* 自動翻訳した記事に、編集を加えています。
「クリエイティブな広告作品にもっと面白いものを復活させよう」。昨夏のカンヌライオンズでユーモアの重要性を訴えたBBDOのロバートソンCEO。3月のスパイクスアジアでも同じ趣旨で基調講演をする予定だ。
今年のスパイクスアジアは3月13日と14日、シンガポールで開催される。ロバートソン氏がそれに先立ち、ユーモアの価値やクリエイター経済におけるエージェンシーの役割などをCampaignに語ってくれた。
昨年のカンヌでは広告におけるユーモアの大切さを提唱、その後ライオンズはユーモアを讃える新たなカテゴリーを創設しました。成果がすぐに出たと感じますか?
やや戸惑いますが、そうですね。カンヌでは広告にユーモアを取り戻すことの重要性を話したいと思っていました。ですが、やはりデータ主導のインサイトとかZ世代、AI、eコマースといった昨年話題になったテーマを取り上げねばならないだろうと。そこでAIについて話そうと思ったのですが、良い切り口が見つからず、結局はユーモアに関する賞になった。AIを活用したらどのような賞が生まれるのか、単にイメージを提起したに過ぎません。
講演の際、私は聴衆に「ユーモアに賞が与えられるべきだと思いますか」と尋ねました。すると皆が拍手をし、手を挙げてくれた。そこで私は、「主催者の誰かがここにいるといいのですが……。やはりいませんね。別の場所でお金の勘定に忙しいんでしょう」と冗談を言った。純粋に笑いを取るためです。でもそれから、実際にユーモアの賞が創設された。相関関係か因果関係かはわかりません。私は因果関係だと思いたいのですが。
広告にユーモアが戻りつつあると思いますか?
そう思います。カンヌが転機となり、ビジネス構築にユーモアがいかに価値があるかという認識が高まっている。私たちは行動の源泉である感情について多くの研究を行ってきました。幸せで楽しいと感じることは、最も素晴らしい感情の1つです。それを再現できれば、莫大なセールス効果を生みます。
しかし2008年のリーマンショックや、最近のパンデミックで景気が落ち込んだ。経済回復が優先課題となり、そうした要素が忘れられてしまいました。
パーパス優先は、ユーモアの衰退にどの程度影響していると思いますか?
これは重要なポイントです。私はブランドパーパスを非常に重要だと考えています。課題は、多くの人々がパーパスを真面目な手法で語らなければならないと考えていること。真摯なパーパスを、愉快かつ楽しい方法で語る。パーパスとユーモアという2つの大きな目的をいちどきに達成できれば、最大のセールス効果が期待できるでしょう。
企業のパーパスは極めて真面目なもの。それを尊重するには真面目な手法でしか伝えられない −− そう考えてしまえば、オーディエンスを幸せな気分にする機会を逃してしまいます。オーディエンスが幸せな気分になる、あるいは笑うことができれば、彼らはパーパスを最大限評価するでしょう。
それでもパーパス志向のカルチャーと、例えばスタンダップコメディなどはなかなか相容れません。ジョークと真面目なパーパスは共存できないのでは?
あなたがおっしゃっているのはコメディの本質に関することです。人々が笑い、ジョークを言い、面白がっているのはどういうことかという。ある人には笑いを生み、ある人には苦痛を与えるような(ジョークの)範囲はかつては許されていましたが、今では当然ながら禁じられています。
しかし、だからといって面白いものを作ることは不可能ではありません。コメディアンの中には微妙な分野に踏み込まず、極めて効果的で面白く、観客にとてもポジティブな印象を与える人がたくさんいます。ジョン・ムラニー(米コメディアン)もその一人です。彼のネットフリックスの番組は私の娘にも孫にも、そして母親にも聞かせることができます。テーマの領域が限定されても、人を笑わせることの価値は同じです。
しかし無意識のうちに特定グループを疎外するような、ユーモアが裏目に出てしまう危険性もあるのでは?
つまり「ユーモアが働くはずなのに働かない。それはどういう時か」ということですね。
確かに、ユーモアは必要ないと皆が考えるカテゴリーはあります。例えばヘルスケアでは冗談を言うべきでなく、細心の注意をもって扱うべきだと。またパンデミックや不況時のように、人々が苦境に立たされている時に面白いことを言うべきでないという意見もあります。さらにブランドがある種の大失敗を犯した後、笑いを取ろうとするのは無意味だとも。
私が訴えたいのは、もし人を笑わせたり、微笑ませたり、幸せな気分にさせられれば、そうした思い込みの多くを覆せるということです。謝罪をしているときに相手を笑わせられれば、相手もあなたを許す可能性が高くなる。デリケートなテーマを扱う最善の手法は、笑いを誘うことかもしれません。不況やパンデミックのような困難な時代には、人々は切実に笑いを求めているという裏付けもあります。我々は、ユーモアは効果がないという思い込みに挑戦すべきなのです。
スタンダップコメディが機能する理由の1つは、コメディアンがジョークを考案し、どう伝えるかを熟知しているからです。笑いを狙った広告の中には、優秀なクリエイティブチームがコンセプトを練り上げても、具体化した際にその面白味が消えてしまうものもある。またもう1つの課題は、メディアエージェンシーが同じ広告を露出し過ぎて、面白いキャンペーンでもすぐに陳腐で鬱陶しいものに変わってしまうこと。ユーモアを伝える上で、露出度とメディア活用はどれほど重要なのでしょう?
