日本の広告界で圧倒的な存在であり続けてきた電通を告発する著作物は、過去に何冊も出版されている。だがこの数年次々と明るみに出た同社の不祥事を踏まえたものは、これがはじめてだ。本間龍著、「電通巨大利権 〜 東京五輪で搾取される国民」(サイゾー、2017年10月発行)。
この本で描かれるのは、電通の大きな優位性を生み出した日本の広告業界の特殊性、同社に忖度するマスメディアの姿勢、東京五輪における同社の巨大な利権構造やエンブレム問題、裏金疑惑との関連性といったテーマだ。これらは業界内で「常々囁かれている噂」と取る向きもあろうが、広告界と縁のない人々にとっては衝撃的な内容だろう。
社会的に大きなインパクトを与え、働き方改革のきっかけにもなった新入社員の過労自殺問題についても、1つの章を割いて大きく取り上げている。残念ながら本書が脱稿したのは同社に東京簡易裁判所で罰金刑が言い渡される直前で、その顛末については触れられていない。それでも興味深いのは、自殺した高橋まつりさんが「コネ」による入社ではなかった故に起きた悲劇、としている点だ。
つまり電通は、「『コネ通』と呼ばれるほどコネ入社が多い会社で、毎年新卒者の半分以上、女子にいたっては8割以上が縁故入社だと言われている」。「短大卒資格の安倍昭恵首相夫人が入社出来たのも、彼女の父が森永製菓社長であったからだと考えられる」。コネを使った入社組は正規入社組よりも能力が低いため、暇な内勤やプレッシャーの低い部署に配属される。そして高橋さんのように真に優秀な人材は、いきなり激務を負わされるというのだ。そして縁故入社組に対するような「思いやりやいたわりがなく、上司によるパワハラも横行していた」。
一昨年10月に東京労働局による強制捜査を受けると、電通は時間外労働時間の短縮や夜10時から翌朝5時までの全館消灯といった対策を次々と打ち出した。その直接的な理由については、石井直社長(当時)が首相官邸に呼び出され「安倍首相から直々に注意を受けていた」からと指摘する。首相は同社長にこのような忠告をしたという。
「これまでの一連の事件によるイメージ悪化は、電通が担当している東京オリンピック業務に支障を来す恐れがあるから、これ以上の事態悪化を防ぎ、一刻も早く終息させるように」
東京五輪・パラリンピックのエンブレム盗作問題や日本オリンピック委員会(JOC)の招致獲得のための賄賂疑惑についても、その本丸は電通だと著者は唱える。「JOCや五輪組織委の大半は東京都や各省庁からの寄せ集めであり、広告や国際イベントの知識などないから、電通からの出向組が実務を取り仕切っている」。
これらの問題でマスコミは電通の介在を言及せず、特に賄賂疑惑はすぐに報道が下火になった。この点に関しては国民の多くが頷くところだろう。フランスの検察が捜査を続けているというニュースを最後に尻切れトンボになっている感が強い。もっとも五輪やサッカー・ワールドカップの招致では、ほぼ全ての大会において賄賂疑惑が取り沙汰され、そのほとんどを世界中のマスコミが追及しきれていないようだが。
著者は、電通が日本のメディアを支配していることは「広告という領域においては厳然たる事実」と言い切る。「スポンサーの忠実な僕(しもべ)として、スポンサーに対するネガティブな報道や批判記事が世に出るのを防いできた。但しそれは……広告出稿を交渉手段としてである」。ただ、「こうしたあからさまな手法は電通の上場(2001年)以降影を潜めたが、逆に過去の歴史を見てきたメディア側が過度に電通に『忖度』するようになった」というのだ。
その視線は東京五輪・パラリンピックの予算にも向けられる。組織委は潤沢な予算があるにもかかわらず「怪しい数字操作」をし、その不自然さを主要新聞は一切追及していないという。著者は大会ボランティアを「全て有給にせよ」と主張する。組織委は「自らが高給を貰いながら、あらゆる人々の能力や善意を利用し、タダで使おうとしているのだ」。
そして、「五輪は電通のためにある悪夢の巨大イベント」「電通を解体せよ」と続いていく。著者が博報堂に長年在籍していたことを差し引いても、「一強」と言える電通を公然と批判する姿勢にはジャーナリストとしての気骨を感じるし、出版元のサイゾーにしても然りだ。ただ残念なのは、ややヒステリックで大仰な表現が散見すること。時に己れの筆に高揚し過ぎている感を受け、せっかくのメッセージや内容が軽くなってしまっている。真摯なジャーナリズムは、往々にして静謐な表現にこそ説得力と訴求力が宿るものだ。更に読み進むうえで、ジャーナリズムのもう1つの欠かせぬ要素である客観性が感じにくい。もちろん著者は多くの人々に取材をしたうえで本書を著したのであろうが、主観的表現が多く、時に信ぴょう性に首を傾げざるを得ない。
それにしても、電通はこうした著書を一体どう捉えているのか。当然ながら、公式にはまったく無視するのであろうが、こうした著書が出版され、少なからずの人々が読み、電通に対して疑念の目を注ぐという事実から目を背けてはならない。
(文:水野龍哉)