Matthew Miller
2021年7月21日

「月面ビジネス」の時代へ

日本の宇宙開発ベンチャー企業ispace(アイスペース)による月面探査計画が最終段階に入った。同社には戦略パートナーとして電通が参画。スポンサー企業も数多くつく。

「月面ビジネス」の時代へ

民間初の月面探査プログラム「HAKUTO(ハクト )-R」の実現を目指すアイスペースが先週、月着陸船(ランダー)のフライトモデル組み立てに入ったと発表した。

ランダーのフライトモデルは、鍵となる熱構造モデルの環境試験を完了。今後の組み立て作業はドイツにある航空宇宙関連企業アリアングループの施設で行われる。すべて順調に進めば最終試験後に米国へ輸送、スペースX社の主力ロケット「ファルコン9」で2022年後半に打ち上げられる予定だ。

また、アイスペースのパートナー社である日本特殊陶業は月面で固体電池の実証実験を、シチズン時計は独自開発素材を使った部品をランダーに提供することも決定した。

アイスペースへの投資企業で戦略的パートナーでもある電通は、これまでアイスペースとパートナー企業との橋渡し役を務めてきた。有効な投資手段についても、アドバイザーとしての役割を果たす。

アイスペースは、23年にも自社が開発した月面探査車を搭載したランダーを打ち上げる予定。こうした意欲的な計画は、同社にとってスタート地点に過ぎない。最終目標は月面探査によって商業的エコシステムを確立させ、月に人を居住させることにある。

HAKUTOと電通が連携したのは、Xプライズ財団(スポンサーはグーグル)が主催した月面探査コンテスト「ルナXプライズ」が契機だった。コンテストは最終選考に5団体が残ったが、2018年に勝者がないまま打ち切りとなった。

HAKUTOの名は、月にまつわる日本の伝承「白兎」と4輪探査車のデザインに因む。新たに付け加えられた「R」は、再起動を意味する「reboot」の頭文字からとった。

効果は「ロゴの露出」のみならず

HAKUTO-Rには現在8社のコーポレートパートナー企業がおり、最上位とそれに次ぐパートナーは今も募集中。日本特殊陶業とシチズン以外には、日本航空、スズキ、三井住友海上火災保険、高砂熱学工業、住友商事、三井住友銀行、SMBC日興証券が名を連ねる。電通は他のパートナーとして宇宙関連に限らず、電力・エネルギー、医薬品、ヘルスケア、日用消費財といった分野の企業を模索する。電通のソリューションクリエーションセンターでシニアソリューションディレクターを務める増原香絵氏は、以下のように述べる。

「我々がこの事業でクライアントに提供できるサービスは4点に要約できます。1つはテクノロジー開発の協働。2つめはオリジナル動画やグラフィックなどの制作。3つめはイベントやキャンペーンの企画と実施。そして4つめが、ブランド露出を増やして認知度を高めていくことです」


アイスペースのコミュニケーションマネージャー、アーロン・ソレンソン氏は、「ランダーでロゴを見せたいだけのパートナーは求めていません」と話す。

「我が社の大きなビジョンは、これまで宇宙・航空産業と関わりのなかった企業に月での事業に参画してもらうこと。近い将来は、月面活動はまだ政府主導のものが主流でしょう。しかし長期的視野に立てば、民間セクターが深く関与してくることは必至です。月での経済活動の維持や人の滞在の長期化、さらには宇宙全体への関与が深まっていく。必然的に建設や開発、エネルギーといった分野の需要が生まれます」

そうした意味で、固体電池の実験を行う日本特殊陶業とのパートナーシップはアイスペースにとって理想の1つだ。「月では夜の気温が非常に低くなるので、電池(電力の供給)は大きな課題」とソレンソン氏。通常のリチウムイオン電池は液体電解質を使用するため、低温では凍ってしまい、機能しない。中国の月面探査車「玉兎2号」は熱力を生むために放射性物質を使用しており、コストと危険性が高い。「日本特殊陶業の固体電池は理論上、夜でも凍ることがないのです」。来年の月面探査ではその実証実験のみが行われ、ランダーのシステムにはまだ応用されない。


シチズンは、ランダーに直接的な貢献をする。表面の強度を高める独自開発の素材「スーパーチタニウム」が、ランダーの着陸脚に使用されるのだ。また、メンズ腕時計ブランド「シチズンアテッサ」から月をテーマとしたHAKUTO-Rとのコラボレーションモデル2種類を発売した(写真下)。


「月での事業参入に明確な創造性と目標を持ち、我々のミッションやビジョンにプラスとなる企業との協働を望んでいます」(ソレンソン氏)。仮に日本特殊陶業の実証実験が成功すれば、バッテリーテクノロジーにとっての意義は大きい。地球上の過酷な気候条件でも機能する電池として、同社は商品化を目指す。

三井住友海上火災保険の親会社であるMS&ADは、月面活動を対象とした保険サービスの展開を目指す。これは将来的に、月で様々な事業を行う企業にとって欠かせぬものになろう。現在、ロケットや人工衛星の打ち上げを対象とした保険商品はあるが、地球と月の間の宇宙空間や月面での活動を想定した商品はない。「我が社のパートナーになればブランド露出が増えるだけでなく、ミッションに関する必要な知識が得られる。リスクや課題、コスト面、そしてタイムスケジュール……。チームの一員としてこうしたインサイトが得られれば、顧客の需要に合ったポリシーが立てられるはずです」。

アイスペースの主要なライバルは、ドイツのPTS社と米国のアストロボティック社だ。メディアはどこが最初に月面着陸に成功するかという点に着目するが、ソレンソン氏はこうした競争は意に介さない。

「我々にとって一番になることは重要ではありません。重要なのは、持続可能性です」。HAKUTO-Rは来年と再来年のミッション計画を同時に進めている。「我が社の目標は高い頻度でミッションを送り出すこと」。ルナXプライズでは月への一番乗りに重点が置かれたが、「今は月で事業を生み出すことが重要。長期的に継続できる事業と産業を創出することです」。

その目標に向け、アイスペースは先週、産・学・官連携のワーキンググループ「月面産業ビジョン協議会」にも参画した。同委員会は内閣府の井上信治・宇宙政策担当大臣に対し、日本における月面ビジネスのエコシステム構築を目指す白書「月面産業ビジョン〜Planet6.0時代に向けて」を提出している。

(文:マシュー・ミラー 翻訳・編集:水野龍哉)

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