今や誰もが、「もうデジタル・エージェンシーは終わった」と言うだろう。すべてがデジタル化された時代だからこそ、「デジタル」という言葉を使うこと自体、周囲が見えていない証になってしまうからだ。
この言がやや誇張だとしても、「大手広告代理店がデジタルに特化した新会社を設立」というニュースは、2016年ではなくむしろ2006年に聞くべき話題、という感は否めない。
競合他社の多くが独立した事業会社を内部統合し、デジタルを中心に据えた展開を推し進める中、電通は完全に分社化した600人体制の組織を立ち上げる。「デジタル・ソリューション」部門を社内で少なくとも10年は運営してきたにもかかわらず、なぜ今、分社化なのか。
「確かに少々出遅れた感はあります。だが競争力を保っていくには、電通から独立しなければならないのです」
電通で30年のキャリアを積んだ新会社のCEO・大山俊哉氏はこう語る。
「今ならまだ、競合企業に追いつくことができます。ただし今やらなければ追いつけなくなる。グローバルなクライアントはすでにデジタル分野で先端を走っていますが、日本のクライアントはまだこれからです。そこに大きな商機を見ています」
大山氏が挙げた主な競合企業とは、「アクセンチュア」「デロイト」「IBM」といった経営コンサルティング会社や、「サイバーエージェント」「オプト」「セプテーニ」といったインターネットに特化した広告代理店。
こうした企業はまだ電通の売上を脅かすまでには到っていないが、業界の観測筋によれば「電通デジタルの使命は、その脅威を事前につぶすこと」。一方大山氏は、こうした企業とコラボレーションをしたり、提携を結ぶアプローチもあると考えている。
「企業体質」への挑戦
電通でクリエイティブ・プロセスの進化を担っているエグゼクティブ・クリエイティブ・ディレクターの佐々木康晴氏が指摘するように、大山氏も「電通ではテレビ広告が圧倒的に強く、新たな分野を切り開くのは容易ではない」と語る。
日本の広告費支出の伸びを支えるのは今やデジタルだが、電通の資料によれば同社の売上高の50%以上は今もテレビ広告が占めている。
「ですから、どうしてもテレビ広告枠の販売が優先される。新たな人材を採用しても、大概はテレビ関連の部署に配置されてしまいます。電通の中にいると、デジタル・マーケティングに専念することはとても難しいのです」と大山氏。
こうした状況は、往々にしてクライアントの懸念、ややもすれば疑念に直結する。ある意味、テレビによって築き上げられた「電通ブランド」の威光が、皮肉にも障害となってしまうのだ。
「電通はテレビ広告しか提案しないと思っているクライアントもいます。テレビ広告を売るために、テレビの方が効果があると思わせるデータだけを出すのではないか……とね」
電通の外に独立したデジタル・エージェンシーを設け、こうした懸念を払拭する。さらに、これまでのテレビ中心の事業モデルで柱とはならなかった、コンサルティングやプランニングといった分野からも収益を上げていくことが新会社の役割、と同氏は述べる。
また「電通イージス・ネットワーク(DAN)」とより密に連携し、データやプログラマティック・テクノロジーといった分野で世界を見据えたベストプラクティスを取り込んでいくという。
年功序列ではなく、能力主義で
新会社にとって明白な課題は、人材確保だ。当初は電通本体と子会社2社から集めた600人でスタートを切るが、大山氏はさらに400人を「競合企業や他分野から」採用したいと言う。
これは簡単なことではないだろう。そもそもデジタル分野では優秀な人材が不足しており、かつ彼らは広告業界に興味を示さなくなっているからだ。
電通デジタルでは、電通よりも柔軟な雇用形態を導入し、若手社員の育成と多様性の拡大を目指していく。電通では今も新卒で入社して長年勤務する社員が多いが、この慣行には弊害もあると大山氏は指摘する。同氏が電通特有のヒエラルキーを廃し、能力主義を取り入れようとしているのは注目すべき点だ。
「電通デジタルの社員の大半は、22歳から40歳までのデジタル・ネイティブ世代です。年功序列のイメージができてしまっては、若手の優秀な人材に魅力を感じてもらえませんから」
日本で働き方が変わってきていることに関しても、同氏は現実的で肯定的な意見をもつ。「3~4年に一度のサイクルで転職することは、決して悪いことだとは思いません。もっと前向きに捉えてもよいでしょう。私は電通で長年勤めてきましたが、一つの会社に長くいることはスキルアップに繋がらないと思うのです」
将来的に電通デジタルの社員が独立して起業することもあるだろうが、「もちろんそれでも構わない」。大切なのは己の方向性がはっきりしているかどうかで、やみくもに転職を重ねるだけでは40歳になっても本物のキャリアは育めない、と同氏は警鐘も忘れない。
大山氏の今の方向性は、至って明確のようだ。曰く、日本企業のテクノロジー面の進歩を加速させ、時代から取り残されないようにすること。「日々クライアントと接していると、デジタル・トランスフォーメーションが本格化し始めていることを実感します。クライアントからの期待値も高いので、是非この分野でお役に立ちたいと思っています」。
では、その成否はどのように測るのだろう。
「私は新会社の初代CEOになりましたが、いずれ40代の若手と交代したいと考えています。それが実現したときは、会社がうまく機能しているという証拠。子会社が親会社を追い越すという例は、他業界でもしばしば見られます。電通デジタルを、電通よりも大きく、強くしていきたい。でもこれは石井さん(電通・代表取締役社長)に言わないでくださいね(笑)」
(文:デイビッド・ブレッケン 編集: 水野龍哉)