ロンドンに拠点を置くハム氏は、2014年以来ジオメトリー・グローバルでクリエイティブ部門を率いてきた。学生時代は哲学を学び、映画・テレビ産業で働いた後、コマーシャル制作のキャリアをリドリー・スコット・アソシエイツでスタートさせた。このインタビューでは、何がブランドを形成するのか、そして広告会社におけるクリエイティブの仕事の本質がどのように変化しているのか、見解を聞いた。
可能な限り簡潔に言い表すと、「ブランド体験」とは何を意味するのでしょうか?
「ブランド体験」とは、ブランドや製品を取り巻くエコシステムだと考えます。それはパッケージングや小売、イノベーション、コミュニケーション、イベント、顧客サービス、ソーシャルメディア、CRM (顧客関係管理)などといったもので、これら全てがブランドというエコシステムの一部を形成しているのです。つまり、ブランドはこれら全てなのです。
クライアントの、ブランドについての考え方に大きな変化が起きています。中心にブランドがあって、その周りに関連のものがずらりとあるのではなく、そういった全てのものをひとかたまりとしてブランドと捉えるようになっているのです。今は、人々にそのように見られているのです。例えば、カスタマーサービスの担当者とのやりとりは、購入する製品と同じく、ブランドそのものになるわけです。
では、ブランド体験とは言えないものは?
「体験」と聞くとすぐにイベントを連想してしまうのは、「体験」という言葉に余計な意味を数多く持たせてしまっているから。混乱しているのは我々広告会社の方で、何がブランド体験を意味するのか、クライアントはきちんと理解しています。余計な意味を持たせていないのです。
広告賞のD&ADとカンヌライオンズは、「体験」カテゴリの見直しを行いました。カンヌはプロモ&アクティベーション部門の廃止を決め、「体験」カテゴリの意味はブランドのエコシステムに近い、現代的で新しいものになりました。しかしD&ADでは、いまだにイベントや体験的なものに結びつけているようです。二つは広告賞の中でも主要なものですから、この見解の食い違いは混乱を引き起こす可能性がありますね。
「体験型マーケティング」にはもう意味がないということでしょうか?
ブランドにとって「体験型マーケティング」は、人々に情報を与え、人々とのエンゲージメントを構築する上で、これからも非常に大切なツールであり続けるでしょう。しかし、しばしば目的が失われているようですね。ブランドは人々に植え付けようとするのではなく、行動変化を起こすことに注力することが大事なのです。
そのコンセプトをよく理解していると思われるブランドは?
かつてクライアントとして一緒に仕事をしたアメリカン・エキスプレスは、ブランド体験を本質的に理解し、自社のビジョンを顧客サービスから大規模スポーツ事業に至るまで、全てに反映させているブランドです。
ネスプレッソも、ブランド体験を理解している会社の一つ。カプセル式コーヒーの使用済みカプセルがごみとなることが、ブランドにとって悪影響を及ぼしかねないことにかなり早い段階で気付き、その点に感心させられました。同社はリサイクルプログラムを導入し、それを実に素晴らしいやり方で実行しています。ネスプレッソはブランド体験の考えを理解し、それをうまく利用して、ネガティブなものをポジティブなものに変えたのです。
ジョン・ルイス(英国の百貨店)も同様です。ジョン・ルイスはブランド体験の責任者を置き、店舗で自社のビジョンを反映させるべく努めています。何かで読んだのですが、スタッフを1日、(顧客対応を向上させる目的で)演劇学校に送ったりするそうです。私にとってこれこそが、物事の本質を理解しているブランド。小売の世界でブランドを際立たせる必要を認識し、それに向かって努力していることを示しているブランドなのです。
どのようにすればブランドは、小売レベルで「ブランド体験」を向上させられるのでしょうか?
小売におけるブランド体験には、常に難しさがつきまといます。というのも本質的に、他社の持ち場で活動することに当たるからです。マーケターによく見られる間違いが、自社のブランドの計画サイクルで物事を考えてしまうこと。自分のブランドとそのやり方だけに集中し、小売には独自の異なるシステムがあることを忘れてしまうのです。小売業界の戦略を理解することこそ、ブランドがやるべきことなのです。
肩書きに「クリエイティブ」とある人間は、今年どのような仕事をすべきでしょうか?
それは、むしろ広告会社が考えねばならない問題といえますね。基本的に広告会社は、壁を取り払って物事を考える必要があります。週5日、9時から18時まで会社に拘束しながら、多様なクリエイティブの才能の定着も実現できるという考えは、甚だしく的外れ。それがこれからも続くと考えるのは間違っています。広告界はもっと流動的になり、クリエイティブのコミュニティーと広く関係を築く必要があります。また、ミレニアル世代の才能ある人々が仕事に対してどう考えているかや、彼らがとり得る多様な働き方、成し遂げ得る多様な仕事について、理解しなければなりません。さもなければ、求めるような才能の多様性を実現させることはできないでしょう。
つまり、「フルタイムのクリエイティブスタッフ」とは、もう過去の考え方なのですか?
いえ、そんな事はありません。フルタイムのクリエイティブスタッフは、今後も広告会社の核となる存在です。しかし我々は問題解決のため、多様なスキルを持った人がもっと必要です。ゲームや機械、音楽、詩、アニメーション、Spotifyのアルゴリズムを理解している人――などなどを引き込みたい。しかし彼らに(フルタイムの)スタッフとして働いてもらうのは不可能に近いでしょうし、無理やり適用するべきでもないと思います。彼らは多様な世界に触れているという点が素晴らしく、そういった人々の出入りが増えたり、あるいは一緒に働くことで、我々も多くのことを得られる。このような理由から、広告会社を取り巻くコミュニティーは非常に重要なものとなるでしょう。
(文:デイビッド・ブレッケン 編集:田崎亮子)