妊娠が分かったとき、会社に伝えるかどうか、大いに迷った。ほとんどの妊婦がそうであるように、私も妊娠3カ月までは周りに言わないよう、とても慎重だった。
その時期に、さまざまなことを深く思い悩んだ。妊娠がキャリアにどう影響するのか、同僚やクライアントにどう思われるだろうか、もはや「何が何でも結果を出す」タイプのリーダーではなくなったと見られてしまうのではないか……。
広告界で働く女性たち、特にリーダーシップを発揮するポジションにある女性たちは、その地位に就き、維持するために、並々ならぬ努力を重ねている。私自身も含め、私の知るほとんどの女性リーダーは、男性型のリーダーシップを追求している訳ではないが、プロフェッショナルとしてのペルソナを慎重に作り上げている。強く、大胆で、積極的で、決断力に富み、エネルギッシュで、結果重視かつ人を大切にする……といったペルソナだ。廊下を歩く私の姿には常に使命感に燃える空気が漂っていると、男性の同僚から評されたこともある。
妊娠して月日が経過するとともに身体が変化し、ホルモンの作用によってひどい疲労感に襲われるようになった。眠気を払うために、会議を中座して顔を洗わなければならなかった。そんなことは、テレビ撮影のために2、3日徹夜を続けたときですら、一度も経験したことがなかったというのに。世界で最も労働時間の長い香港で、広告の仕事に13年間従事し、睡眠や休息をほとんどとらなくても大丈夫なよう鍛えられたはずなのに。
妊娠中は、色々と複雑な気持ちがした。身体からのサインにわざと気付かないふりをしようとする自分もいた。私は常に、身体の状態は心の状態に左右されると考えている。身体が元気であれば心も健やか、ということではない。だから、精神的な強さがあれば、妊娠したこの身体も言うことを聞いてくれて、今までと同じ働き方や労働時間を維持できるはずだと考えていた。また、罪悪感もあった。広告界で働く女性は、信じられないほど猛烈に自分に厳しく、全てをこなそうとしてしまうのだ。あらゆる会議に出席して貢献しようとするし、自分の仕事よりも人のために時間を作り、協力しようという気持ちが強い。そして、人の手本となるよう心掛け、しばしば自分よりも相手のことを優先する……といった具合だ。
広告界にとって、多様性は間違いなく重要な要素だが、この業界で働き続ける理由を突き詰めると、「広告の仕事が理屈抜きに好き」という揺るぎない想いに尽きる。広告界はジェットコースターのように浮き沈みが激しく、一日の中でもありとあらゆる感情の起伏に見舞われる。しかし、だからこそ広告の仕事は面白く、中毒性があると言っても過言ではない。「くだらないアイデアでも、ダメでもともと。とにかく出してみよう」といったやりとりが、アワード受賞作品のブレーンストーミングへと発展することも多い。また、素晴らしいプレゼンテーションでクライアントを魅了し、まるで宇宙旅行に出掛けて月に着陸できたかのような気分を味わってもらうこともできる。何も、広告界にはワーカホリック(仕事中毒者)ばかりだと言いたい訳ではないが、私たちが仕事にプライドを持っていることは確かだ。そして、そのプライドには中毒性があり、私たちが仕事に果てしない情熱を傾け、深夜を過ぎてもなお働き続ける原動力にもなっている。
あるとき、妊娠した自分の状況を難しくしているのは、会社や同僚でもクライアントでもなく、自分自身であることに気付いた。私は、自分の思考、罪悪感、プライドにとらわれ過ぎていたのだ。何とも皮肉なのは、広告の世界で成功するための鍵は、環境適応力だということ。絶えず進化する業界において、私たちはさまざまな重要事項を、うまくさばき続けなければならない。しかし私は「新しい自分」、つまり、妊娠した自分に適応することに完全に失敗していたのだ。
私は、誰かに「こうするべき」と語れるような立場にはない。広告界で学ぶべきことがまだ沢山あるし、それ以上に、母親になるにあたって、多くを学ばなければならないと自覚している。
ただ、経験を踏まえて、いくつか参考にしてほしいヒントを共有したい。妊娠したら、必ず会社には伝えること。何も全社員向けに通知することを勧めるものではないが、妊娠について話し合うことを躊躇しないでほしい。私のケースでは、会社は大いに理解を示してくれ、フレックスタイムで働くことや、その他の必要なサポートについて相談することができた。そして、職場でのこうした対応以上に大切なのが、自分でペース配分をし、気楽に構え、ゆったり歩みを進めることだ。締め切りが消えて無くなるわけではないが、何とかする方法はいつでも見つけることができるものだ。そして最も重要なことは、自分の体調をよく把握することだ。
私は妊娠9週目に超音波検査で異常が見つかり、安静にするよう医師から言い渡されてしまった。幸いにも、今は回復して全て順調だ。仕事にも復帰し、妊娠第二期を迎えている。
とはいえ、統計を見ると怖くなる。妊娠第一期の流産率は25%だし、私の年代では、その確率はさらに高い。しかし仕事やキャリアとの両立においては、こうした統計よりももっと意識を向け、注意を払うべきことがあると、私は身をもって学んだ。生まれてくる子どもこそが、人生の最重要プロジェクトであることは疑う余地がなく、私以外の誰にも担うことのできない大仕事なのだから。
ジャクリーン・ラムは、ピュブリシス香港のクライアント・サービス・ディレクター。
(翻訳:鎌田文子 編集:田崎亮子)