このCMは11月28日に公開され、1週間で1000万回以上再生された。登場するのは、己と葛藤するアフリカ系日本人と在日コリアン、そして「いわゆる」日本人の3名の女子高生たちだ。
ネット上では「勇気あるアプローチ」「差別を受けている人々の励みになる」といった共感が広がる一方、「日本に差別はない」「日本だけを不当に貶めている」といった感情的な反発から、「人種問題の商業的な利用」「過去に人権問題を起こしたナイキが人種差別を語る資格があるのか」といった声まで様々な批判が渦巻く。
「素直に感動しました。企業がこういう問題を考える機会を皆に与えることは、とても素晴らしいと思います」。こう話すのは、今年20歳になる木村ソニア氏。コンゴ人の父と日本人の母を持ち、福岡で生まれ育った。今は東京のファッション専門学校に通い、将来はECサイトで自分のブランドを立ち上げることを夢見る。
180センチ近い長身で、1970年前後に米国で叫ばれた「ブラックビューティー」を体現するような華やかさを漂わす同氏。均質性を重んじる日本社会では、明らかに突出した外見の持ち主だろう。「小学生の頃は、髪の毛とか何で皆と違うんだろうと悩みました。でも、中学生の頃からハーフの芸能人がもてはやされるようになって、友達にも『格好いい』って言われるようになった。それでも、自信につながったかというと難しいです。今でも街や電車の中で、知らない人たちから心ない言葉を投げつけられる。アイデンティティーでいつも揺れている、というのが正直な気持ちです」。
欧米や他のアジア諸国同様、日本にも人種差別問題が歴然とあることは否定しようもない。従って、「日本に差別はない」などという意見はまず切り捨てられねばならない。では、日本と歴史的なゆかりがある朝鮮半島にルーツがある人はどう見るのだろう。
「動画を見てまず思ったのは、テーマ性どうのより、情緒性やストーリー性を過剰に演出していて、少女たちを勇気づけようという押し売り感が強すぎること」。意外な感想を語るのは、フリーのTVプロデューサーで在日コリアン3世のリ・ヨンスク氏。映像制作に携わる者らしい視点でもあろうが、同氏は外国人=被差別者という紋切り型の思考には懐疑的だ。「いじめを受ける理由のすべては外国人だから、では逆差別になりかねない。ルーツや国籍で己を選別するのではなく、まず自分自身を知り、考えて行動する。その上での評価を受け止めるのが当然です」。
同氏は、すべての教育を日本人が通う学校で受けた。当時は親の方針で通名を使ったが、周囲は皆、同氏の出自を知っていた。「自分の振る舞いや対応もあったと思いますが、露骨ないじめや差別は経験しませんでした」。
企業がこうした社会性の強いメッセージを発信することには、賛意を表す。「(企業は)自由にやればいい。それに対してネット上で批判が起こるのは、内面的にいろいろな問題を抱えている視聴者が過剰反応している結果だと思います。こうしたCMで勇気づけられる子たちもたくさんいる。社会への問題提起のツールとして、意義があると思います」
東京のビジネスクリエイティブ戦略コンサルティング会社「コーモラント・グループ」でマネージングパートナーを務めるバリー・ラスティグ氏は、ナイキのアプローチを全面的に支持する。「広告界のクリエイティブにとって、こうした作品を生み出すことは理想。企業は社会的姿勢を鮮明に打ち出すことに、躊躇する必要はありません。ナイキは先頭に立ち、それを積極的に行ってきた」。
「このCMに反発するのは、日本社会・文化の『守護者』を自称する人々。CMに登場するような少女たちが無意識のうちに闘っている相手はまさしくそうした人々で、彼らにスポットライトが当たったのは皮肉な結果でしょう」
また、依然として人種差別問題が根強い米国の企業に他国の人種問題を批判する資格があるのか、という声もある。今年5月に起きたジョージ・フロイド氏の暴行死事件をきっかけとしたブラック・ライブズ・マター(BLM)運動の盛り上がりは、米国社会の闇に改めて光を当て、世界的連鎖が起きた。
「ナイキは米国でも、ブランドへのリスクを省みずに人種問題を率先して取り上げてきた。ナイキはもはや米国のブランドというより、グローバルなブランド。ゆえにこの広告の目的は、世界中の女性にインスピレーションを与えることと捉えるべきです」
ナイキは2018年、アメリカンフットボールのスター選手であるコリン・キャパニックをキャンペーンに起用した。同選手は警察の黒人への暴力に抗議の意を込め、試合前の国歌斉唱への起立を拒否。ナショナル・フットボール・リーグ(NFL)から追放され、米国を二分する議論を巻き起こした。このキャンペーンが公開されるとナイキ商品の不買運動が起きたが、その後風向きは逆転。結果的にナイキの売上は3割増、ブランド価値も60億ドル増となり、ビジネスとしても成功を収めた。しかも、続けて制作された同選手のナレーションを用いたキャンペーンはカンヌライオンズで2部門のグランプリを獲得した。
「ナイキはこの成功例を十分に意識してこのCMを作っているでしょう」と話すのは、大手広告代理店で長らく勤め、現在フリーで活動するクリエイティブディレクター。「賛否両論が起きるのは十分承知の上で、バイヤーペルソナ(データに基づいた半架空の理想的な顧客モデル)を対象に発信している。LGBTなどを含め、こうしたマイノリティーを題材として取り上げるのはモラル的に正しい、というトレンドも背景にあります」。
キャパニック選手の件があるまで、「ナイキのブランド価値は他の大手スポーツメーカーに比べて下がっていた」とも。そのきっかけは、「1997年に発覚した児童労働問題」。東南アジアの工場で児童を劣悪な環境で働かせていた問題は、同社に対する不買運動を誘発した。このCMに対する批判の一つには、そうした「『罪』を犯した企業が何をか言わんや、という見方があります」。
さらに同氏もリ氏と同じく、CM自体のクオリティーに疑問を呈する。「演出も編集も、もっと良い表現方法があるのでは。あまり良いクリエイターを使っているとは思えません。大仰さを極力抑えることが、こうしたテーマではより効果を発揮するものです」。
さて、あなたはこのCMをどのように受け止めるだろうか。
(文:水野龍哉)