David Blecken
2018年8月17日

マーケティングの学位は本当に必要か?

Campaign Asia-Pacificの新シリーズでは、マーケティングを学ぶことの価値についてさまざまな角度から検討していく。第一回目は、教える側の現場体験不足と、マーケターを志す学生の学位取得へのためらいという2点に焦点を当てる。

点心を蒸す籠のような外観から「ディムサム(点心)タワー」と呼ばれる、シンガポールの南洋理工大学(NTU)の建物
点心を蒸す籠のような外観から「ディムサム(点心)タワー」と呼ばれる、シンガポールの南洋理工大学(NTU)の建物

メルボルン・ビジネス・スクールでマーケティングを担当する教授(非常勤)、マーク・リットソン氏は2016年に『マーケティングウィーク』の誌面で、自称・他称を問わず「権威」と言われる人たちの多くはマーケティングの正式な資格を得ていないと言及している。

マーケティングは「デジタルコミュニケーション」のみならず、さまざまなものを包含している。その専門家とみなされる人たちは当然のことながらマーケティングを学んだと考えるのが妥当だと、リットソン氏は認識している。「専門家と見なされるには、それにふさわしい能力が必要です」

この点に関しては議論の余地があるが、Campaignが今月お送りするこのシリーズの中で検討していこう。移ろいやすい人間の心理を相手にするマーケティングは、現代社会に不可欠な職業である法律や医学のように厳格な体系化を必要とするものでも、あるいはクリエイティブ領域でも建築やデザインのように高い技術力を必要とするのものでもない。

これらの職業が目的とするものは明確だが、マーケティングの目的は定義しにくい。マーケティングとは何かを売ることだが、販売そのものではない。人を理解することだが、人類学や心理学とは異なる。何かを顧客に届けることだが、物流ではない。ブランドを形作ることであるが、同時に複雑な計算も求められる。マーケティングに求められるものも、人や文化の変化と同じスピードで変わるのだ。

こんなに形の無いものの理論を学ぶのは不可能という意見があるかもしれない。一方、今日のマーケティングはこれまでと比較できないほど複雑になっているので、些細なことに邪魔されることなく、しっかりと重要な変化を見極めるためには、アカデミックな礎が必須だという意見もあるだろう。

後者の意見に賛同する人たちは、悩ましい選択肢に数多く直面することとなる(これはマーケティングそのものと同様だ)。まずマーケティング関連の職に就くのにあたって、マーケティング学部卒という学位は他学部卒と比べて有利なのか。あるいは、まず現場で数年の経験を積み(多くの学者に不足していることだが)、その後で学びを深めるべきなのか。これらの決断を迫られるのだ。

テオ・イー・シュアンとアン・ツェン・シュンの二人は南洋理工大学(シンガポール)のナンヤン・ビジネススクールで経営学学士(マーケティング専攻)の資格を得るべく学んでいる。この講座は未来のマーケターに向けて、消費者や企業行動の知識、市場分析技術、プランニング、意思決定を教えている。期間は一般の大学より短い3年間で、「ケーススタディ、コンピューターによるシミュレーション、実地見学、消費者への実験調査、オンラインツール、さまざまなチームプロジェクト」などを通して教育を行っている。

現在2年生のテオは卒業後を考え、インターンシップや実際の職場経験の機会を探している。彼女はこの課程を選択したことは他の就職活動生より有利な面があると認識しているが、一方で、実際の勤務経験や自身のポートフォリオ作成の方がもっと価値があると考えている。雇用者が評価するのは経験、態度、そしてスキルなのだ、と。

アンがこの課程を選んだのは「多様なスキルセット」を習得できるためだという。彼は「戦略、商品、ダイナミックな成長にある共通項」に興味があるという。このクラスが3年と短期なため、1年間を現場経験に活用できることもアドバンテージと考えている。マーケティングは従来の4P(Product, Price, Place, Promotion)よりもはるかに多くを包含するものであり、この講座は心理学、論理的思考、戦略、クリエイティビティー、テクノロジーなどの分野を満足できる形で統合していると考えている。

ここで、アジア太平洋地域の講座をいくつかご紹介しよう。

香港城市大学

大学生を対象にした「i-Marketing+(アイ・マーケティング・プラス)」は、分析論とデザイン思考にフォーカスし、リサーチ、消費者行動、戦略、デジタルマーケティングの基礎を教えることを目指している。地元・海外企業の協力によって、学生には現場で働く機会が与えられる。香港や海外での本採用につながるインターンシップへの道も開かれている。費用は、地元の学生は年間4万1100香港ドル(約58万円)、留学生は年間12万香港ドル(約170万円)で、修業期間は4年。

香港城市大学には、注目を集めるマーケティングMSc(理学修士)プログラムがある。これは1年間にわたり、戦略・プランニング、消費者行動、応用研究、中国人の観点でのブランドマーケティング、データベースマーケティング、マーケティングエンジニアリングを学ぶコースである。

エセック・ビジネススクール

エセック・ビジネススクール(本拠地フランス)のシンガポールキャンパスで開講されているマーケティングマネジメント&デジタルMScコースは、経営とデジタル分野に特に力を入れ、アジア市場向けに合わせた内容になっている。デジタルツールの実用面を教えると共に、「マーケティングにまつわる社会的、倫理的側面」も取り上げる。その目指すところは、マネジメントとデジタルトランスフォーメーションの連携について習得したマーケターの育成である。モジュール(授業科目群)はアジアの消費者行動から新製品開発、そしてマーケティングとアントレプレナーシップ(起業家精神)との関係にまで及ぶ。

