今年もリスボンでは世界最大級のテクノロジー・カンファレンス「ウェブサミット(Web Summit)」が開かれたが、こうしたカンファレンスで最近よく話題になるテーマがある。「『普通』が普通でなくなる、AI主導の未来」 −− 実に耳に心地よい世界観だ。
だが、今回のウェブサミットで盛んに議論されたのはAIへの規制の必要性であり、不測の事態に発展しかねないデータの偏りやプログラマーたちの偏向についてだった。起業家のイーロン・マスク氏や物理学者のスティーブン・ホーキング氏は、「AIが人間性に終止符を打つ可能性は極めて高い」と警告。フェイスブックやグーグルが使うアルゴリズム、そして両社のフェイクニュースや政治への影響力に対する懸念はますます強まっている。
と言っても、AIへの規制の導入は複雑で微妙な問題だ。大方の人々は「規制」を「制限」と解釈する。電気やインターネットが最初に発明されたとき、今日の世界におけるような使い方を誰が想像しただろう。AIが我々の暮らしやこの惑星に有益な効果をもたらす可能性は計り知れない。だからこそAIの暴走を許してはならないし、法令に則った企業活動が行われるよう、皆が目を光らせていかねばならないのだ。
近年のテクノロジーの進歩で、AIには「倫理感」が必要なことがはっきりした。例えば自動運転車は、非常時にぶつかる相手が自転車に乗った子供でいいのか、対向車がいいのか、はたまた道路脇の木なのかという判断が瞬時に求められる。いずれにせよ、死をもたらす結果につながりかねない選択だ。
起業家のブライアン・ジョンソン氏がスタートアップ企業「カーネル(Kernel)」を立ち上げたときのイベントで、倫理観の問題をスピーチで取り上げた。同社が掲げる目標は、新たな画期的手法で神経系の疾病を解き明かし、治療する技術を開発すること。そしてその技術を応用して脳の複雑なメカニズムを解明し、認知機能を強化するアプリケーションを作ることにある。
ジョンソン氏は、「人間はテクノロジーの発展が今もたらそうとしている『変革の嵐』に備え、己れの進化をコントロールする責任がある」と力説した。更に同社が開発した認識力に関するインターフェイスで、「人間が自らの感情や秘密、想像を個人的ブロックチェーンの中にダウンロードできるようになるかもしれない」とも。
こうしたインターフェイスを通じて人間が意識の拡張や記憶の削除、己れの潜在力を強化できるようになれば、人類自らの進化をコントロールできるだけでなく、とてつもない結果をもたらすこともあり得るだろう。
私がここで疑問に思うのは、ジョンソン氏が描く未来の中にもし「倫理観」が存在するのなら、それがどのような役割を果たすかということだ。カーネル社の描く未来は、既にとてつもなく大きい持てる者と持たざる者との格差にどのような影響を与えるのだろう。そしてジョンソン氏のようなビジョンを持つ人たちは、どの時点で広く社会に答えを示すべきなのか。更に、彼らと社会とは進歩を妨げることなくどういった関係が築けるのか。はたまた、実際に今の社会を代表しているのは一体誰なのか……私にはそれが政府だとは、決して思えないのだが。
ジャスティン・クロスはロンドンのメディアコム(MediaCom)傘下の「ブリンク・イノベーション(Blink Innovation)」代表。スタートアップや新たなテクノロジーが持つ可能性の調査を専門とする。
(編集:水野龍哉)