クリエイティビティーにおける「人間性」は、遅かれ早かれなくなっていく −− AI推進派の人々はこのように口を揃える。実際、人間性の消滅という黙示録さながらの恐ろしい出来事は間近に迫っている感があり、いくつかの業界は押し寄せる「変革の津波」を耐え忍ぶのに精一杯だ。調査会社マグナによると、出版メディアの広告収入は今年から2024年にかけて4%減少するという。ROI(投資利益率)を他のデジタルメディアと比較すれば、最も低い数字だ。
一方で富裕層の消費、セレブリティーやポップカルチャーへの需要はかつてないほど高い(富裕層市場の動向は往々にして不況のバロメーターとされる)。果たして、雑誌の未来は本当に暗いのか。AIにはない、独自の存在感を放つことはできないのだろうか。
出版メディアはどうすれば存続できるのか。ありふれた答えが、広告主のデジタルプラットフォームへのシフトと広告支出を阻止することだ。だが、その壁は恐ろしく高い。
ニュースサイトやAI生成コンテンツのシステム、そしてソーシャルメディアの拡張は大規模なクリエイティブ経済を生み出した。この中に割って入り、独自のポジションを築くのはもはや至難の技だ。Web2.0のコンテンツは今や飽和状態で、Web3.0もやがてそうなるだろう。かつて情報の瞬時性や先駆性がセールスポイントだった分野で、ニュース速報の価値が下がれば当然オーディエンスはそっぽを向く。スマートフォンに付いたカメラの普及で、今や誰もがジャーナリストであり、クリエイティブなのだ。
では、エンターテインメントとしてはどうか。この分野ではネットフリックスがあらゆるコンテンツを提供している。今さら誰が、タブロイド新聞など読みたいと思うだろう。
出版物に批判的な人々は、こうした否定的意見をとめどなく繰り返す。「唯一の解決策は『テックファースト』。デジタル化を推進して広告収入を増やし、成功を謳歌するべし」と。
だが、果たして本当にそれが唯一の答えなのだろうか。
多くの雑誌、少なくともタイムやヴォーグ、エコノミスト、GQといったグローバルに展開する高級雑誌は、すでにデジタル戦略を導入している。オンライン版を発行し、ソーシャルメディアも積極的に活用、AIやメタバースにも慎重なアプローチを始めている。
今年3月、シンガポール版ヴォーグはムンバイ在住のクリエイティブディレクター、ヴァルン・グプタ氏と協働。初めてAIを使った表紙を作成した。グプタ氏はミッドジャーニーやDALL・E(ダリ)といったツールを活用、南アジアの伝統文化を題材としたオートクチュールを制作し、3人の個性的なアバターモデルに纏わせた。同誌はこれらのイメージを「伝統文化への賛歌であり、未来の再構築でもある」と解説。デスモンド・リム編集長は、「AIの発達によって出版界のクリエイティブイノベーションが幅広く議論されるようになった」と記した。同誌は近年こうした取り組みを続けており、2021年9月号ではNFT(非代替トークン)を特集、QRコードによる表紙を発表した。この号は不評を買ったが、どちらもソーシャルメディア上で大きな話題を呼び、フォーブスなどの主要誌が取り上げた。
昨年7月には、タイムが元メジャーリーガーのデジタルアーティスト、ミカ・ジョンソン氏と協働。同氏が生み出した「世界初のデジタル探検家」Aku(アク)を使い、メタバースをイメージした表紙を作成した。この号は大きなPR効果を生み、Akuは2000万ドル以上の売上げを記録。ジョンソン氏はNFTアーティストとして初めて、大手テレビ局や映画会社との新規プロジェクトの契約に至った。
こうした事例はまだある。男性誌GQも昨年、メタバース特集号を発行。デジタル世界をわかりやすく解説する記事を多数掲載し、メタバースの正しい知識と活用法を読者に説いた。さらに米チャットアプリ「ディスコード(Discord)」でも読者のためのコミュニティーを創設。デジタルイベントへの招待やコンテンツづくりの裏側、GQが推進するウェブ3.0とメタバースの紹介とともに、読者の理解に注力している。
これでも出版業界の取り組みは不十分だろうか。テクノロジーの時代と歩調が合っていないだろうか。もしそうだと言うのなら、それはおそらく解釈の相違だろう。
出版物は決してデジタルにはなり得ないし、その逆も然りだ。それで何の問題があろう。成功を夢見て、誰もがテック企業になる必要などない。雑誌を購入する人々は、その手触りが好きだからこそ購入する。アップル・ビジョン・プロ(ヘッドセット型PC)が出現し、VR(仮想現実)やAR(拡張現実)を雑誌がどれほどクリエイティブに活用しようとも、テクノロジー的価値を第一義に掲げる企業が提供するエクスペリエンスとは比較しようもない。
それはブランドポジショニングや、顧客に何を提供するかといった概念を超越したものなのだ。持って生まれたDNAとも言えるだろう。トヨタとテスラの関係性のようなもので、たとえ両社が同じゴールを目指しているとしても、決して同化しないのと一緒だ。
差別化のカギは原点にある。つまりコンテンツだ。以前は紙媒体だったCampaign Asia-Pacificのエディターだった私は、クリエイティブ戦略、あるいはコンテンツ戦略という名の下、この2年間で雑誌が本棚から消えていく現実を身をもって体験した。
カルチャーにまつわる言語は、特にそれが正しい声を通して用いられる時に威力を発揮する。インサイトやアナリシス、共感性、そして消費者の適度な触発といった要素を正しく盛り込んだ戦略は、デジタルであれ何であれ、競争を勝ち抜くためには欠かせない。出版業界は独自性を貫こうとするあまり、しばしば批判的インサイトを見落としてしまう弱点がある。
コンテンツはいまだに絶対的要素であり、特にそれがカルチャーに精通したクリエイティブの手によるものならば、なおさらだ。出版物を差別化するなら、コンテンツを活用し、時代性に合わせ、ニッチなものを掘り下げることが肝要になる。そして、それらを独自のユニークな「声」として発信することも欠かせない。
ニュースやアナリシスがAIによって破壊されるのなら、AIによって定義されないものこそが今の時代の象徴だろう。それこそが時代の精神であり、「クール」なものとそうでないものの本質の違いを明快に暴く。雑誌も、雑誌と協働するブランドも単なる媒介であっては意味がない。カルチャーを広めることにこそ役割があるのだ。
前述した雑誌のレガシー、そして軽快なフットワークこそが、AIによるオンライン投稿ではできない人間同士の生き生きとしたやり取りを創出する。どんなに頑張っても、AIコンテンツはヴォーグやタイム、GQのような社会的影響力は生み出せないのだ。「先日のパーティーの君のファッションが『とても素晴らしかった』とChat(チャット)GPTが言っているよ」 −− こんなセリフは誰も友人に向かって言いたいとは思わない。もしアンナ・ウィンター氏(米ヴォーグ編集長)が言ったのなら、特筆すべきことだろうが。
AIが席巻する時代はもうそこまで来ているのかもしれない。しかし、人間性が忘れ去られることはしばらくないだろう。出版物が終焉を迎えたのではない。今後の新たな方向性を選ぶべき時に来たのだ。世界を変えようと言うなら、今起きていることの本質を見極め、これまでの経験で最善の手段を選択する。そうしてこそ、差別化が実現できるのだ。
(文:ラハット・カプール 翻訳・編集:水野龍哉)