面白いものを作ることは至難の業です。あなたが言及したスタンダップを例にとってみましょう。ネットフリックス云々のことは忘れ、本当に面白い5分間のネタを書いてみてくださいと言われたら、信じられないほどに難しい。素晴らしいコメディーを作る人たちは、1つの優れたジョークの陰で100のジョークを捨てています。彼らは経験に基づいてそれを実証する。観客に受けたジョークは次のネタに取り入れ、受けなければ別のジョークに変える。ジョークの鋭さと、その伝え方が全てです。
ユーチューブで、ルイスCK(米コメディアン)のショーを構成するジョークを分解し、その順序の効果を解説している動画がありました。とても面白かった。本当に質の高いものを作ることがいかに難しいか、よくわかります。
つまりあなたの指摘は、我々が目にするものの多くがあまり面白くないし、笑えないということでしょう。それは作り上げることが本当に難しいからで、だからこそ、達成できた時の価値は高いのです。
ユーモアは生成AIにとって最大の課題の1つでしょうが、あなたは優れたコメディーの経験値について言及しました。であれば、時間が経てばAIもユーモアを取り入れられるのでしょうか?
いや、そうは思いません。人間にとって面白いネタを考えることは非常に難しい。アルゴリズムにとっても同じでしょう。廉価で画像や動画を作成してしまうAIは、あらゆる意味で限りない可能性を秘めている。しかし面白いものを作るとなると、人間はその「前提」を理解しなければなりません。さらにそれを飛躍させ、オーディエンスを驚かせ、素晴らしい気分にする手法を見出さねばならない。大多数の人間にはそれができません。生成AIはあらゆる分野に大きな影響を与えるでしょうが、これは最も難度が高い。
クリエイティブなカルチャーを構築する上で、ユーモアや明るさはどれほど重要なのでしょう?
ユーモアは人々の緊張を解きほぐし、守りの姿勢や攻撃性、そしてバリアを取り除きます。 人間同士にコミュニケーションをもたらす素晴らしい手法です。人をリラックスさせられれば、はるかに多くのことを引き出すことができる。ユーモアは1つの大きな鍵なのです。
クリエイティブなカルチャーの構築は、スパイクスアジアの重要なテーマでもあります。どうすればそれを実現できるか、多くのブランドがエージェンシーに尋ねますが、あなたはどのようなアドバイスをしていますか?
クリエイティビティーが時に必要だからといって、クリエイティビティー中心のカルチャーが全てではありません。私は自分の貯金を預かってくれる銀行に、常にクリエイティブであってほしいとは思わない。課題解決のために、時にクリエイティブである必要はあります。しかしそれ以前に私は、リスクの最小化や軽減、ルールの遵守などに注力してほしいと考えます。クリエイティブシンキングの対極となる、様々な基本的要素です。
成功している企業のほとんどは経営的に優れているからであって、クリエイティビティーが高いからではありません。多くの企業が誤解しているのは、社内のカルチャーをクリエイティブにしなければならないと思い込んでいることです。実際に必要なのは、いつ、どの段階でクリエイティブであるべきか、そのためにどのようなコンディションを整えねばならないか見極めることです。
今では多くのブランドがクリエイターとの直接的な関係を求めており、スパイクスもクリエイター経済に焦点を当てています。一部のマーケターは、エージェンシーがクリエイター主導のマーケティングを受け入れず、従来のプロセスを維持しようとしていると考えています。クリエイター経済におけるエージェンシーの役割は何でしょう?
問題は、こうした課題が二者択一で提起されることです。ブランドとの関係構築やビジネスの構築、売上拡大といった要素に消費者やクリエイターが注力してくれるのなら、こうした議論も出てくるでしょう。私は(クリエイターとエージェンシーの)どちらか一方ではなく、両方が必要と考えています。
では、そうしたプロセスにおけるエージェンシーの役割とは何か。理想的には2つの大きな貢献の仕方があります。1つめは、クリエイターが創造力を発揮したくなるようなプラットフォームを、ブランドのために開発すること。そうすれば、クリエイターの優れた作品は効果的コミュニケーションの単なる1要素ではなく、頑強な武器になる。優れたエージェンシーは、クリエイターが利用したい、作品を提供したいと思うようなアイデアを生み出すことでしょう。重要なのはクリエイターに義務感ではなく、やる気を起こさせること。そうすることがより優れた作品につながります。
2つめは、クライアントのビジネスに最も良い効果を生み出すクリエイターを選択すること。つまり、プロジェクト全体を俯瞰し、クリエイターの重要性と、それに見合う対価を見極める。それは200万人のフォロワーを持つクリエイターを探し出すより、高度な判断が求められるでしょう。フォロワーがどういう層なのか、そのうち何人がブランドの顧客か、あるいは何人が競合他社を支持しているのか。また、それらのデータに基づいたクリエイターへの適正対価はいくらか。そして、どのようなプロセスでリーチと規模を最大化するのか……。単なる「興味深い実験」を実行するだけではダメなのです。ブランドがエージェンシーに貢献できるのは、この2点だと思います。
スパイクスに参加する際には、どのような点に注目しますか?
スパイクスには何度か参加しましたが、いつも楽しみながら学びを得ています。私のオフィスの壁には古いニューヨーカー誌の表紙が飾ってある。それには「マンハッタンからの眺め」が描かれています。ハドソン川を見下ろし、遠くにはロサンゼルス、そしてもっと遠くには日本や中国が見える。つまり、今の世界に対する視点を変えてみよう、アングルを変えれば今の世界は変わって見えるということを示唆しています。
私にとってスパイクスに参加することは、「アングルを変える」ことです。世界やビジネス、有効性に対して異なる観点を持つ人々と時間を共有するのですから。立ち位置を変えて物事を見れば、他の人には見えないものが見えてくるのです。