ユーモア系の広告が、カンヌで勝ったという話を聞いたことがあるだろうか。私は聞いたことがない。
実際、6月末にオンライン開催された2021年のカンヌライオンズで主要な賞を獲得した広告のうち、明らかにユーモラスと言える作品は1つだけだった。グッドバイ・シルバースタイン&パートナーズ(Goodby Silverstein & Partners)が制作し、2020年のスーパーボウルで放映された、チートスの広告「Can't Touch This」で、それは、クリエイティブストラテジー部門のグランプリを受賞した。
では、なぜユーモア系の広告が、審査員から称賛されることがこれほどまでに少ないのだろうか。
理由の一つは、カンヌが国際的な賞だということだろう。賞レースを突破するような面白い広告には、言語の壁を越えた肉体的表現によるユーモアを採用しているものが多い。文脈に依存するユーモアは、それを理解するための共通の背景知識が欠かせず、ジョークによっては、理解してもらえないこともあるからだろう。
また、一般には知られていないが、面白い作品を作るにはスキルも必要だ。優れたシナリオに加え、ユーモアのセンスを理解し、前向きに評価してくれるクライアントが欠かせない。世界を救うといったパーパスドリブンなキャンペーンと、軽いノリのユーモア広告のどちらかを選ぶとなれば、ただ面白いだけの広告提案でクライアントを説得するのは難しいだろう。
もう一つの理由は、この1年間に私たちの誰もが経験したパンデミックの性質にあるかもしれない。多くのブランドが、悲劇の最中にジョークを飛ばすべきではないと感じていたはずだ。さらに、人々の考え方が二極化していて、多くのブランドが攻撃的と思われかねない表現を避けようとしたことも理由のひとつだろう。どのようなジョークも、結局のところ誰か、または何かをからかうものだ。だが、良いジョークにはからかう対象への愛情が込められている。しかし今は、どこまでなら受け入れてもらえるのかという境界線が揺らいでいる。これは、コメディ全体にとっても課題だといえる。
とはいえ、広告があまりに堅苦しくなってしまうのは残念だ。ユーモアは記憶に強く残り、ノイズを跳ねのけ、人々を結びつける上で大きな効果がある。今こそ「笑い」を取り戻すときなのかもしれない。
電通マクギャリーボウエン(Dentsumcgarrybowen) 共同エグゼクティブクリエイティブディレクター、スー・ヒッグス氏
私は光栄にも、カンヌ映画祭の最終選考委員を務めさせてもらった。私たちがこの1年に経験したことを考えれば、笑いはぜひとも必要なものなのだが、実際にはほとんど見られなかった。
確かに、コミュニティのための素晴らしいパーパスを掲げた作品は数多くあった。だが、ドローガ5(Droga5)が手がけたペットフード企業ペトコ・アニマル・サプライズの広告や、サーチ&サーチ(Saatchi & Saatchi)が手がけた洗剤ブランド「タイド」の広告などのユーモラスな作品も、その軽いノリのユーモアとともに審査員に好意的に受け入れられていたことがZoomの画面からも見て取れた。私は今でもその様子を覚えている。ユーモアは人々の味方であり、実に強力なツールだ。英国では、1990年代に放映されたソフトドリンク「ブラックカラント・タンゴ」のCMが、広告界の「フォルティ・タワーズ」(英国で1970年代に人気を博したコメディ番組)と称されるなど、今も語り草となっている。
偉大なユーモアを作る技術は失われつつある。ユーモラスな広告を生み出すのは難しく、優れたシナリオとユーモアのセンスを共有できるクライアントが必要になる。そのためか、ユーモア広告がブリーフィングの場に登場することはめったにない。ユーモアをリサーチするというのはやや不自然だし、「ラフ画」のデモでユーモアを説明するなどは、もはや冗談でしかない。このような広告をグローバルな舞台で披露しても、オーディエンスの多くがユーモアのセンスを共有しておらず、翻訳を介するとその面白さも失われてしまうだろう。
ユーモアは、人と人との距離を最も縮めるものだと言われている。ユーモアがない状況は、それこそ笑いごとではないのだ。
クワイエット・ストーム(Quiet Storm) 創業者兼エグゼクティブ・クリエイティブ・ディレクター トレバー・ロビンソン氏
カンヌでは、いつものように素晴らしい作品が見られた。新型コロナウイルス、BLM(ブラック・ライブズ・マター)、トランプといったこの1年の情勢は、非常に激しく、感情的な風景を作り出した。「#WombStories」や「You Love Me」などの優れた作品はどれもこの時代を反映した作品だ。You Love Meで、ドクター・ドレーは、黒人の人々がどのように感じているか、どのように扱われているかを厳しく指摘した。生理用品メーカーのボディフォーム(Bodyform)は、#WombStoriesで「子宮」とともに生きることの喜びと難しさを見事に描きだしている。
個人的な意見だが、状況が悪いときにはいつも面白いものに惹かれる。正気を保つにはやはり笑いが必要だ。今回の受賞作品は今年にふさわしいものだと思うが、やはり笑いが足りないというのが私の意見だ。
ガーグル(Gaggle) 共同創業者兼マネージング・ディレクター、トム・ベイズリー氏
誰かを笑わせることは、自分と相手の距離を縮めることだとよく言われる。これは「あなたと私は、世界を同じように見ている」と認め、つかの間の絆を感じることを意味する。ジョークを言うのが人であってもブランドであっても、この原則は変わらない。
だが悪いことに、笑ってもらうのはとても難しい。うまくいかなければ、裏で嘲笑されている可能性もある。ユーモラスなことをするには、いい時代であっても勇気が必要だ。まして新型コロナウイルス感染症(COVID-19)やキャンセルカルチャーが蔓延し、是が非でも攻撃的な表現を避ければならない時代には、繊細さも必要になる。人は気に入ったブランドから商品を買う。そして残念ながら、気に入ってもらう最短の道は、ユーモアなのだ。
MRM 欧州地域ヨーロッパ会長兼英国担当最高クリエイティブ責任者、ニッキー・ブラード氏
カンヌがもはや広告だけのものでないことは明らかだ。そして、ユーモラスな作品も見つかると私は思っている。そのような作品は笑いをもたらしてくれる。#Wombpainstoriesで垂れ下がった胸を揺らすキャラクターを見つけたときでさえ、ユーモアを感じた。
また、垢抜けないJPEG画像で作られたレディット(Reddit)の「Superb Owl」は、私を大いに笑わせてくれた。プリティバード(Prettybird)が制作した「Lil Nas X Old Town Road」の動画もお気に入りだ。
今はこれで十分だ。楽しさが足りないのは、私たちの誰もが最近経験した出来事のために違いない。今の状況から脱したときには、馬鹿馬鹿しい作品やクスッと笑えるジョークがもっと出てくることを期待している。