2022年は、「メタバースの年」になるはずだった。ザッカーバーグ氏は世の中を顧みぬかのように、途方もない時間と予算を仮想世界に費やした。一方、我々はと言えば、生活費の高騰やパンデミック、気候変動への対応で現実世界を生きるのに懸命だった。
結果的に、メタバースのブームは起きなかった。メタバース事業を担う「リアリティ・ラボ」にメタは137億ドル(約1兆7800万円)の予算を投入。実に高い「賭け」に出たが、いまだ成果は出ていない。そして多くのブランドもそれに乗り、挫折。ディセントラランド(メタバース構想のブロックチェーンプロジェクト)やサンドボックス(通常利用するシステム上の領域から隔離された、安全が確立された仮想環境)で「エステート」を購入し、新たなエクスペリエンスを創造しようとしたが、ユーザーを魅了するには至らなかった。ディセントラランドのアクティブユーザー数は現在、1日平均わずか810人に過ぎない。
では、メタバースはもう終わりなのだろうか。それとも新たな進化を果たし、チャットGPTやミッドジャーニーなどのAIツールのように大きなブームを起こせるのだろうか。
「メタバースはいつの間にか雲散霧消してしまった」と話すのは、豪デジタルエージェンシー「アフィニティー」のデジタル部門責任者、ロブ・ミルス氏。「今も関心は持たれていますが、ほとんどの人はどのように実用化できるのか理解していない。ブロックチェーンのような軌跡を辿るのではないでしょうか。今は姿が見えなくても、いつかまた戻ってくる。技術が確立し、社会や人々の日常生活の中で役割が確立するまで、しばらく試行錯誤が続くのかもしれない」
仮想現実の「非現実性」
メタバースは何しろややこしい。「メタバースとは何か」と聞かれても、大方の人は正しく答えられないだろう。実際、その正体ははっきりしない。仮想現実(VR)なのか、複合現実(MR、現実とVRを融合させる技術)なのか、はたまた拡張現実(AR)なのか。あるいは、足のないアバターなのか。こうした捉えどころのなさが一般に浸透しない理由の1つだろう。
「メタバースの必要性がまだよく理解されていない。利用したいと思わせる説得力あるアピールができていないのです」と話すのは、豪エージェンシー「エニグマ」のデジタルストラテジスト、アントニオ・パヌッチョ氏。「この5年間、ブランドは新しいテクノロジーや流行をいち早く取り入れてきた。おそらく、それが早過ぎたのかもしれない。NFT(非代替性トークン)は登場してからすぐにピークを迎え、衰えました。メタバースは衰退したとまでは言えないが、同様の道を歩んでいます」
英メディアエージェンシー「VCCP」のリージョナルクリエイティブディレクター、ガイ・フッチャー氏は、「ブランドは新しいテクノロジーが出るとすぐに飛びついて、『世界で一番早く取り入れた』と喧伝しますが、それをどう活用するかというアイデアが往々にして凡庸。メタバースに関しても同様です」
「企業の多くが最も肝心なことを忘れている。それは、消費者が実際に使ってみたいと思うかどうかということ。結果的に、メタバースも高額な『デジタル・ゴーストタウン』をつくるだけに終わってしまっている」
今年、メタバースは復活するのか
それでも、昨年はメタバースにとって悪いことばかりではなかった。少なくとも、より多くの人々がメタバースという存在を知った。
「サンドボックスやディセントラランドといった、特定のプラットフォームの枠を超える存在がメタバース。我々の生活の可能性を広げる、イマーシブ(没入感のある)でよりインパクトのある現実をつくるという概念を確立した」と話すのは、クリエイティブエージェンシー「バーチューAPAC」のアソシエイトクリエイティブディレクター、ヌーノ・ドレス氏だ。
「このまま進化していけば、VRを利用するゲームの数は2031年には2021年の倍になると言われている。ロブロックス(ゲーミングプラットフォーム)は登場してから10年以上経ちますが、2021年は1日のアクティブユーザー数が31%伸びた。今はメタバースの新しい実験的プラットフォームが公開されています。ボアード・エイプ・ヨット・クラブ(NFTコレクションプロジェクト)の『アザーサイド』や、ファブリカント(デジタルファッション企業)の『ホールランド』などです。これらプラットフォームの登場で、マーケティング業界ではすでにメタバースが復活したという声も出ている。こうした流れは今年以降、本格的になるとみています」
メディアモンクス東京オフィスのシニアストラテジーディレクター、矢井宏長氏は、「メタバースはテクノロジーの進化とともにゆっくりと成長を遂げてきたプラットフォーム。今後もそれが続いていくでしょう」と話す。
「誇張されてきた部分だけに囚われると、メタバースの本質を見誤る。日本では富士ソフト(システム開発)やエン・ジャパン(人材紹介サービス)、HIKKY(ヒッキー、VR事業)など、従業員がアバターを利用して働く企業がますます増えています。銀行や医薬品メーカーなど、従来型の企業も然り。メタバースプラットフォーム『クラスター』を活用してイベントを開き、テクノロジー人材の確保に努めている。メタバースはゆっくりと着実に、日本人の生活文化に浸透しています。ブームにはならないでしょうが、この傾向は続いていく」
メタバースは終わりどころか、すでに復活の兆しを見せているのだ。
