米グレイアドバタイジング社が、株式会社・大広と合弁会社グレイ大広を設立したのは1963年10月12日のことだ。1999年には大広との合併を解消、グレイ大広はグレイアドバタイジングの100%出資会社に。1年後には組織改革とリブランディングでグレイワールドワイドと社名変更し、グレイグローバルグループは2005年にWPPの傘下に。その後、グレイグローバルグループはグレイグループと社名を変え、現在アジア太平洋地域では日本を初め17カ国で事業を展開する。
東京オフィスが60周年を迎えた今年、変革の象徴は代表取締役兼CEOを務める落合氏の存在だろう。日本広告業協会(JAAA)では40名の役員のうち、唯一の女性。同氏は2011年にグレイに入社、グループアカウントディレクターを経て2015年にチーフオペレーティングオフィサーとなり、2018年から現職を務める。
落合氏は幼少期から高校卒業時までを米国で過ごし、帰国後に一橋大学商学部を卒業。フジテレビに入社すると、スポーツ局アシスタントディレクターとしてオリンピック中継やスポーツニュースを担当した。その後ビーコンコミュニケーションズに転職、P&GのヘアケアやSK-Ⅱのビューティーケアなど、日本のトップビューティーブランドのビジネスを牽引した。
同氏のCEO就任後、日本オフィスは数々の広告賞を受賞。Campaignが主催する「エージェンシー・オブ・ザ・イヤー」では2021年に「クリエイティブエージェンシー・オブ・ザ・イヤー(日本)」部門の金賞、2020年と2022年には同部門銀賞を獲得した。
また、昨年のスパイクスアジア では「ジャパン・エージェンシー・オブ・ザ・イヤー」と「グラス・スパイク」、さらに「ソーシャル・アンド・インフルエンサー」「メディア」両部門でグランプリを獲得した(対象作品は前者がP&Gの『プライドヘア』、後者がSK-ⅡのVSシリーズ)。
今回の独占インタビューでは、自らの歩みから日本の広告業界の現状、そしてグレイにおける実績など幅広く言及。幼少期から持っていたクリエイティビティーへの好奇心、「働く母親」のための働き方改革、コロナ禍でのキャンペーン、そして女性が積極的にキャリアアップを図ることの重要性などについて語ってくれた。
スポーツ番組のアシスタントディレクターとしてキャリアをスタートさせ、ビーコンコミュニケーションズに転職されました。なぜ広告業界に移ったのですか? また、CEO職を引き受けた理由は何だったのでしょう?
私は若い頃からいつもクリエイティビティーに魅せられてきました。ですので、優れた映画やビジュアル、音楽を生み出す人々には最大限の敬意を抱いてきました。テレビ業界でキャリアをスタートさせたのもクリエイティビティーへの情熱からです。結果的に広告業界に移りましたが、この業界でのクリエイティビティーこそ最大のチャレンジであり、最も優れた人材が求められると認識したからです。
これまで素晴らしい才能を持った人々と仕事をしてこられたことは、この上ない喜びです。今はマネジメントの仕事に比重が移りましたが、今でもクリエイティブと(映像の)仮編集をするときなど、とてもワクワクします。仕事に対して愛情と敬意を抱き続けてきたことが、結果的にCEO職につながったと理解しています。
日本の広告業界で数少ない女性CEOの1人として、どのような課題に直面してきましたか? また、そうした課題にどのように取り組んだのでしょう?
広告業界に入ってからこれまで、幸運にも私はジェンダー差で壁にぶつかったことはありません。グレイは伝統的にインクルーシブ(包摂的)な文化を持っています。取締役のナーヴィック・シン(グローバルCOO、欧州・中東・アジア太平洋・南米担当プレジデント)を初めとする上層部は、常に私を励まし、意思決定をサポートしてくれます。
弊社はアジアでも優れた女性リーダーを輩出してきました。今もインドやタイ、中国、マレーシア、シンガポールのCEOは女性ですし、グローバルCEOのローラ・マネスは女性リーダーのお手本になっています。それでも、私のような経験は日本では稀でしょう。日本では依然、広告業界で働く女性の比率は低いままです。JAAA唯一の女性役員として業界のリーダーたちを先導し、JAAAやWPPでワークショップを開いてきたことは大きな名誉です。
社内の女性クリエイティブやマーコム業界の女性たちをサポートするために、どのような取り組みをしてきましたか?
日本の社会は働く母親に対しても大きな期待を抱きます。結果として、彼女たちは仕事と家庭のバランスを取ろうと大きなプレッシャーを抱えてしまう。私自身、働く母親ですのでこうした点はよく理解できます。日本オフィスでは誰もが健康なワークライフバランスを保てるよう、柔軟な働き方を推進してきました。これまで30に及ぶ規定を設けた結果、女性従業員と女性管理職の割合は日本の広告業界でも有数の高さになっています。
これまで手がけたプロジェクトの中で、最も満足できるものは何ですか?
