だと思う(これはあくまで私個人の考えで、他者の考えに基づくものではない)。
もう1つの課題は、今後社内における日本人と外国人の緊張関係が高まる危険性があること。その引き金となったのは、グローバルCEOを務めていたウェンディ・クラーク氏の退社だ。経営陣の入れ替えはどのエージェンシーでも問題になるが、こうした対立構図は電通特有だろう。
現時点では、経営陣が具体的措置を講じたことでさしたるトラブルは起きていない。この問題を考える上で、銀行業界を例にとってみよう。日本の大手銀行は欧米で手広く業務を展開しているが、文化的差異が実績に悪影響を及ぼしているようには思えない。もちろん、こうした問題はグローバル事業を展開するどの企業にも起こり得る。英国、あるいは米国対それ以外の国々というように、本社がある国と支社がある国との軋轢は珍しいことではない。
最後に見過ごしてはならないのが、電通の海外事業の業績だ。簡単に言ってしまえば、現状はまあまあといったところだろう。前述したように、グループ総売上高の35%は急成長するCT&Tによって占められ、今後もオーガニック成長率を強力に押し上げていくとみられる。だが事業規模に関してはいくつかの課題が残り(特にメディア)、クラーク氏の退職も新たな課題を生んだ。それでもオーガニック成長率は堅調に推移し、他のグローバルエージェンシーにひけを取るようなことはないだろう。つまり、現時点で早急に対処すべき問題は見当たらない。
私は、電通が今後海外事業から撤退することもあり得ると考え、この原稿を書き始めた。もちろんそれは、あくまでも将来的な話だ(もしそうなれば、相当の利益を残す形でのスピンオフになるだろう)。だが今の電通の活動や公式発表を見れば、そうした意図は全く感じられない。むしろ、他のエージェンシーとの戦いに舵を切ったかのように思える。
蛇足ながら、この記事は投資家向けのアドバイスではないことも付記しておく。
(文:イアン・ウィテカー 翻訳・編集:水野龍哉)
イアン・ウィテカー氏は英コンサルティング会社リバティースカイアドバイザーズの創業者で、マネージングディレクターを務める。