新型コロナウイルス感染症に関するデマや誤情報の拡散は、ウイルスそのものと同じくらい公衆衛生にとって危険であることが明らかになっている。複数の研究により、悪質な情報への接触と、ワクチン接種忌避およびワクチン接種率の低下のあいだに、明確な相関関係があることが分かってきたのだ。このように世界的な反ワクチン運動を後押しした「戦犯」でもあるSNSツールを、ワクチン接種率の向上に利用するにはどうすればよいだろうか?
これこそが、2022年のヤングスパイクス・コンペティションのデジタル部門で、参加者に与えられた課題だ。GAVIアライアンス(Gavi, the Vaccine Alliance)が求めていたのは、誤情報にあふれたソーシャルメディアのフィードに埋もれることなく、アジアの低中所得国の成人に新型コロナワクチンの接種を促すための提案だ。
ワクチン接種キャンペーンの大半は科学的説明を基盤としたアプローチをとるが、パンデミックが蔓延する中、あらゆる組織(政府、企業、メディア)に対する信頼が低下している状況では、こうした手法の効果は薄い。ヤングスパイクスの参加チームに必要なのは、簡単には見過ごせないような大胆なアイディアだった。
もしも、接種を勧めるメッセージを発信するのが新型コロナウイルス感染症で亡くなった人だったら?これが、有田絢音氏と中村心氏が提案するキャンペーンのコンセプトだ。二人のこのアイディアは、ヤングスパイクスのデジタル部門コンペティションに参加した他の16チームを抑え、ゴールドを獲得した。
ブリーフィングのあと、中村氏は「強烈なアイディアは、常に深いインサイトから湧き上がる」と考えた。そこで二人は、新型コロナウイルス感染症で家族を失った人々に何度もインタビューを実施した。そして、このプロセスを通じ、彼らは非常に重大で本質的な事実に直面した。亡くなった人のほとんどは、ワクチン接種さえ受けていれば、命を落とさずに済んだのだ。
有田氏と中村氏はリサーチを続ける中で、誤情報を信じる人たちも、自分自身の経験を語る人の言葉になら耳を傾けるのではないかと考えた。
「人は誤情報を読むようになると、自分の信じたいことしか見えなくなり、反対意見に向き合ったり、受け入れたりすることが困難になります。それを覆すには、強烈なフックが必要だと考えました」と、有田氏はCampaign Asia Pacificに語った。
こうした洞察をもとに、故人(ワクチンの実用化以前に新型コロナウイルス感染症で亡くなった人々)のオンラインアカウントを甦らせ、彼らのプロフィールを使って、ワクチンは命を救うというメッセージを発信するという、二人のアイディアは誕生した。
2022年ヤングスパイクス デジタル部門 最終結果 | ||
結果 | エントリータイトル | チーム |
ゴールド |
#GetVaccineForTheirSake (彼らのためにワクチンを打って) |
中村心(FACT アートディレクター)、有田絢音(ADKグループ コピーライター) |
シルバー |
Only If(もしも) | ザヒド・アラム・ショボン(マッドメン・デジタル シニア戦略マネージャー)、モアゼム・モッタキン(マッドメン・デジタル キーアカウントマネージャー) |
ブロンズ |
The Social Swab (ソーシャル・スワブ) |
ランディ・バラセロス(トライバルDDBフィリピン シニアアートディレクター)、ポーリーン・フナ(トライバルDDBフィリピン シニアソーシャルメディアプロデューサー) |
チームの提案は以下のとおりだ。まず、亡くなった人のソーシャルメディアアカウントを、遺族の許可を得て再開し、「皆さんに大切なお知らせがあります」というメッセージを投稿する。これはキャンペーンのティザーとなる。
次に、チームはAI技術を利用して、亡くなった人々の「ディープフェイク」動画を制作し、そのなかでワクチン接種をためらう人に、考え直して欲しいと語らせた。キャンペーンのAI動画部分は、2019年にヤマハが制作した美空ひばりのAI歌唱映像からヒントを得たものだ。
最後に、遺族や故人の友人に依頼して、亡くなった人の「X年前の今日」の思い出写真を投稿してもらい、彼らが大切な人を新型コロナウイルス感染症で亡くしたこと、ワクチンがあれば助かったことを印象づけた。
「これは世界中の多くの人々にとって、とてもデリケートで、慎重に扱わなければならない問題です。それでも私たちは、ワクチンが普及する前に亡くなった方々に敬意を表したいと思いました」と、有田氏は説明する。
デジタル部門コンペティションの審査員を務めた、電通のクリエイティブディレクターおよびPRアーキテクトである中川諒氏は、このアイディアが「コンペティションの中で一番力強い」ものだったと述べる。
中川氏は、「私たちは新型コロナワクチンがある世界に暮らしています。ワクチンがない世界に比べれば、ずっと恵まれています」として、「この事実は、日常生活のなかであまり意識されてはいませんが、私たちの認識を一変させる力も秘めています。テーマに対する的確さとインサイトは、他のアイディアと比べても頭ひとつ抜けていました。私個人からもゴールドを贈りたいですね」と述べた。
有田氏と中村氏がタッグを組んだのは、今回のコンペティションが初めてだった。有田氏は以前にもヤングライオンズのコンペティションにエントリーしていたが、受賞は今回が初めてだ。同氏は「社内でアートディレクターとして有名」だった中村氏に、パートナーとして一緒に参加してほしいと依頼した。有田氏と中村氏は、いずれもADKグループの一員であり、中村氏はグループ傘下の専門エージェンシーであるFACTでアートディレクターを務めている。
今回初めてヤングスパイクスにエントリーした中村氏は、「専門領域の外で自分を試してみたかった」と語る。
「ヤングスパイクスは世界的に有名なコンペティションです。世界のクリエイターが注目するこのコンペティションに参加することで、自分が国際的な基準でこの業界にどれだけ貢献できるのかを知りたかったのです」と、中村氏は言う。
両氏は初めて共に仕事をするにあたり、「まずはお互いを知るところからスタートしました。どんな人で、どこからアイディアを得ていて、どんな長所と短所があるのか」と、有田氏は語る。
二人とも、このコンペティションから仕事に活かせる貴重な経験が得られたという。
有田氏:「自分の長所と短所を理解できました。私の短所は、アイディアを論理的に説明するのが苦手なところです。彼(中村氏)は論理的な説明がとても上手いので、本当に勉強になりました。反対に、大胆なアイディアを生み出し、クリエイティブなインサイトを引き出せるのは、自分の長所だとわかり、自信が持てました」
中村氏:「準備の大切さを実感しました。今回のコンペティションでは、どうすれば勝てるかじっくり考えて作戦を練りました。例えば、モックを作ることで自分たちの考えを明確にすることができました。また、過去の多くの作品のリサーチを通して、勝つためには何が必要かを考え抜きました」
二人はリサーチの一環として、カンヌライオンズやスパイクスアジアの過去の受賞作品を見直した。そこから「シンプルなアイディアの力」を学んだと、中村氏は言う。
「個人的に、提案(とくに応募フォームから提出するビジュアルやアートディレクションについて)は、シンプルで分かりやすくするように、いつも心がけていました。今年のデジタルコンペティションでは、審査員の前でのライブセッションがなかったのも、分かりやすさを心がけた理由の一つです」と、中村氏は言う。
そして、二人が最も気にかけていたのは、自分たちのアイディアに「ターゲットの認識を変え、行動までも変えるだけの力があるか」ということだったという。