同志社ビジネススクール

京都の同志社大学ではMBA取得を目指す学生に、マーケティング、マーケティングリサーチ、インターネットマーケティング、持続可能で責任あるマーケティングを教え、さらにアジアでのマーケティングや、文化・クリエイティブ産業に関する授業も行われている。学生が実際のマーケティングを体験し、マーケティングがこの先20年間で直面するであろう変革に対応できるよう、現場主義のプロジェクトワークにフォーカスしている。講座は2つのパートに分かれている。最初の課題は、実際の企業(最近の例では、工場で野菜を栽培するスプレッド社)から提示されたマーケティング上の課題に対処する戦略の構築だ。そして次の課題は、オンラインマーケティングのプラットフォーム作りである。

南オーストラリア大学

南オーストラリア大学(バイロン・シャープ教授が率いる「エーレンバーグ-バス研究所」のある学校)には、4つの学部と7つの大学院課程がある。マーケティング学部は、ビジネスの基礎に深く根ざしている(マーケターにはこれが欠けているとよく指摘される)。その上で学生たちは分析論、消費者行動、広告、ブランディングなどを重点的に学ぶ。実際の仕事に直ちに応用可能な、「実世界のリサーチ」に基づいたアプローチに力を入れている。費用は年間3万1000豪州ドル(約250万円)で、修業期間は3年。

ここの大学院には、Certificateとよばれる資格から、MBAや国際MBAを含むフルタイムのマーケティング学位取得講座まである。また、広告・ブランドマネジメントとマーケティングとを明確に区別している。費用は年間3万4400~3万8400豪州ドル(約280万円~310万円)。

メルボルン・ビジネス・スクール

リットソン氏が教えるメルボルン・ビジネス・スクールには13学科を有するマーケティング修士課程があり、ここではマネジメントと実践的な技法に焦点を当てている。また会計学や経済学など、ビジネスの基礎も教えている。第一フェーズでは社会的責任と倫理、消費者行動、戦略、ブランドとプロダクトマネジメント、コミュニケーション、財務会計、人的管理などを学ぶ。第二フェーズではデータ分析、管理経済学、リサーチを学ぶ。費用は各学科4180豪州ドル(約34万円)。

マーケティング講座の抱える問題

実務経験のあるマーケターは、そうでないマーケターよりも能力が高いというのであれば、教える側についても同様のことがいえるのではないか。つまり実務経験のある教授は、教職を離れたことのない教授よりも多くのことを学生に伝えることができると想定できるのではないだろうか。

同志社大学でマーケティングを教える須貝フィリップ博士は「マーケティングの教え方に関して一つ問題点を挙げるとすれば、多くの教授にマーケティングの実体験が無いこと」と語る。須貝氏自身はまず起業家としてキャリアをスタート、その後金融サービス、エンターテインメント、テクノロジーなどの分野でマーケティングの経験を積んできた。インターネット黎明期にアメリカン・エキスプレスで働き、当時はMBAにも通っていたため、学んでいたことをリアルタイムで応用することができたという。

マーケティングの講座の多くは依然として教科書に頼りすぎていると、須貝氏は指摘する。「レポートに集中しすぎて、人々が実際にはどのようなことに悩んでいるのか、どうすれば彼らをサポートできるのかを全く考えていないのです。教えることは容易ではありません。教科書通りに物事が解決することは無いのです」

マーケターが伸ばすべきスキルの中で最も重要なのは、人々が互いにどのように交流し、どのように共感するのかを理解する力だというのが須貝氏の考えだ。その目的のため、学生が実際の問題に取り組み、何かを作り出すことに最大限の時間を費やすという。須貝氏は理論の価値を認めていない訳ではないが、実社会で何が機能するのかを理解するためには、教える者がマーケットとの関わりの経験を持つことが大切なのだと語る。

「基本的にマーケティングは常識的なもの。実行する上で、必ずしも資格は必要ありません。それを教える上で、資格が必要なのです」

須貝氏はマーケティングを学ぶことを大学生に薦めるだろうか。より多くの実務経験を積んでいた方が、直面する障害や解決方法についての理解力を身につけているため、より多くのものを教育の場で得られると須貝氏は考えている。だが大学生の教育プログラムについて、頭ごなしに否定しているわけではない。

「学士の資格を得て、基本を理解しているのであればそれは素晴らしいことです。マーケティングの方法を学ぶ上で若すぎるということはありません。私が最も懸念するのは、マーケティングの教え方は通常とても退屈で、しかも会社に勤め始めたら学んできたことを一度リセットしなければならない点です。私の(MBAレベルでの)仕事の半分は、正しくない知識を修正し再構築すること。これでは、かえって遠回りです。私たちには、今も将来も有効なスキルを教える義務があります。学生たちが固定的なフレームワークやツールに縛られていくのを見るのは、悲しいものです。本来はもっと簡潔に考えられるようにすることなのですから」

(文:デイビッド・ブレッケン 翻訳:岡田藤郎 編集:田崎亮子)

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