私はイスラム教徒で、マッキャン・マレーシアのコピーライターです。日本を愛してやまない、ミレニアル世代の一人です。
マレーシアにいる大半の子どもたちと同様、私も子ども向けのテレビ番組のマレー語吹き替え版(うっとうしく思うこともあるのですが)を通じて日本に触れました。ちょっと名前を挙げるだけでも、「ドラえもん」「宇宙刑事ギャバン」「仮面ライダーBLACK」「仮面ライダーBLACK RX」「ウルトラマン」「紅三四郎」「電脳警察サイバーコップ」「超新星フラッシュマン」「UFOロボ グレンダイザー」「燃えろアタック」などといった番組が、私の日本好きの原点となりました。
しかし、それでもまだ、本当の日本好きになるには不十分でした。
日本への愛が花開いたのが、2007年に初めて日本を訪れた時です。それ以来、私の日本への愛は強くなるばかり。オタクという視点からではなく、日本の何が私の心をとらえたのか、ここにいくつか挙げます。
1. 規律
もし、真に規律の上に繁栄している国があるとするならば、それは日本でしょう。私の理解によれば、日本ではとても幼い頃から、規律を教えられます。この価値観を子どもに教えることによって、子どもたちは独立心や思いやり、親切心を学ぶのです(多分これが、日本で幼い子が電車やバスに一人で乗っているのを見かける理由でしょう)。規律は、イスラム教徒にとって重要です。幼い頃に両親が私に教えてくれた2つの重要なことは、正しい礼拝の仕方と、コーランを読むことでした。この2点は、良いイスラム教徒になる上での基本です。礼拝を行い、コーランを理解することで、人生を正しい方向に、あるいは神に受け入れられる方向に歩むことができるからです。
2. 清潔さ
敬虔であることに次いで、清潔であることが重要です。清潔さは日本の人々の間に浸透しており、日本ではどこに行ってもトイレがきれいです。イスラム教徒にとって、自分たちの体をきれいに保つことはとても大切。礼拝の前には身体を清め、汚れや不純なものを取り除かなくてはなりません。イスラム教徒にとって、自分たちの体が汚れや不純なものにまみれていてはならないのです。ですから清潔さという点において、日本は私の心の中で特別な位置を占めているのでしょう。
3. 誠実さ
私の妻が一度、原宿のケンタッキーフライドチキンの店で眠ってしまったことがあります。1時間ほど眠ってしまって目を覚まし、自分の財布とスマートフォンをテーブルの上に置きっぱなしにしていたことに気付きました。彼女が驚いたのは、誰もそういった状況の彼女に付け入ろうとしなかった点なのです。周囲の人々は、自分のことだけに集中していた。これは、日本のもう一つの素晴らしい点です。人々は正直で、信頼できる。日本人はこの誠実さを守るためなら、何でもするでしょう。こういった特質がある場所はそう多くなく、これがまた日本が私を惹きつける点です。イスラム教徒にとって、人のものを奪うことはあってはならないこと。もしそんなことをすれば、神との関係を損なうからです。イスラム教徒として、われわれは正しい行いをするよう努めていかねばなりません。難しいことですが、とても重要なのです。
4. 共感
生活をもう少し便利なものにするという点で、日本はどこにも負けません。階段の手すりからコーヒーカップ、ナイフやフォークなど全てにおいて、日本では全てがきちんと機能するようできています。インスタント食品ですら、きちんとした食事ができるようと手順が示されています。生活をもっと快適なものにするという点で、日本では他者への思いやりがあるわけです。これがどんなに重要なことか、いくら強調しても強調し尽くせません。イスラム教徒として我々は、人々の背景を理解することが重要だと考えています。我々はそれぞれの信条や信仰を、それが何であれ理解し、非難してはなりません。他人の身になって考えることが、良いイスラム教徒であること。他人を判断することは、私たちのするべきことではありません。他の人々を理解し敬うことで、私たちイスラム教徒は調和を作り出すのです。
繰り返しになりますが、私の「日本愛」の対象は物理的なものだけでなく、日本の文化や価値観なのです。私はイスラム教徒のコピーライターとして、日本がより大規模にハラル製品・サービスを販売促進していけると明言できます。可能性は無限です。そして日本が、創造性を極限まで追求してクリエイティブな製品を作り続けていく限り、私も刺激を受け続けていくことでしょう。
アズライ・アズミ氏は、マッキャン・ワールドグループ・マレーシアのコピーライター。この記事は、イスラム圏のミレニアル世代と、彼らと日本との関係について個人的な見解をつづる連載の一環です。
(文:アズライ・アズミ 翻訳・編集:田崎亮子)