「肩書きは二つあります」。そう言いながら、日比野貴樹氏はコーヒーテーブルの上に白いシンプルな名刺を差し出した。そこには、「電通イージス・ネットワーク エグゼクティブチェアマン」「電通 シニアバイスプレジデント」と並記されている。
「私がニック(・ウォーターズ、DAN APAC前CEO)の後任となった理由の一つがここに記されています。つまり、DANに新たなチャプターを開くこと。『One Dentsu』を実現することです」
この使命を果たすのに、同氏はまさに適材と言えよう。元電通社員の父を持ち、36年前に営業マンとして電通に入社。初めはNTT、富士フイルム、資生堂などの国内ブランドを担当し、その後はコカコーラやマクドナルドといった海外ブランドを手がけた。
昇進を重ね、2016年には電通役員として初めて海外の拠点(シンガポール)のエグゼクティブオフィサーに。それから2年間、電通の海外クリエイティブネットワークである「Dentsu Brand Agencies」のAPAC CEO、新たにリブランディングされたメディアエージェンシー「dentsu X」のグローバルプレジデントとして海外事業を牽引した。
同氏は自身を「架け橋」に例える。「国内市場とグローバル市場、東京とシンガポール、日本とAPAC……そして今度は電通とDAN、というわけです」。
目指すは一つの企業文化
2020年1月から実施される電通の新たなコーポレートストラクチャーでは、電通とDANは新持ち株会社「電通グループ」の傘下で連携していく。
その理由は、「現在の売上総利益の海外比率は国内を凌ぎ、6割になったこと」。因みに、6年前の海外比率は10%ほどに過ぎなかった。
先週発表された2019年12月期第1四半期(1〜3月)決算短信で、電通の山本敏博CEOは「新体制は日本の電通本社とDANの統合推進に寄与する」と述べている。
統合が新たな優先課題とすれば、「アジアはそれを実現するのに理想的な地域」と日比野氏。「地理的な条件だけではなく、精神的にも情緒的にも日本と近い。大きなビジネスチャンスがあると考えています」。
だが、DANの海外に点在する社員が皆このように前向きな考え方を持っているかどうかは訝しい。DAN APACは今年になって、メディアエージェンシーを中心に各社の幹部を多数レイオフした。その再編は業績の悪化にもつながった。
Campaignは昨年末、DANの複数の社員から「東京の介入」に対する不満を聞いた。APAC幹部への「粛清」は、電通本社の人材と入れ替えることで東京の意向を実行しやすくするためではないか −− そんな皮肉な見方をされてもおかしくはない。
だが当然のごとく日比野氏はこの憶測を否定する。「それは事実ではない。日本中心の会社運営など、考えたことはありません」。
「各市場での成長を推進するため、APACのヘッドクオーター(HQ)はより効果・効率を高めねばならない。だからこそ、HQとしての役割をいくつか見直したのです」
「ほとんどの社員はそれを理解しているし、ネガティブな感情は抱いていない。しかしながら、変革を行えば必ず社員の間には懸念が生まれる。ですからそれを払拭するために、各地で大小のミーティングを頻繁に開いています」
DANに電通のDNAを
同氏がそれ以上に注力するのは、各社員に「『One Denstu』の一端を担う喜びを感じてもらうこと」だ。目指すのは東京の意向を受けた組織ではなく、「国境を超え、上下も偏りもない電通固有の文化を核にしたメタナショナルな組織」。因みに「電通人」は世界に6万2000人、日本を除いたAPAC18カ国には1万7千人いる。
海外では、電通は極めて階級的かつ官僚的組織というイメージが強い。だが、「電通のリーダーシップはフラットな構図。イノベーションやアイデアがどこからも、誰からも生まれてくる。それがメタナショナルな組織です」。
もちろんこのように会社が機能するには、社員が自社に居心地の良さを感じ、その文化に溶け込むことが前提条件となる。
さらに近年、海外では電通が取り組む深刻な過重労働問題や広告取引における透明性にも注目が集まる。
こうしたネガティブなイメージが、120年に及ぶイノベーションの草分けとしての歴史が生んだ組織や文化の素晴らしさを覆い隠しかねない −− 日比野氏をはじめとする幹部たちが危惧するところだ。日本にテレビ広告市場を確立し成長させたのも、新たなロボット工学やテクノロジーを活用する基盤を築いたのも、スポーツやエンターテインメント、映画市場で初となる「実験」を試みたのも電通なのだ。
クライアントにとって全く新しい、誰も試したことのない提案をする −− DANにはそうした開拓者精神を植え付けることが目標だ。
「私の意図するのは、電通とDANから良い部分だけを抽出してハイブリッドモデルを築くこと。それが我々にとっての差別化要因となり得るのです」。このモデルには国ごとに事業を一つの決算単位で見る「One P&L」、クライアント中心の思考、長期的視野などが含まれる。
新たな成長分野
広告を超えた新たな関係をクライアントと築くことも目標の一つだ。つまり、DANがクライアントのビジネスパートナーになることを意味する。
「クライアントとプロダクトやブランドを共同で開発し、収益を分かち合う。あるいはビジネスプラットフォームを開発し、そこから抽出したデータをDANの中核事業に活用する。そうした可能性が考えられます」
スポーツやコンテンツの分野にも、大きな成長の余地があると見る。「データやAIが主導の社会になればなるほど、ライブの経験や興奮がより一層重要になっていく」。今後3〜5年、スポーツやライブイベントをカバーする総合マーケティング会社MKTGやシンガポールに拠点を置く電通スポーツアジアなどが「投資の対象となり、より重要な役割を担っていくだろう」とも。
「もちろん、我々の中核事業は成長させていかねばならない。それと並行して10年、20年、30年後の持続可能な成長を見据え、グループとして第2、第3の収益源を確保していかねばならないのです」
「挑戦」のために
新しい事業モデルには更なる投資が必要だが、近年DANはコスト削減に注力してきた。「高い効率性を維持することは引き続き大切」。つまりすべてのオペレーションを見直し、不必要なものは切り落としていかねばならない。
DAN APACはこの半年で大きな改革を断行した。今後の新たな挑戦には注意深いアプローチを取っていくだろう。
だが挑戦の大切さを認識する同氏は、「やればできる」という電通の精神を近々実践するに違いない。「失敗は決して恐れていません。むしろ、大いに評価します。学びの最初のステップなのですから」。
この記事はCampaign Asia-Pacificに掲載されたものを要約しました。
(文:ロバート・サワツキー 翻訳・編集:水野龍哉)