多くのプロジェクトが満足のいくものだったので、1つだけ選ぶのはとても難しいです。あえていくつか挙げるのであれば、まずワイルドエイド・ジャパン(WildAid Japan)のために制作した「ハンコグラフ(Hankograph)」。印鑑の材料に象牙を使う日本特有の問題に光を当て、印鑑を応用したユニークなアニメーションで密猟の残虐さを描きました。それと、パンテーンの「プライドヘア(PrideHair)」。本来の自分を隠して就職活動を強いられたLGBTQ+の人々の葛藤を取り上げ、彼ら並びに彼女らへの認知度を高めました。さらには今年公開したモデルナのキャンペーン「セーブ・ユア・ホープ(Save Your Hope)」。コロナ禍で我々が失ったものはどうやって取り戻せるかというテーマを具現化しました。
これまでで最も困難を極めたプロジェクトは何でしょう?
コロナ禍でのエージェンシーの舵取りは、おそらく今までで最も困難な経験でした。皆の健康と安全を守りながら優れた作品を生み出すことは、極めて難しい。しかし今振り返ってみると、これまでで最も優れたキャンペーンをこの時期にいくつかつくることができました。例えば、SK-Ⅱの東京オリンピックのキャンペーン。世界が直面する課題を取り上げ、奥深さと有意性を表現できた。我々も新しい効率的な働き方を発見することができました。コロナ禍は紛れもなく大きな試練でしたが、これまでのキャリアの中で最も効率性の高い、実りある2年間でした。
今の日本の広告業界が直面している最大の課題は何だと思いますか?
日本はもともと同質的社会ですから、他国と比べて多数のオーディエンスを獲得するのは比較的容易でした。1本の大々的なテレビ広告が大きな社会的インパクトを与えることも少なくなかった。しかしデジタル技術の台頭で社会が細分化し、オーディエンスにリーチし、エンゲージメントを獲得することが次第に難しくなってきました。ゆえに今は様々なチャネルやタッチポイントで活用できるアイデアが極めて重要ですし、効果を生むようになってきています。
日本やアジア太平洋地域で、どのようなトレンドに着目していますか?
今のマーケティングで注目しているのは、ノスタルジアを刺激するトレンドです。日本では1970年代や80年代のパッケージやロゴといったビジュアル、ヒット曲のリバイバルが人気を博しており、クリエイティブ戦略として当面効果を発揮していくでしょう。ノスタルジアはその時代を知らない世代にも「古き良き時代」を想起させ、Z世代とベビーブーマー世代、双方同時にアピールすることができます。
もう1つは、男性向けビューティーの人気。スキンケアローションやメイクアップファンデーション、脱毛レーザーといったビューティー製品を使う男性が日本では徐々に増えつつあります。こうした傾向は男らしさに対する日本の伝統的概念と、男性のアイデンティティーに対する定義が変わりつつあることを示しています。
東京オフィスの60年に及ぶ歴史の中で、特に気に入っている作品や重要だと思われる作品は何でしょう?
私が愛着を持っているのは、2002年にスタートしたP&Gの衣料用洗剤「ボールド」のキャンペーンです。20年前の洗剤の広告に登場していたのはほとんどが女性で、みな主婦の役を演じていました。しかしボールドは男性のみを起用し、彼らが洗濯に励む姿を描いた。これは当時としては実に画期的で、家事は女性の仕事という概念の打破につながりました。
2023年になった今、多くの洗剤の広告には男性が登場します。こうした革新的な一歩を踏み出した当時のクライアントとスタッフには誇りを感じますし、感謝の念を抱きます。このようなキャンペーン制作が、家庭内の平等を促進していくのです。
今後の展望をお聞かせください。AIやNFTといったテクノロジーの勃興は、広告業界にどのような影響を及ぼすでしょう?
日本オフィスの大きな使命は設立時から変わっていません。革新的なクリエイティビティーを活用し、大きな効果を生む作品を制作してビジネス課題を解決していくことです。私にとっての優先課題も変わりません。優れたアイデアを生み出し実行できる傑出した人材と、強力なエージェンシーをつくりあげることです。
今日、我々の業界は複雑化・多様化し、こうしたアイデアを実現するためには幅広い才能・スペシャリストが求められます。日本オフィスにとって欠かせないのは、WPPジャパンの多彩な人材と戦略的かつ柔軟に協働していくことです。すでに主要なクライアントに特化した共同チームの編成を始めました。こうしたコラボレーションは今後もどんどん推進していきたいと考えています。
JAAAの役員として、今の広告業界で働く若い女性たちにどのようなアドバイスを送りますか?
キャリアアップを目指す女性たちにとって最大の壁になっているのは、日本の広告業界に女性リーダーが極めて少ないことです。それゆえ、強力な女性のロールモデルを見つけることが非常に難しい。まずは、失敗しても立ち直る強さを持ち、クリエイティブな思考を常に忘れないこと。そして、リーダーへと至る独自の道を築いてほしい。日本は変革が遅いことで知られていますから、誰かが自分を引き上げてくれるのを待つのは得策ではありません。自らイニシアティブを発揮し、成功への道のりを描いてほしいと思います。
(文:ミニー・ワン 翻訳・編集:水野龍哉)