Gary Scattergood
2016年5月10日

アジア・マーケット点描 ~ タイ:クーデターの後で

アジア各国のマーケティング・ビジネスの動向を、政治や経済など総合的視点から切り込んで行くシリーズ、「アジア・マーケット点描」。第1回は、クーデターで民主主義が後退、経済も低調なタイを取り上げる。社会が沈滞する中、消費者マインドやビジネス、クリエイティビティーはどのように推移しているのか。ここではまず、その背景を描く。

アジア・マーケット点描 ~ タイ:クーデターの後で

政治は不安定化し、景気は低迷、さらには人権問題の暗雲……。タイで事業展開するブランドや広告代理店にとって、2016年の行方はかなり厳しいものに映っていることだろう。

世界銀行は、タイの今年の経済成長率は0.5%下がって2%と予測。その背景には、輸出の減少や家計債務の深刻化、さらには極度に低迷する消費などがあげられる。

昨年も、タイにとっては決して経済的に明るい年ではなかった。
そんな中、数少ない希望的な要素は対外直接投資の増加。だが対外直接投資は、他国の市場動向に大きく左右されるリスクをともなう。特に中国経済の予想を上回る失速とその波及効果は、世界銀行も深く憂慮をしている。
中国経済の影響を最も深刻に受けるのは、タイの観光産業だろう。タイを訪れる総観光客数の18%は中国人で、タイのGDP(国内総生産)の2%以上に相当するからだ。

政治も、経済の先行きに暗い影を落としている。
2014年のクーデターで、プラユット陸軍司令官(現・暫定首相)率いる国家平和秩序維持評議会(NCPO)が政権を樹立。民主主義の回復を掲げたが、その実現までの道程は遥かに遠いと言わざるを得ない。
人権NGO(非政府組織)の「ヒューマン・ライツ・ウォッチ」は、「暫定政権は自らが長く権力の座に居続けるためのシステムを作り出したに過ぎない」と非難する。それを裏付けるように、軍事政権は体制に批判的なメディアを厳しく取り締まる。

こうした政治・経済情勢に、ブランドや広告代理店が多大な悪影響を受けるのは明らかだ。
それでも、暗雲の中に一筋の光明を見出すことができる。モバイルやモバイル広告、そしてeコマースの大きな潜在性だ。

昨年末、携帯電話の第4世代(4G)サービス向け電波をめぐるし烈な入札競争がようやく決着した。タイ政府の掲げるデジタル経済政策推進にとっては大きな一歩であり、モバイル産業の今後の発展に期待がかかる。
「マインドシェア・タイランド」社のマネージング・ディレクター、パタマワン・サタポーン氏は、「タイでは他のデバイスを飛び越して、モバイルが基本デバイスとして普及しています。ユーザーの操作時間も長く、その重要度はどんどん増している」と言う。

英国の「ウィーアーソーシャル」社の統計によれば、タイ人の69%がスマートフォンを1台以上所有するという。通信事業者間の競争によって低価格の料金プランが実現したため、その利用率は全人口比で122%に達している。
これに加えて第4世代(4G)サービスが実現すれば、地方のユーザーも急増し、モバイルのシェアはさらに伸びていくことだろう。

では、モバイル・プラットフォームから最大の収益を上げるために、ブランドは何をするべきなのか。
いまだ初期段階にあるモバイルeコマースは飛躍的に発展する可能性を秘め、その市場は2020年までに現在の3倍以上の39.4億ドルになると予想されている。さらに新興のデータ産業では、消費者の視点をいかに有効活用できるかという取り組みを始めている。
こうした動きに比例して、広告代理店でもデジタル案件の取り扱い(まだ大抵は単発だが)は増えてきている。

タイのソーシャル・プラットフォームの主流はLineとYouTube。国民のメディア消費行動が独特なことはよく知られている。だが、克服しなければならない技術的なハードルは多々ある。
「電通メディア」社で東南アジア地域を統括し、電通メディア・タイランドCEOでもある中村光孝氏はこう述べる。
「主要な技術や手法をタイ市場に適応させるには、まだ時間がかかるでしょう。いま消費されているメディアの大半は地元メディアですが、それもまだ十分に活用されていません。例えば、広告配信技術を応用するには技術基盤の確立が必要です。しかしまだ多くのブランドは、初歩的な利用法にとどまっているのです」

タイにおけるクリエイティビティーの質に関しては、多くのブランドや広告代理店の人々は安心しているかもしれない。
この国は長年、良質のクリエイティブな作品を生み出すことで知られてきた。だが、かつての勢いに影が差しているという懸念もある。
「レオ・バーネット・タイランド」社のエグゼクティブ・クリエイティブ・ディレクター、パルジュ・ダオライ氏はこう述べる。
「昨年は、目を見張るような画期的な作品がありませんでした。今でも質の優れたものが多く生み出されていることは確かです。しかし新境地を開くようなものがあったかと言えば、皆無でしょう」

「JWTタイランド」社でクリエイティブ部門の最高責任者を務めるサティット・ジャンタウィワット氏は、「タイはかつて、世界トップクラスのクリエイティブな広告を生み出してきました。しかしデジタル時代に突入し、広告代理店もクライアントも消費者の急激な変化に追いつくため四苦八苦したのです」と言う。

その一方、個人レベルで活動する若いクリエイターたちの中には優れた才能が数多く見出せる。広告代理店のクリエイティブ部門は、彼らに劣らない作品を生み出すか、単純に彼らを雇い入れるかという課題に直面していると言えようか。

このように、ブランドや広告代理店にとってタイは矛盾と変化に満ちた市場だ。
政治・経済の先行きに懸念はあるものの、モバイルに対する消費者の熱意や新しく導入される4Gの技術は、果たして新しい希望となり得るのだろうか。
そして、クリエイティビティー豊かな土壌を広告代理店は生かして行けるのだろうか。また、ブランドもそれを最大限に活用していく「度量」があるのだろうか。
さらに、データ容量やインフラ設備が消費者の動向についていけるかどうかも、モバイルeコマースの潜在性を大きく左右する。
このような観点から、専門家の意見を交えてタイの今後の動向を予測していく。
 

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Campaign Japan
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