日本には「暗黙の了解」という概念がある。そして、微笑みは感謝の意を示す。「謙虚さ」は今もビジネスの場で、エチケットの基盤を成す。
一方、国際舞台ではこの概念は理解されにくい。デジタル環境においてはなおさらだ。会議の場で発言したい気持ちを抑えて黙っていると、雑談だけで時間が過ぎてしまうこともしばしば。結局、本来話し合われるべきテーマに辿り着かず、会議は無意味に終わってしまう。横柄な態度は見せたくないという気持ちが、日本の会議を実に静かなものにしている。
しかし、国際的ビジネスの場では沈黙は決してメリットではない。「議題に興味がない」「発信力がない」……そして、時には「本音では反対している」「怒りを隠している」とすら受け取られてしまう。沈黙が混乱を生じることもあるのだ。日本の新しいリーダーには理解し難いかもしれないが、こうした点は是非心に留めておいていただきたい。
「沈黙」を超えて
日本のビジネスリーダーが他国のリーダーに比べて独特に映る理由は、反応の違いだけではなく、日本の特異な習性にもある。
日本では会議室やタクシーの席順が年齢で決まる。また会議で発言をする際も、最年長の人が話し終え、自分の順番が回ってくるのを待たねばならない。話す順番は役職によって決まる。日本のビジネスを支配するのは、今も序列だ。
こうした謙虚さに基づく習性は日本に限ったことではない。韓国も同様で、酒席では若手社員が目上の社員の顔を見ることすら許されない。東アジアの文化に馴染みがないと、たやすくマナー違反を犯してしまう。
こうしたアプローチをグローバル企業の規範と比較すると、その短所が浮き彫りになる。例えば、ある会議に特定分野の専門家が参加したとしよう。彼あるいは彼女は、最上位の役職の人が話し終えるまで発言を待たねばならないのか。会議の時間は通常、限られている。全員に発言の機会が与えられるわけでもない。
グローバル企業におけるリーダーシップで重要なのは、会議の参加者の発言権を守り、全員に発言の機会を与えることだ。序列を重んじることではない。
次世代のリーダー像
こうしたギャップを、日本人はどう捉えればいいのか。才能ある日本人がグローバル企業に参加し、異文化に適応するのは時にハードルが高い。だがこの課題はただちに解決されねばならない。
それゆえ、私は日本の次世代のリーダーを育てることを個人的使命と捉えている。リーダーシップには強さと勇気、そして先見性が必要だ。若い世代には機会を与え、成長を促さなくてはならない。部下が最大の目標を達成できるようサポートできる人こそ、組織の上に立つ特権を享受できるのだ。
しかし日本では、長年続く謙虚さの概念が個人の成長とキャリアアップを阻んでいる。日本の経済は今、変革の最中にある。今の日本にとって変化する力を外部に示すことは不可欠だ。新たな環境と変化への適応こそがその証となる。
そのためには、リーダーが変化を牽引していかねばならない。日本の将来に関わる意思決定に加わり、世界と向き合っていかねばならない。
「謙虚な」リーダーシップ
日本は世界第3位の経済大国だ。1980〜90年代は「内向き志向」であったにもかかわらず、経済的繁栄を謳歌した。
現在の世界はデジタルによってつながっている。我々は成長について考える際、国境の壁をあまり気にしなくなった。今のZ世代は伝統的な思考に縛られず、より自由にものを考えて行動する。
日本や韓国の市場にも多くのブランドが参入し、新たなエクスペリエンスやアイデア、手法が生まれている。海外から帰国した学生たちは世界基準である先進的なリーダーシップのスタイルを身に付け、日本で実践しようとしている。
しかし日本の政界やビジネス界は変化が遅く、今も従来型の思考で行動する。新たなリーダーは未来のリーダー(特に日本にいる)に向け、世界基準のリーダー像を示すことが肝要だ。
だからと言って、謙虚さを軽視するべきではない。日本や韓国が生み出す品質の精度やエンジニアリングの卓越性は謙虚さから生まれたものであり、日本人も誇りとするところだ。それでも先進的思考は必要で、他者に遠慮せず、プライドを持ってゴールを決められるリーダーを育てていかねばならない。これからの日本には「エースストライカー」が必要なのだ。
伝統には魅力があり、役割もある。だが国際的ビジネスの場では、参画を妨げる要素にもなり得る。日本のビジネスリーダーは世界の舞台でもっと声を上げていかねばならない。そのための「謙虚さを備えた新たなリーダーシップ像」は、必ずや存在する。
(文:高市康太 翻訳・編集:水野龍哉)
高市康太氏はWPPジャパンのマーケティング・成長担当マネージングディレクターを務める。