クライアントからエージェンシーに、新しいキャンペーンの制作依頼が届いた。誰もが「よし、やるぞ」と奮い立つ。これは、斬新なもの、賞が獲れそうな作品、これまでとは違うクリエイティブを生み出すチャンスだ。
戦略が簡潔にまとめられ、クリエイティブチームにはブリーフィングが行われる(その時、彼らはすでにペンやキーボード、タッチスクリーンを手にして待ち構えている)。そうして、広告制作が動き出す。
若干のやりとりはあったものの、クライアントは提案されたアイデアに乗り気だ。
ディレクター用のトリートメントが瞬く間に完成し、4日後の撮影が決まる。チームが臨戦態勢に入って万事順調に進んでいると思われたその時、誰かが多様性は、と言い出す……。
この時点でコンテンツにインクルージョン(包括性)を追加しようとしても、たいていうまくいかない。
私たちが昨今目にしているコンテンツに、社会の主流から外れたグループ(少数民族、LGBT+、障がい者のコミュニティ)に属する人物が登場する場合、それはキャスティングの段階で役が設定され、それ以前に作られたストーリーに当てはめられていることが多い。しかも、そのストーリーは必ずと言っていいほど、ストレートの白人健常者を念頭に置いたものだ。たとえそう明記されていなくとも、あるいはそう意図されていなくとも、大半の人は脚本を構想するとき、そうしたイメージを思い描いている。それは、制作サイドの発想が自らの経験に基づいているからだ。
キャスティングの段階に至って初めて、多様性をコンテンツに追加しようとすると、確かに表面上は多様になるが、オーセンティシティー(真正性)までは得られない。その結果、私たちの仕事はほぼ間違いなく、かたちばかりのものになる。そうした集団に属する人たちの文化的なニュアンスや実体験は、セットや衣装、動作や人物像になにひとつ組み込まれていないからだ。それに気づく人はあまりいないかもしれないが、当事者だけは違う。なぜならそこで描かれているグループに属する人間なら、今目にしている姿が自分ではないとすぐにわかるからだ。
自分のように見えるかもしれないが、自分ではない。それは、他のグループに属する人は、他の人の不正確な描写を目にしているということを意味する。これは、決して正しくない。
最大の過ちは、私たちがクリエイティブの過程で、しかるべき実体験や文化的理解を持った当事者たちと、しかるべきタイミングで会話をしていないことだ。登場人物をオーディエンスの代表として描くことで、感情的な賛同を得て、対価を得たいと本気で思っているならば、物事を正しく進める必要がある。
当然のことだが、広告が多様性に関して過ちを犯したときに、声を上げる資格があるのは、当該コミュニティに属する人だけではない。「すべての」オーディエンスだ。
私たちは1年前、多様性に特化したコンサルティング会社、ダイバーシティー・スタンダード・コレクティブ(DSC)を設立した。目指すのは、ブランドとエージェンシーを、世界中の多様なプロフェッショナルや消費者たちとつなぐことだ。これによりブランドとエージェンシーは、自分たちが制作するコンテンツに関するインサイトやガイダンス、確証を得られ、物事を正しく進めるための学びと実践が可能になる。
広告エージェンシーのラッキージェネラルズ(Lucky Generals)は、設立当初からDSCとともに歩んできた。
ラッキージェネラルズとDSCは、パートナーとして提携し、アマゾンの2021年ホリデーキャンペーンや、Co-opの過去3回のキャンペーン、不動産サイトZoopla、エネルギー企業SSEなどの広告に取り組みながら、世界各地のさまざまなコミュニティに呼びかけ、インクルージョンだけではなくオーセンティシティーについても支援してきた。
ラッキージェネラルズとDSCが先ごろ、Zooplaの直近のキャンペーンを手がけた際、クリエイターは南アジア系の人物や黒人、50歳以上などを含む、さまざまなコミュニティが登場する一連の場面を設定した。往々にして、そうしたコミュニティに属する人々は、これまで誤ったかたちで描写されてきた。しかも、それは今でも変わっていない。そこでラッキージェネラルズとZooplaは、制作したキャンペーンを各コミュニティのベテランコンサルタントたちに見てもらうことで、文化的ニュアンスがより反映されるよう内容を吟味するとともに、彼らについてのステレオタイプや、時代遅れで使い古された不正確な描写を排除することを試みた。
例えば、黒人や異人種家庭というと決まって、ダウンタウンの集合住宅に住んでいる描写を目にするだろう。DSCのコンサルタントは、そうした家族の表現を、郊外の邸宅に住んでいる描写に切り替えて、ストーリーを転換するように勧めた。また、ごく平凡であまり目立たない要素だが、実は重要な意味を持つ表現についても助言した。つまり、黒人少女に、彼女にふさわしい髪形をさせることなどを求めたのだ。
DSCのコンサルタントが、クリエイターに提案した率直なフィードバックをいくつか紹介しよう。
バイレイシャルの黒人コンサルタント:「黒人の家族を描く際、品格や美的センス、財産がない人々だとほのめかすことは避けるべきだ。例えば、彼や彼女は、親がインテリアデザイナーで素敵な家に住んでいる可能性もあるし、看護師や受付係ではないかもしれない。下層階級の黒人家族という偏った固定観念を払拭して、彼らが郊外の邸宅に住んでいる設定にしてはどうか」
「また、少女の黒髪は後ろでお団子にまとめるべきではない。広告でそうした髪形を見ると、なんだか怠惰な印象を受けるし、彼女の自然な髪が引き立たない」
DSCの別のコンサルタントは、南アジア系の家族は、たいてい多世代が同居する大所帯として描かれており、全員が民族衣装のサリーを着ていると指摘する。だが、サリーは特別な行事のときしか身に着けない衣装であり、自宅での昼食時に軽く羽織るようなものではないという。
また、若いカップルが2人で暮らしているが、結婚指輪はしていないという設定は、南アジア系の若いカップルの描き方としては新鮮だとしている。
南アジア系コンサルタント:「脚本もシーン設定も素晴らしい。南アジア系への固定観念が一切見られず、ごく普通の生活が描写されている。大家族でないのも新鮮で面白い。このストーリーなら自分にも当てはめることができる」
要するに、多様性の表現とオーセンティシティーは、あとから付け足せるようなものではないということだ。広告を巡るこうした要素は、クリエイティブのプロセスのあらゆる段階と同様、多大な時間と労力、熟慮が必要になる。
「よし、やるぞ」という最初の興奮が収まり次第、次に考えるべきなのは、「オーディエンス全体を代表すると同時に、真正性のある広告に作るにはどうすればいいのか」ということなのだ。
リッチ・マイルズ氏は、DSCの共同設立者で最高経営責任者。