「ブランドにとって、コロナ禍における最善の選択は広告を停止すること」。こう語るのは南オーストラリア大学教授でマーケティングサイエンスを専門とするバイロン・シャープ氏だ。同氏は10年前、『How Brands Grow(ブランドはいかに成長するか)』という著書を発表、世界の広告業界に大きな影響を与えた。
同氏はコロナ禍にメッセージを発信するブランドを酷評する。「消費者がブランドの声を聞きたがっていると考えるのは、傲慢で恥ずべきこと」とにべもない。
逆にロックダウンの3カ月間、英国で全てのマーケティング活動を停止したコカ・コーラを賞賛する。「エージェンシーに駆け込み、『コロナに関係する広告を作ろう』と息巻くよりはるかに正しい行動です。今は待ちの姿勢で、予算をセーブするべき時」。
同氏の10年前の著書は、マーケティングへの概念と各企業のマーケティング部のあり方を一変させた。ブランドの成長のためには「既存の顧客にさらに支出させるのではなく、最大限の潜在的な顧客にアピールするべき」と提唱。そのためには個性的でインパクトの強いブランドの創造と、幅広い消費者を対象としたマスマーケット向けのコミュニケーションが必要と説いた。
それから10年、「社会が変わり、メディアが進化を続け、コロナ禍の世になってもマーケティングの原理は変わりません」。
己の提言をニュートンの引力の法則にたとえ、「変わることのない科学的原理」と喝破。「マーケターは短期的変化に気を取られ、大きな流れを見失いがち。何かが起きれば、すぐに『根本的な変革だ』とインチキなことを唱える人々には注意しなければなりません。消費者は慣習を大きく変えるようなことはしない。以前の生活を愛し、それを取り戻そうとするのです」。
今の世界を覆う不況に関しても、「マーケターはパニックになることはない」。過去の不況に関するデータが示すのは、直接的に影響を受ける分野 −− 例えば旅行業界のように −− でない限り「消費者の購買習慣は大きく変わらない。景気が後退しても、スーパーマーケットで売られるものが大きく変化することはないのです」。
以下、同氏とのインタビューをまとめた。
『How Brands Grow』の出版から10年が経ちました。この間、どのような変化がありましたか?
それは、『引力の法則はまだ働いていますか?』と尋ねるようなことでしょう。残念ながら、マーケターは毎週起こる小さな変化に気を取られ、大きな流れを完全に見失っています。グローバルマーケターであれば、これまでで最大の変化は過去100年に起きた驚異的な富の蓄積だと理解すべきです。それ以前は、人口の99.9%にとって絶対的貧困が当たり前でしたから。不況の最中にこうした話をするのは変かもしれませんが、今から10年後でもこの事実は変わらないでしょう。
富の蓄積があればこそ、マーケターは職がある。富の増加は貧しい国々で最大の変化を生み出します。富める国であっても、プレミアムなビールやワインといった高級品ビジネスが成長する。また、社会が高齢化し、教育レベルも上がる。これこそが大きな流れなのです。
もう一つ、よく人から聞かれるのは新しいメディアの影響です。『How……』が出版されたのは2010年でしたが、すでにインターネットは成熟したメディアでした。我々が体験したのは、新しいメディアが登場する際に必ず起こることです。むしろそれは、シンプルになったと言える。新しいメディアが登場すれば、マーケターにとって状況は複雑になります。選択肢が突然増えるからで、やがてそれらは統合されていきます。
今、オンラインメディアの世界は極めてシンプルです。全広告費の半分を占めるのはグーグルサーチ。残りの半分のほとんどはユーチューブ −− 本質はグーグルの運営する世界的テレビネットワークですが −− と、フェイスブック、インスタグラム、グーグルの広告ネットワークのディスプレイ広告、そして印刷広告が占める。後はオンライン化 −− と言っても紙からスクリーンにツールが変わっただけですが −− されたテレビや新聞、雑誌といった従来型メディア以外、ほとんどスペースはない。ですから、メディア界の状況は2010年よりもシンプルになっています。
『How……』の内容で、最も誤解されやすい部分はどこですか?
