新型コロナウイルス感染症(COVID-19)のパンデミックが発生した2020年、いつもなら騒がしい英国のサッカースタジアムはどこも静まり返っていた。政府がスタジアムへの入場を禁止し、誰もいないスタジアムで試合が行われていたからだ。130年の歴史を持つトッテナム・ホットスパーFC(通称スパーズ)をはじめ、各クラブはファンとのつながりを維持する新たな方法を見つけなければならなくなった。
「私たちはこう言われた。(中略)ファンがソファで楽しめるよう、仕事を再開する必要があると。そこで、空っぽのスタジアムで試合し、誰もが自宅で観戦できるようにした」と、スパーズでエグゼクティブディレクターを務めるドナ・マリア・カレン氏は、Campaign Asia-Pacificの取材に対して語った。
同氏は、チームのプレシーズンツアーに同行した韓国で、この取材に応じてくれた。
パンデミックによって、サッカー界もスパーズもブランド戦略の転換を急かされることになった。「以前の私たちは、(消費者に対して)もっと直接的なマーケティングを展開していたが、今はデジタル展開に移行している」とし、「サッカーは、ブランド認知、製品検討、ロイヤルティというマーケティングファネル全体に影響を与えられるという点で、極めてユニークな存在だ」と付け加えた。
デジタルへの注力
スパーズは、デジタル開発を矢継ぎ早に進めてきた。ウェブサイトを刷新し、アプリを作り直し、ソーシャルメディア機能を強化した。カレン氏によれば、テレビの成長も著しいが、今ではデジタルキャンペーンが従来のフォーマットを上回っているという。また、マーケティングの技術スタック構築も急ピッチで進めている。
同クラブがこのような投資に乗り出し、マーケティング戦略を転換している大きな理由は、関心を集めるのが難しいミレニアル世代の注目を得るためだ。カレン氏によれば、この世代は上の世代とは異なるやり方でコンテンツを消費するため、どのプラットフォームが彼らにとって効果的なのかを見極める必要があったという。
「私たちはこうした変化を目の当たりにしている。スナップチャットは、登場したと思ったら消え、また復活した。ツイッターは、表向きはニュース製品として登場したが、実際には誰もが異なる使い方をしている」と、カレン氏は言う。
今では、さまざまなクラブがTikTokを利用し、大きな反響を巻き起こしている。カレン氏によると、スパーズは現在、TikTokでレアル・マドリードに次いで世界で2番目に多くのフォロワーを獲得しているという。最近では、韓国人のソン・フンミン選手を起用したキャンペーンが、一晩で100万回以上の動画再生数を記録した。
「インプレッション数は2億の大台を突破したが、そのうちの1億7800万は韓国からのものだった」と、カレン氏は説明した。
注目を集めるための戦い
スパーズは伝統あるクラブだが、関心があちこちに分散しがちなミレニアル世代も含め、オーディエンスとのつながりを築くためには懸命に取り組む必要があった。「重要なのは、ファンが関心を持つようなコンテンツを提供することだ」と、カレン氏は言う。
そこでスパーズは、他のクラブチームと消費者の注目を競い合うだけでなく、ビデオストリーミングやゲームなど、他のさまざまなエンターテインメントも提供して消費者の注目を引こうとしている。クラブが現在建設中のメディアハウスは、選手や幹部がメディアプラットフォーム向けのコンテンツを制作するためのバックボーンとなる予定だ。
同クラブは7月5日、「Spursplay(スパーズプレイ)」と呼ばれる新しいストリーミングプラットフォームを立ち上げ、記録映像やアーカイブにアクセスしたり、ファンがプレシーズンマッチ4試合をライブ観戦したりできるようにした。「今の私たちは、ライブコンテンツとキュレーションコンテンツのプロデューサーだ。アテンションエコノミーで十分なシェアを確保するには、クリエイティブかつ積極的に取り組む必要がある」と、カレン氏は付け加えた。