「マーケティング業界はメタバースに対する古い概念を捨て、イマーシブなバーチャルエクスペリエンスの機能・目的に新たな意義を見出しつつある。さらにはブランドと消費者、テクノロジーとの関係性にも着目しています」と話すのは電通ソリューションズのシニアストラテジスト、ロビン・ラウ氏だ。「Bondee(ボンディー、メタバースアプリ)のようなパーソナライズ化されたB2Cエクスペリエンスから、ASUS(エイスース、台湾パソコンメーカー)の3Dラップトップディスプレーのように次世代VRを担う最新テクノロジーまで、その領域は多岐にわたっている」
ブランドアクティベーションへの応用
「ブランドにとって重要なのは、いかに楽しさを演出し、イマーシブな空間をつくるかということ」と話すのは、豪デジタルエージェンシー「ザ・ワークス」でデジタルエクスペリエンスとイノベーション部門の責任者を務めるマイク・ジョーンズ氏だ。「そして、メタバースはエクスペリエンスの共有、という認識も肝要。新たな『デジタル広場』になる可能性を秘めています」
その活用例が、全豪オープンテニスだ。昨年、同社はディセントラランドの中に大会の空間を作成。だが安全性を考慮し過ぎ、プラットフォームは見つけにくく、ユーザーにはアクセスが煩雑なデジタルウォレットのアカウント利用を求めた。初心者には極めてハードルの高いものだった。
今年はそれを改善すべく、ロブロックス内に移動。アクセスは容易になり、コスト効率も向上した。デジタルウォレットは廃止し、ユーザーに求められたのは無料のロブロックスアカウントだけ。その結果、大きな成功を収め、実際の大会の2.5倍のビジターを集めた。
「この経験で得た学びは、使いやすいツールにしてエントリーのハードルを下げるということ。今年は他のブランドもこうした手法をとるでしょう」とジョーンズ氏。
TBWAアジアのイノベーション責任者、テッサ・コンラッド氏は、「メタバースが十分に浸透するには信頼性をもう一度取り戻さねばならない」と話す。「そのために必要なのは時間と、積極的な運用の繰り返し」
「大きな課題の1つは、メタバースの未来の鍵となるブロックチェーンの規定とコミュニティー、そしてブランドセーフティーの確立」と同氏。「こうした要素はある時点で満たされる。新しいテクノロジーが普及する際はいつもそうです。ただ、今のまま放置しておけば誤った方向に行ってしまう」
コンラッド氏はメタバースの未来と可能性、そしてブランドが担っていく役割については楽観的に捉える。
「今年はメタバースのコミュニティーに注目が集まるでしょう。そうなれば、共有するエクスペリエンスは時間をかけて進化していく(世界的な普及や、ゲーム業界の進化)。ファッション業界で見られるように、共同のクリエイションやP2P(クライアント同士が直接つながって処理を行う形態)による売買・シェアも増えるでしょう。さらに小さなコミュニティーが増えて、メンバー同士で未来のプランを練ったり、ブランドとのパートナーシップ能力を向上させたりして、より専門能力を高めていく」
電通ソリューションズのラウ氏は、「昨年の教訓を経て、今年は世界がイマーシブなデジタルエクスペリエンスを再定義し、新たな意義を見出そうとしている」という。
「昨年最も欠けていたのは、目的と実用性。来年はそれを補うメタバース(あるいは、イマーシブなバーチャルエクスペリエンス)がさらに増えるでしょう。その種類も実に多様なものになる。多くの人はVRではなく、MRこそがメタバースの未来だと考えています。デジタルがリアルのエクスペリエンスを増幅させますから。ウェアラブル端末やAI(人工知能)が進歩すれば、MRが数年のうちに一般に普及することは想像に難くない」
メディアプランニングエージェンシー「イニシアティブ」でデジタル部門の米国責任者を務めるアルヴァロ・アンギータ氏は、「(ブランドは)1種類のメタバースを活用するようなやり方はしないだろう」と話す。「レジャーや教育、旅行といったユーザーの特定の関心や目的に向けた複数のメタバースが活用されるでしょう」
「私見では、ブランドアクティベーションの新たな領域はビデオゲーム業界関連のMR。MRをどう活用し、発展させるかという提案が重要になる。『フォートナイト』や『ワールド・オブ・ウォークラフト』、『リーグ・オブ・レジェンド』といったゲームはすでに大変な人気を博していますから。その可能性は限りない。もちろん、ブランドにとっては『早い者勝ち』であることは言うまでもありません」
VCCPのフッチャー氏は、ブランドは「新しいアングルでエンゲージメント獲得を目指すべき」と話す。「特に重要なターゲットは若年層。ソーシャルプラットフォームやゲームで、アバターを使った自己表現に夢中になっているオーディエンスです」
「スポーツやエンターテインメントの分野では、メタバースによって大きな変革が起きるでしょう。オーディエンスは自分の好きなチームやアーティストとより緊密でパーソナルな関係を築けるようになる。ブランドはそうした流れに遅れまいと、ベストソリューションを模索するはずです」
こうした意見を踏まえると、メタバースを巡るブランドの「長距離走」は今後も続きそうだ。もちろん、試行錯誤も繰り返される。主要テック企業は、1つのメタバース空間を巡って覇権争いを繰り広げるだろう。それがわかるのはゲームや軍需、そしてアダルト産業といったテクノロジーに敏感な分野かもしれない。
「それまではゴールなきゴールを目指した競争が、1年ほど続くかもしれません」とフッチャー氏。「もちろん、足のないアバターも大いに活躍するでしょう」
(文:マシュー・キーガン 翻訳・編集:水野龍哉)