賢いマーケターは「顧客基盤の拡大なしに、ブランドは持続的かつ本格的な成長を遂げることはできない」というメッセージをしっかりと受け取ってくれます。もしあなたがB2Bのマーケティング担当なら、すぐにわかってもらえるはずです。広告代理店にいるのなら、新しいクライアントを獲得せずに自分が成長できないことはわかるでしょう。しかし、パッケージ用品の会社にいるのなら事情はやや複雑です。
若干理解されにくい点は、極めて小口の買い手を見つけてシェアを広げていくという考え方です。それは、全く新しい顧客の獲得ではありません。獲得すべき顧客は常に存在する。例えば、その分野に足を踏み入れようとしている人々です。しかしコカ・コーラのような企業にとって「新たな顧客」とは、コーラを飲んだことがあるけれど、数年に一度しか買わないような人々です。事業成長の要因の大半は、消費者を刺激してロイヤルティを少しだけ高めることにあるのです。
『How……』には、ロイヤルティは存在しないと書いてある −− こういう人もいますが、それも誤解です。実際、「ロイヤルティはどの分野にも存在し、我々が注意を払う基本的要素の一つ」と書いてあるのですから。それは、ケビン・ロバーツ(サーチ&サーチ元CEO)が唱えた「ブランドに恋する」スタイルのロイヤルティではありません。我々のほとんどは自分の「領域」を持っていて、かつて購入したブランドに定期的に回帰します。我々は自分たちが考えるほど、ダイナミックで好奇心が旺盛ではありません。
コロナ禍のことをお聞きします。この困難な時期にあって、ある調査結果では「消費者が手当たり次第に新しいブランドを試すようになった」といいます。例えばマッキンゼーは、「米国の消費者の36%が初めてのブランドの商品を購入した」と。こうした変化によって消費者は日常の慣習から脱し、新たな行動パターンを身に付けます。消費者は年に平均して5回弱、ブランドを試すといいますが、これからは逆に減るのでしょうか?
こうした調査は意味がありません。その前に、何人の消費者が新しいブランドを試したのか具体的な数字を示さないのですから。私のチームはパンデミックの間の消費者の購買行動を分析しました。皆さんは、人々が感染を恐れて買いだめをしたと考えるでしょう。ところが、メディアが伝えたような買いだめは起きたと言い難いのです。確かにトイレットペーパーのような品は売り切れました。なぜならこうした商品は、一定の需要に対応する資本集約型の工場で生産されるからです。こうした工場は急激な需要の増加には対応できません。トイレットペーパーは保管するにも場所を取るので、店舗や倉庫は在庫を抱えたくない。ですから需要が少し増えただけで、全てのチェーン店は混乱に陥ってしまうのです。これがパンデミック時に起きたことです。消費者が少しでも多くの品を買うだけで、店の陳列棚がすぐ空になってしまうのです。
ロックダウンの最中にはもう一つ、予想された出来事が起きました。それは実際の店舗での売上げが大きく落ち込み、宅配が伸びたことです。しかしロックダウンが解除されれば、全てはまた正常に戻る。何かあれば「根本的な変革だ」とすぐにインチキなことを唱える人々には、注意しなければなりません。消費者は以前の生活を愛し、それを取り戻そうとするのです。
最新の「エデルマン・トラストバロメーター」の調査結果では、消費者の64%が「新しいブランドよりも世間で認知・確立されたブランドを選ぶ」と答えています。信用が一番ならば、有名ブランドへのロイヤルティはより高まるのでしょうか?
すでに消費者は、伝統と名声のあるビッグブランドに若干心を寄せています。おそらくそれは、人々の買い物時間が通常よりも短くなったからでしょう。ただでさえ消費者の買い物の時間は短いのに、これは驚きです。ソーシャルディスタンシングも関係しています。「これは先週買ったコンブチャのブランドだ。今日は他のを試してみよう」などとは考えず、「飲み物が必要だから、コーラを買おう」といち早く決断する。もっとも、こうした消費者の傾向はまだ主流ではありませんが。
同調査では、消費者がコロナ禍の生活に役立つ商品やサービスを広告主に提供してほしいと考えていることもわかりました。あなたはブランドパーパスを酷評してきましたが、コロナ後の世界ではそれが変わると思いますか?
