ジョージ・フロイド氏の暴行死から数週間が経ち、多くの人々が人種的不平等について学んだり、抗議活動に参加したり、職場での差別について声を上げるなどの行動を起こした。企業も人種差別の撤廃に努め、中には人種差別に能動的に取り組む職場となるため黒人コミュニティーに協力を求めるものもあった。
しかし私は懸念しているのは、時が経つにつれてその文脈が変わってきていることだ。
ブラック・ライブズ・マター(BLM)についての議論が減り、ダイバーシティ&インクルージョン(多様性と受容性、以下「D&I」)の観点で語られることが増えているのだ。人種差別を話題にするにあたって、そちらの方が聞こえがいいからと言わんばかりに。
D&Iは、BLMの(あるいは人種に関するあらゆるムーブメントの)隠れ蓑にはならない。人種差別は、真正面から取り組まなくてはならないのだ。D&Iの中の取り組みの一つとして論点をぼやかしてしまうと、我々は本腰を入れて立ち向かうべき課題から逃げることとなる。BLMは耳に心地よい話題へとトーンダウンしてしまい、現状を打開することができなくなってしまう。
D&IとBLMの混同は、なぜ間違いなのか
問題をここで整理してみよう。
D&Iは、もはや不可欠だ。人々が社会経済的な背景、ニューロダイバーシティ(脳神経学的な多様性)、年齢、性別、性的指向、障害、人種、宗教などに関係なく、就業の機会を得て、社会から歓迎され、受け入れられる。きちんと取り組んでいる組織は、何かが特殊だというわけではなく、組織としての意識の高さによるところが大きい。
一方のBLMは、制度的な人種差別や不平等だ。これは具体的には、他の人種には与えられるさまざまな機会が、黒人には与えられずに排除されることを指す。過小評価され、支援を受けられず、制度から漏れ落ちることの多い彼らが成功を収めるためには、より多くのサポートが必要なのだ。
D&IとBLMの違いを理解するには、フロイド氏のことをもう一度考えてみるとよい。彼が亡くなったのは人種差別によるもので、近隣でダイバーシティが欠如していたからではない。
ビジネスの文脈においては、有能な黒人を取り逃がすのは、組織が率先してD&Iに取り組まなかったからという理由ではない。無意識での差別や偏見、そしてそのような人材が活躍できないシステムによるものだ。
D&Iは、人種差別や不平等の根源に真正面から取り組めるほどには、まだ十分に成熟していないことがほとんどだ。部門間で男女比率を1:1にしたり、賃金格差を考慮して人材募集をかけたり、白人以外のBAME(黒人、アジア系、その他マイノリティー人種)を採用して「エスニックマイノリティー」の比率を高めるといったことに、D&Iは有効なのだ。(ちなみに広告業界のエスニックマイノリティーの比率は、2019年にわずか12%にまで落ち込んでいる)
D&Iは非常に重要な役割を担ってはいるが、人種問題も含めて取り組むのであれば、もっと認識を深め、より実直なものへと変わる必要がある。そしてBLMが新しくアジェンダに加わるには、正しく行われるよう時間を割くべきなのだ。
人種差別はビジネスの最後のタブー
これは、当面の間は受動的な傍観者になれという意味ではない。現状よりも、より勇敢な行動へと移す必要がある。人種に特化した新たなプログラムを、新しいビジネス言語を用いて作る必要がある。
クオータ制を導入する前に、まずは自分たちに見えていないものを明らかにしよう。
組織が有能な黒人を受け入れて育成し、高めていく準備が本当に整っているのか、見つめ直そう。もっと多くの黒人を(多くの企業でみられるような、低いポジションに配置するというものではなく)上級職に配属させる準備は整っているだろうか? 欲しい人材の補充という発想だけでなく、チーム全体にとって適した人材を見つけることができるよう(例えば現在のチームが全員白人ならば、多様な候補者を探すなど)、採用プロセスを見直しているだろうか? 黒人の出世を阻みかねないリーダーの偏向(黒人は能力が低い、管理が難しいといったナンセンスなもの)について、リーダー自身はきちんと認識できているだろうか?
二つ目は、BLMに対応させるための、人種問題に特化したアクティビストのチームを設けることだ。人種差別をめぐる議論を、D&I担当者と、抗議デモに便乗する活動家だけにリードさせてはならない。D&I担当者は、ダイバーシティ関連のプログラムを実施することは得意だろうが、組織から人種差別を撤廃することに責任を持っていたわけでも、そのような経験を積んできたわけでもない。ほんの1カ月前まではD&Iの管轄内だと考えられていなかったこの新しいアジェンダに、情熱を注ぐことができるのは真のアクティビスト達だけだ。
そして最後に、何百万もの人々に苦痛を与え続けている人種差別的なシステムがまだ残っているのならば、あらゆるリーダーはそれに風穴を開け始めることだ。私たちは(黒人女性で人事ディレクターである私ですらも!)これまで「人種問題という大きな課題の先送り」に加担し続けてきた。事を荒立てたり、攻撃的に見られたり、壊れたレコードのように同じことを何度も繰り返す人物だと思われることが怖くて、白人の同僚たちから攻撃されやすい状況を避けてきたのだ。
部門内で唯一の黒人が、このような議論を仕掛けるのは難しい。部門内の白人たちにとっても、辛い話題だろう。不平等な制度に消極的ながらも加担し続けてきたことを、自覚するのは難しいことだ。あるいは、自分自身の持つ偏見について、他者とオープンに共有することはさらに難しいだろう。自分たちや、広くコミュニティーのニーズにきちんと応えたプログラムを実現するには、双方にもっと勇気が必要なのだ。
構造改革のための試金石
新規採用者の2割以上を黒人やエスニックマイノリティーが占めるオリバーは、ダイバーシティの観点において他企業よりも進んでいるといえる(特に上級管理職など課題はまだある)。だが私がここで働いてきた3年間で、黒人に影響を及ぼすテーマが広告業界内でこれほど大きく取り上げられたのは初めてのことだ。私たちは、大多数の従業員は白人であるという事実を認識し、ミネアポリスで死亡した1人の黒人男性が引き起こした黒人たちの混乱、怒り、動揺に真摯に耳を傾けたのだ。
私たちは、従業員のサポートのために多くのことを実施してきたが、幾度となく浮かぶのは「十分にできているだろうか?」という疑問だ。残念なことに、この疑問に「はい」と答えられる企業は多くないだろう。だが私たちは、そう答えられるようになるつもりだ。
BLMが組織にもたらす新しい視点は、脅威ではなく機会だ。多様性に配慮した企業は業績も良いことを、我々は直感的に分かっている。BLMとD&Iの混同は、些細なことのように思えるだろう。だがこの変化を永続的なものにしていくには、まずここを正しく理解しておくことが重要だ。何をするべきかを知るためには、まず起こっていることを把握する必要がある。本腰を入れた構造改革のための重要な試金石を、今こそ見落としてはならない。
アミナ・フォラリン氏は、オリバーのグローバル人事ディレクター。
(文:アミナ・フォラリン、翻訳・編集:田崎亮子)