また、マーケティングとコンテンツのパーソナライゼーションも今や当然のことになったと、カレン氏は言う。消費者は自分のデバイスと共に生活を送り、自分のニーズに合ったコンテンツを求めている。もし好みに合わなければ、エンターテインメントの別の選択肢を探すだろう、というのが同氏の考えだ。
「ミレニアル世代の息子たちと同じく、私も携帯電話とともに生活している。試合を見ながらiPadやスマートフォンでソーシャルメディアをチェックしているし、ほとんどの買い物をインスタグラムで済ませている」と、カレン氏は語った。
こうしたプラットフォームの役割に気づけば、クラブもこの時代についていけるはずだと彼女は期待している。
グローバルブランドへの道のり
スパーズがマーケティングのフォーカスを変更した理由の一つは、スパーズがもはや英国の1チームにとどまらず、世界的なブランドとなったことにある。そして、プレミアリーグ自体も、6大陸中、4大陸でナンバーワンのスポーツになっていると、カレン氏は指摘する。
こうしたグローバルブランドとしての影響力は、最近の韓国遠征でも証明された。ある報道によれば、6万6000枚のチケットを25分で完売したという。チームの守護神ソン・フンミン選手(と女子チームのチョ・ソヒョン選手)の凱旋は、韓国におけるスパーズの知名度を劇的に高めた。
カレン氏によれば、業界推計では、韓国の消費者の3分の2近くは、プレミアリーグのクラブと提携するブランドに注目する傾向が高いという。「さらに重要なのは、消費者の63%が、そうしたブランドの製品を購入する傾向が高いということだ。ブランドにとっては、現在の認知度だけではなく、好感度も大切なはすだ」と、同氏は言い添えた。
AIAとAPAC(アジア太平洋地域)
スパーズは、香港の金融大手AIAグループのAPACネットワークも活用してリーチを拡大している。たとえば、スパーズとAIAは、APAC在住のコーチを採用してサッカー教室を運営してきた。この10年で、合わせて8万人以上の子どもたちが指導を受けた。「アジア市場は、私たちにとって極めて重要だ。韓国に来て気づいたのだが、この国は5100万人の人口のうち1200万人がスパーズを応援してくれている。つまり、ほぼ4人に1人が(中略)私たちのクラブのサポーターなのだ」と、カレン氏は語った。
グローバルブランドを確立するため、スパーズはさまざまな分野に投資してきた。プレミアリーグで4位に入り、2022-23シーズンのチャンピオンズリーグ(欧州のクラブチームナンバーワンを決める大会)への出場権を獲得するなど、強力なチームを作り上げ、マーケティングパートナーやスポンサーへ強力にアピールした。
さらにスパーズは、AIAとのグローバルスポンサーシップ契約を2027年まで延長した。これは、プレミアリーグでも最も長く続くスポーツスポンサーシップの一つだ。
AIAグループの最高マーケティング責任者であるスチュアート・A・スペンサー氏は、次のように述べている。「スパーズとの2013年のスポンサーシップ契約は、AIAにとって大きな転換点となった。私たちがこの取り組みを開始したのは、より健康で、より長く、より良い生活を促す存在になろうと本気で考えたからだ。(中略)これはアジア地域の若い人々とのつながりを深め、より共感を得ることを目指した戦略転換(の一環)だった」
サッカーの枠を越える
クラブの3つ目の狙いは、純粋なサッカーブランドとして進化を遂げることだ。「私たちは新しいスタジアムで、さまざまなスポーツイベントやコンサートを開催している。(これは)私たちのブランドを他のエンターテインメント分野に拡大する戦略(の一環)だ」と、カレン氏は説明した。
こうした転換を図りながらも、スパーズはサッカークラブとしての伝統を今も大切にしている。デジタル開発に多額の投資をしていても、対面式のイベントの重要性は変わらないとカレン氏は言う。「直接的なエンゲージメントに勝るものはない。だからこそ、私たちはツアーに出るのだ」と、同氏は付け加えた。