昨年11月、金融商品取引法違反(有価証券報告書の虚偽記載)の疑いでゴーン前会長が逮捕されたことを受けて開かれた西川社長の記者会見。居並ぶ報道陣の前に一人で現れた同氏の言に、違和感を持った人々は少なくないだろう。
「会社として断じて容認できる内容ではない」「私自身、日産のリバイバル以降、全身全霊を入れて日産の前進に力を注いできた」「長年にわたるゴーン統治の負の側面」……。西川氏は前会長に取り立てられ、長年側近として仕えてきた。傍目から見れば、両者は一心同体も同然だ。だが、その口から出たのは企業トップとしての型通りの謝罪であり、真摯な自戒を感じさせる言葉ではなかった。あたかも不正は「他人事」で、自身に責任はないと言明しているかのようだった。
今回の辞任の発端となったのは、周知のごとく株価に連動する報酬不正問題。「ストック・アプリシエーション・ライト(SAR)」と呼ばれる権利の行使日が約1週間ずらされ、約4700万円が西川氏の報酬に上乗せされた。日産は早々に社内調査の結果を発表し、西川氏は自ら不正行為の指示を出しておらず、秘書室が独断で実行したと断定。東京地検特捜部も立件を見送った。時期を同じくして、同社はゴーン氏とグレッグ・ケリー前代表取締役の不正に関する社内調査の結果も公表。その総額は3500億円にのぼるという。
西川氏の取得した金額がゴーン氏とは桁違いに少なく(と言っても庶民からすれば途方もない額だが)、自らの意思ではないとしても、結局は同じ「カネ」にまつわる不正。今年4月の臨時株主総会ではゴーン氏を取締役から解任、完全に「排除」した上で社内のガバナンスの再構築を旗印に掲げたはずだった。だが、同種の不祥事は再び発覚した。
日産の企業体質は、他の自動車大手とは異なる −− これは以前から広く指摘されていたことだ。つまり、トヨタ自動車には豊田家という支柱があり、本田技研には本田宗一郎というカリスマがいた。だが日産は凡庸な個人の集合体で、「イズム(ism)」がないというのだ。「日本カー・オブ・ザ・イヤー」の立ち上げに関わり、自動車業界を40余年にわたって見つめてきたある観測筋はこのように話す。
「日産は、節目節目で各人の思惑が会社に機能不全を起こしてきた歴史がある。プリンス自動車の吸収合併、労働貴族の台頭、社内派閥の抗争……。それらが顕在化して、例えば新車開発時にはネジ1本の決済に50以上の部署のハンコが必要だったこともあったのです。ゴーン氏を連れてきた塙義一・元社長が、『ハンコを20ぐらいにやっと減らしたけれど、これ以上は日本人社長である僕にはできない』と言っていたのを思い出す」
また、ゴーン氏のスピーチライターを務めていたジョン・R・ハリス氏はこのように話す。「ゴーン氏以前の日産の社長には実質的権力がなかった。たとえ社長になっても、元社長や会長といったOBたちの意見を重んじなければならなかったのです」。
こうした組織を一新したのがゴーン氏であったことは言うまでもない。この場では同氏の報酬不正問題は取り上げないが、容赦のないコストカットが多くの「敵」をつくったことも周知の事実だ。今でも同氏の逮捕は、日産社内の「日本人の反逆」という見方が欧米メディアを中心に根強い。ビジネス戦略コンサルティング会社「コーモラント・グループ」のマネージングパートナー、バリー・ラスティグ氏はこう話す。「ゴーン氏はああした形で追放されるべきではなかった。まずは社内調査でさまざまな不正を把握するべきだったのです。もちろん、そうしなかった理由は誰の目にも明らか。今回の西川氏の不正の発覚と辞任が、その過ちの埋め合わせになるわけでもありません」。
ゴーン氏が自分の体制を確立させたとき、その周囲を固めたのは「英語が話せる『茶坊主』たちだった。そのトップが西川氏だったのだから、今回の事態は推して知るべし」(前出の観測筋)。ゴーン氏の排除によって、結局日産は元の形態に戻ってしまったということなのか。いずれにせよ、「元々硬直化していた組織を、しがらみを知る日本人がトップで指揮を執るのは無理な話」(同)。
だからと言って、今後の日産の舵取りを再び外国人が担う公算は限りなく低い。「日産側が望まないにしても、海外のトップ経営者の誰が日産の改革に挑んでみたいと考えるでしょう。」(ラスティグ氏)。
