そう遠くない過去には、広告主がほぼすべての人に容易にリーチできた時代があった。必要なことは、巨額の資金を投じてテレビやラジオ、印刷媒体等の広告枠を買うことだけだった。当時、マスメディアの力を利用することは、必ずしも成功を保証するものではないが、たいてい常に成功のための重要要素の一つだった。
そうしたマスメディアの力は、巨大ブランドの誕生にも貢献してきた。マクドナルド、コカ・コーラ、ペプシ、ナイキ、アップル、フォード、シボレー、AT&T、タイド、クレスト、バンク・オブ・アメリカ、VISA、マスターカード、トヨタ、タイレノール、クリネックス、バドワイザー…などなど。
昨今、状況ははるかに複雑になっている。メディアが細分化された一方で、メディア消費は大幅に増加した。大衆にリーチすることは、以前とは比較にならないほど難しくなった。かつて、動画の選択肢はわずか3つか4つ(のテレビチャンネル)だったが、今や何百も存在する。検討の対象となる印刷媒体はせいぜい数十だったが、今では何百万ものウェブサイトが同じ役割を果たしている。メディアストラテジストにとっては気が遠くなるような仕事になった。
メディアの現実におけるこうした変化をうけ、メディア戦略も変化してきた。有力なブランドを構築するには広範なリーチが不可欠だと信じられていたが、この考え方は時代遅れになり、メディアの最も効果的な活用方法は1対1のパーソナライズされたメッセージだと考えられるようになった。
しかし、筆者は検討材料として別の視点を提案したい。
大衆へのリーチがはるかに難しくなったことは間違いない。それでも筆者は、大衆へのリーチが難しくなったことを理由に1対1のパーソナライズされたメディア戦略に移行することだけが正しい対応だという前提には疑問を呈したいのだ。
言い換えるなら、病気を認識したのはいいが間違った薬を処方しているのではないか、という疑問だ。オンラインメディアの技術向上によって、メッセージを個人に合わせることが可能になったが、必ずしもそれが常に良いアイデアだとは限らない。便利だからといって必ずしもブランド構築に適しているとは限らないからだ。
さらに、マスリーチは以前より実現が困難になったものの、だからといって誤った戦略だということにはならない。ただマスリーチが手間のかかる仕事になり、適切に遂行するには、より高度な戦略と優秀なストラテジストが必要になったというだけだ。
残念ながら、昨今のメディア戦略は反対の方向に進んできた。デジタルメディアのエコシステムは驚くほど複雑であるにもかかわらず、メディアストラテジストは高いクリック率と低いインプレッション単価(CPM)を求める声にきつく縛りつけられている。メディア会議で難解な業界用語を聞かされ、大量のデータを分析し、さまざまな図表を細かく調べて、レポートが完成しても、契約が結ばれるときには荒削りで、あまり高度とは言えない、クリックとCPMの指標だけという結論に行き着く可能性が高い。
これは、ブランド構築の原則がダイレクトマーケティング業界の慣行に取り込まれてしまった証拠だ。
マクドナルド、コカ・コーラ、ペプシ、ナイキ、アップル、フォード、シボレー、AT&T、タイド、クレスト、バンク・オブ・アメリカ、VISA、マスターカード、トヨタ、タイレノール、クリネックス、バドワイザーなど、広告が広範なリーチを重視していた時代に構築されたブランドは、デジタルパーソナライゼーションが「流行」になって20年が経過した今でも、それぞれのカテゴリーで支配的な地位にある。そう考えると、ここで一旦立ち止まり、処方が間違っていた可能性について検討すべきではないだろうか。
マスリーチがブランドの優位性にとって不可欠な要素である証拠は広告以外でも見ることができる。グーグル、フェイスブック、アマゾン、テスラといった新興のメガブランドは、巨額の広告予算を投じることなく構築されたとは言え、メディアに幅広く取り上げられることで価値を上げてきた面がある。PR活動や数十億ドルの広告に相当するニュース記事、型破りなCEOや投資家、ビジネスコメンテーターの言動などを通して、彼らは広く社会に認められるブランドになった。必ずしも広告が関わったものではないが、こうしたブランドの成功は、大衆の関心を喚起するメディアの力を証明していると言える。
有力ブランドを作るための重要な要素のひとつが名声だ。自著『Advertising For Skeptics』から引用しよう。
“ブランドが名声を得る方法はいくつかある。優れたブランディングによって桁外れに大きな口コミが生まれる場合がある。これはもちろん有名になる最高の方法だ。メディアで好意的に取り上げられるという幸運をつかむブランドもある。これらのブランドは初期にはマーケティング予算をほとんど投じていないが、すでに新聞のビジネス欄等では頻繁に目にする状況になっていた。
独創的なPR、大胆な行動、リーダーのカリスマ性、あるいはこれらの組み合わせによって有名になる場合もある。このように名声を得る方法はたくさんある。肯定的な口コミは最高だが、残念ながら自分で操作するのはほぼ不可能だ。メディアに愛される確率もかなり低い。独創的なPRは重要だが、容易に思いつくものではない。カリスマ性のあるリーダーは1000人に1人くらいしかいないだろう。結局、ブランドを有名にする方法として、広告は最も費用がかかるが、最も信頼性が高い。広告こそお金を払って名声を得る唯一の道だ。”
マスリーチが今なお有力ブランド構築の鍵だとするなら、メディアが細分化された今の時代には、広範なリーチを効率よく実現する方法を提示できる、優秀なマーケターやメディアストラテジストが必要だ。