「自分のブランドは人々の生活にとって極めて重要だ。コロナに関する情報はチーフメディカルオフィサー(主席医務官、国家の医療行政のトップ)からのものも含めて何百万とあふれているが、メッセージを送れば消費者は関心を持ってくれるはず」 −− このようにマーケターが考えるのは、極めて傲慢です。恥ずべき傲慢さでしょう。我々は、消費者とその生活をよく理解しなければいけない立場なのですから。
ユーチューブ上でコロナに関わる広告がまとめて投稿されていましたが、他のブランドパーパスを訴える広告と同じく、クリエイティビティのかけらもありません。どの広告もメッセージは同じです −− 「この未曾有の困難の中、あなたの助けになるのは私たちです」。極めて馬鹿げていますね。メディアではコロナに関するニュースがあふれているのですから。
英国のコカ・コーラは、しばらくの間広告の配信を停止しました。消費者は今、ブランドどころではないと理解しているからです。エージェンシーに駆け込んで、「コロナに関係する広告を作ろう」と息巻くより、はるかに正しい行動だと思います。
いつもあなたは、「コミュニケーションを続けなければ消費者に忘れられる。ブランドにとってダメージになる」と唱えていませんか?
その通り、私はコミュニケーションの継続性を強く唱えていますが、コロナに関わる広告は深い思慮と分別が求められる問題です。こうした広告があふれているのだから、今は待ちの姿勢で予算をセーブすべきでしょう。コカ・コーラのような大きなブランドであれば、数カ月メッセージを発信しなくても問題はない。状況が落ち着いてきたら、また存在感をアピールできるのですから。
英国では、政治やダイバーシティといった現代における重要課題で独自のスタンスを取るブランドがいくつかあります。潜在的な顧客を逃すべきではないという話をしましたが、こうしたブランドは幅広い顧客を取り込むため、ニュートラルな姿勢を取るべきだと思いますか? 政治にはいつも二つの異なる意見があります。政治的立場を明確にすれば、自分が正しいと思う側にいても異なる考えの人々を遠ざけてしまう危険性がある。しかしながら私はマーケティングのプロとして、ブランドと直接関係のないメッセージを送る姿勢に強い興味を抱きます。
マーケターは、特にこのブランドパーパスの分野で傲慢になっています。我々はブレクジット(英国のEU離脱)やトランプの大統領選での指名獲得と勝利、ボリス・ジョンソン(英首相)の地滑り的勝利、そして豪・労働党の敗北などに強い衝撃を受けました。どこかで冷静に事実を受け入れ、自分の勘違いを正さなければなりません。
実際、私はこのテーマで是非世論調査をやってみたい。ベン&ジェリーズ(米アイスクリーム大手)は、政治姿勢を最も明確に掲げるブランドの一つと言われています。街行く人々が一体どれだけそれを知っているか、是非知りたいですね。きっと聞かれた人々は、「ああ、あのクッキードウのアイスクリームでしょ?」とだけ答えるでしょうが。
スターバックスのCEOは、「音楽がビジネスの大きな成功要因だった」と語っていました。スターバックスは店舗でかける楽曲を扱う音楽レーベルも持っていました。信じ難いですよね。これは、どうすれば中高年の人々を魅了できるかをよく示しています。
最後の質問です。自分の理論を考え直すようなブランドや状況に遭遇したことはありますか?
しょっちゅうです。いつもそういう動きをチェックしていますから。私のチームは、自分たちが望むような結論に対しても極めて懐疑的です。でも、存在感や消費者の認知度を高めずに大きくなったブランドなどあるでしょうか? 答えはノーなのです。
(文:ケイト・マギー、翻訳・編集:水野龍哉)