厚生労働省が10月に発表した「過労死等防止対策白書」を、日本のメディアはいまだに大きく取り上げている。その内容はまるでフィクションのようだ。日本の企業のほぼ4分の1で従業員が月80時間以上の残業をし、約12%の労働者の残業時間は月平均100時間を超えるというのだ。そして長時間労働を強いる企業の3分の1近くは、若者に就職先として人気の高いメディアやテクノロジー業界だ。ストレスや睡眠不足、過労など、勤務上の問題が原因で自殺した人々は2,159人に上っている。
最近行われた日本テレビ系列の番組の街頭インタビューでは、回答者の40%近くが適切に残業時間を記録していないと述べた。その主な理由は曖昧な社内ルール、所定時間内に仕事が終わらないことへのうしろめたさ、上司からの圧力などだ。労働問題に詳しい川人博弁護士は、問題の根っこはジレンマにあると指摘する。「会社から多くの仕事を任される一方、早く帰れと指示を受ける。根本的な矛盾です。労働者にしてみれば、仕事をほかの人に振って厳密に勤務時間を設定しても、この矛盾を解消するのは不可能です」。
起業家の堀江貴文氏はベストセラーとなった著書「99%の会社はいらない」の中で、日本の経済成長の歴史が今日の残業問題につながっていると説く。戦後、長期にわたる経済成長を果たした日本では、労働者は懸命に働けば国の経済が発展し、給料も上がると信じてきた。すでに「失われた30年」になろうかという今の低迷期、賃金は頭打ちになっても彼らは仕事をこなす以外に選択肢はないと感じており、残業代は貴重な収入となる。こうした状況では、キャリアパスと国の掲げる目標とはとても相容れない。
堀江氏は、国と個人が共に成功を収めることなど幻想にすぎないと指摘する。皆がそろって安定した仕事を求めようとするが、むしろその代償は大きいという。時間のかかる退屈な仕事がどんどん増える一方、その見返りであるはずの収入や成長機会は損なわれているのだと。「世の中には『忙しい、忙しい』と言っている人が多い。それは『他人の時間』に縛られているからにほかならない。『自分の時間』を生きていないからだ。もう会社に縛られない働き方を考えるときが来ているのではないか」。さらに同氏は、「今日のテクノロジーを活用すれば自分の好きな目標を積極的に追求し、仕事として成立させることもできる」という持論を展開する。
日本の保守的な労働慣行に反発して生まれた新しいテクノロジーもある。東京大学法学部卒の若き弁護士、南谷泰史氏は、一向になくならないサービス残業問題に取り組むため自ら起業した。同氏は、多くの日本企業が「定額残業代」や「フレックスタイム制」といった曖昧な言葉で、先進的な労働法の目をかいくぐっていると指摘する。同氏の立ち上げた「日本リーガルネットワーク」は、スマートフォンのGPS機能を用いてユーザーの位置情報から勤怠状況を記録するアプリ「残業証拠レコーダー」を開発。このアプリを使うと、ユーザーは月末に詳細な内訳が記された「残業代概算シミュレーション」を確認することができる。南谷氏が行った実証実験では、ユーザーが法的に受け取るべき残業代は、実際に支払われる残業代より数万円多いという結果が出た。労働時間の記録は同社サーバーにも保管され、ユーザーが残業代の不払いを訴える際には裁判での証拠になるという。
同社の岩田匡平氏は、このサービスは複雑な残業代の問題解決より、むしろ意識改革に重きを置いているという。「日本では、GDP成長のためにはサービス残業が欠かせないという思い込みがあります。しかし、イノベーションやクリエイティビティーは自由な時間や余暇の産物なのです。このまま長時間労働が続けば、日本は競争力を失ってしまうでしょう。政府やメディアはサービス残業の撲滅を訴えていますが、1人ひとりがこのアプリで集計した残業代の通知を毎月受け取るようになれば、問題の解決は加速すると我々は考えます」。
とは言うものの、リスクを避けたい平均的サラリーマンにとって、証拠を集めて訴訟を起こすような行動はあまりにも挑戦的すぎるだろう。日本最大のメガバンクである三菱東京UFJ銀行は、規則や労働条件面からのアプローチではなく、インセンティブの導入によって社員の行動を変える道を選んだ。今月、同行はイスラエル発のフィンテックベンチャー「ゼロビルバンク」が開発したバーチャル企業コイン「OOIRI」(オオイリ)を導入。このシステムは従業員の位置情報や勤務時間をモニターし、その働きに応じてOOIRIコインを付与するというもの。このブロックチェーン上の仮想通貨は近隣の飲食店で使用したり、社員間でやりとりしたりすることができる。
「残業証拠レコーダー」も「OOIRI」も、お金の力を動機づけとして活用し、社会や企業文化の変革を促そうというアクションだ。三菱UFJ銀行のプロジェクトマネージャーたちは、特定のプロジェクトがチームの育成にどのように貢献したかを査定し、それに応じたOOIRIコインを引き出す。社員は近隣の飲食店でOOIRIコインを使うことで、「職場」に対する概念が広がり、意識が高まる。さらに同僚の間でOOIRIコインをやりとりすれば、信頼関係を築き、チームワークに報いることができる。残業時間をきちんと残業代に反映させるのは、社員の努力を認めるだけでなく、残業がいかにコスト高で非生産的かを企業に認識させることにもなるのだ。
ここでもう一度、堀江氏が指摘した国家と個人の間の重要な相違について触れてみたい。紙幣を発行することが政府にとって経済の強さを示す手段であるならば、三菱東京UFJ銀行はOOIRIコインの活用を通じて職場の価値を見出そうとしていると言えよう。残業の削減は社員にとっての利であり、それによって彼らはワークライフバランスと成功型グローバルビジネスとの関連性を認識するようになるだろう。個人と組織の福利がようやく、金銭的なインセンティブという魔力によって再び不可分なものとなるのだ。
100年以上も前、社会学者のゲオルグ・ジンメルは著書「貨幣の哲学」の中で、人々が複雑な社会的相互交流という罠にはまるにつれ、選択肢は逆説的に多様化すると述べている。フィンテックは日本の個人と地域社会の絆や帰属意識を強め、仕事と遊びに対する誤った固定観念を正していくことだろう。
(文:オムリ・ライス 翻訳:鎌田文子 編集:水野龍哉)
オムリ・ライス氏はフラミンゴ東京オフィスのシニア・リサーチ・エグゼクティブを務める。