日産の今後は極めて不透明と言えるが、今回の醜聞はどのような影響を及ぼし、同社はそれにどう対処すべきなのか。ニューズウィーク日本版編集長・長岡義博氏はこのように話す。「前会長逮捕・起訴に続く社長の辞任なので、イメージと業績にマイナス影響が出るのは避けられません。しかし、日産にとって本質的に重要なのは自動運転やMaaS(モビリティ・アズ・ア・サービス)といったモビリティ改革への取り組みではないでしょうか」。
未来を見据え、真摯にイノベーションに取り組んでいく。「原点に立ち返ってクルマづくりに注力することが肝要」と指摘するのはラスティグ氏だ。2017年に発覚した検査不正問題も、決して過去に葬られた話ではない。「社内の問題を整理し、消費者が求める素晴らしいクルマを創造していくことです。一般の消費者は、自動車メーカー社内の問題にあまり関心を示さない。関心を持っているのはあくまでもクルマの安全性や効率性、そしてスタイルといった事柄ですから」。
ハリス氏は、内向きの体質の克服が課題と主張する。「日産には明らかにダイバーシティが必要。日本人幹部だけでは世界の実情を反映できない。一般に海外では、日本とドイツの自動車メーカーを比較してこのような言い方をします。ドイツメーカーはストラテジーに長けているが、インプリメント(計画などの実行)が弱い。日本メーカーはその逆で、インプリメントに強く、ストラテジーに弱いとね。米国などでは、日産はオリジナリティーに欠けている印象も強い。戦略面に加え、こうした点も克服していくべきでしょう」。
今回の西川氏の辞任は提携関係にあるルノーの母国であるフランスをはじめ、海外でも大きな関心を持って報じられた。一般的な日本企業のガバナンスに対するイメージを損ねることになるのか。「この点に関して特に目立った動きはないでしょう。既に海外の人々が持っている認識がより一層強固になるだけです。日本の大企業の多くは閉鎖的で、コーポレートガバナンスや競争力よりも国としての威信を重んじるのだ、と」(ラスティグ氏)。
「社長の不正はもちろん日産にとってガバナンスの一大汚点です。しかし企業の不正はいまだに世界規模で横行しており、日産一社、日本企業だけの問題ではありません。今年1月、NGOであるトランスペアレンシー・インターナショナルが発表した『腐敗認識指数』で第1位となったデンマークでも、ダンスケ銀行による26兆円規模のマネーロンダリング事件が起きました」(長岡氏)
長岡氏は、更にこれからの企業の世界的トレンドを予測する。「この8月、米国の経済団体ビジネスラウンドテーブル(日本の経団連に相当)に所属する181社のCEOが、これまでの株主第一主義を改め、『全ての米国人の利益を追求する』という声明を発表しました。顧客や消費者を大事にし、社員の給与を改善し、サプライヤーや地域社会に配慮していくというのです。来年の大統領選挙を見据えた動きとは言え、CSR(企業の社会的責任)を追求する動きが米国企業で始まったことで、この傾向が企業の世界的トレンドになる可能性がある。CSRとガバナンスは裏表の関係です。ガバナンス強化ができなければCSRはおぼつかない。日産に限らずどの企業も、外部監査制度や社外取締役によるチェック体制を確立していくべきでしょう」。
危機管理に対する認識も改めて問われるところだ。「日本企業は危機に直面すると、いまだに麻痺してしまうだけという印象がある」(ハリス氏)。「たとえ面目を失ったとしても、限りなく透明性を高めることが重要。日本の企業は事実を隠したり大衆を欺こうとしたりして、不要なトラブルを起こしてしまうケースが多い。結局は事態を悪化させてしまうだけなのです」(ラスティグ氏)。
「バブル崩壊、そしていわゆる『失われた20年』を経て護送船団方式が終わりを告げ、今は一般企業の社員にとって『無常』がデフォルトになっている感があります。それでも、グローバル化や危機対応への意識はまだ十分ではない。ものづくり企業による右肩上がりの時代がとっくに終わっているという認識、『会社が自分を守ってくれる』のではなく『自分が会社を守るのだ』という意識を、トップから一般社員までが共有すべきではないでしょうか」(長岡氏)
(文:水野龍哉)