日本の出生率の低さは、これまでさんざん論じられてきた。しかし原因の特定は難航している。話題に上るのはせいぜい、子どもを持たないという選択や、女性側の不妊症ぐらいであった。だが、男性側に原因がある可能性も、決して小さくないようだ。男性生殖医学の専門家である国際医療福祉大学病院の岩本晃明教授は、5月に行われたジャパンタイムズのインタビューで、日本では結婚しているカップルの約10パーセントが不妊問題を抱え、その原因の男女比はほぼ半分であると指摘。これは世界保健機関(WHO)の統計とも一致している。
これは扱うのが難しいテーマだ。不妊の原因が男性側にもあることの認識を広めることは容易ではない。だが一方で、ある企業にとってはビジネスチャンスや、社会貢献を通して世に知られる手段となり得るのも事実だ。人材派遣から生活関連商品まで幅広く事業を展開するリクルートは昨年9月、男性不妊の可能性をセルフチェックできるキット「シーム」を発表した。カップルにとって問題の有無を調べやすく、また大局的な視野に立てば、タブーを破り、誰もが不妊について話し合える環境作りを目指すものだ。
シームが始動したのは、単純な前提からであった。キャンペーンの立ち上げに携わった電通ヤング・アンド・ルビカム(電通Y&R)のクリエイティブ局局長、林慈郎氏は「不妊テストキットの分野は未開発」だと指摘する。「テストキットはいくつか存在しますが、使い方が難しかったり、正確な結果も得られませんでした」。競合商品には例えば、アダルトグッズブランドによる簡易的な観察キットや、検体を医療機関に郵送するサービスなどがある。シームは対照的に、顕微鏡レンズとスマートフォンを利用して、精子の濃度と運動率を簡単かつ正確に調べ、アプリで結果を知ることができるのだ。昨年9月に試験的にスタートし、実際のマーケティングは4月に始まったばかりである。
男性不妊はデリケートなテーマで、このことがコミュニケーションを難しくしていると林氏は認める。男性はきまりの悪さから検査を受けたがらず、パートナーも強く推せないのが実情だ。キットやキャンペーンは、それらを考慮して作られているという。「最初の壁は、男性をどう引き込むか。責任あるパートナーとしての第一歩を、男性に踏み出してもらうことが重要です」と、電通Y&Rのエクゼクティブディレクター、マイケル・アトキンス氏は語る。
男性不妊検査を取り巻く課題が明らかになったら、シームとの感情面でのつながりを構築し、心のバリア(障壁)を取り除くことが電通Y&Rの役割だとアトキンス氏は言う。キャンペーンの大半は、政府やこの領域の専門家の協力を得て実施されるPRだ。中でも、間もなく子どもが生まれるカップルがシームを使った体験談を語るオンライン動画は注目に値する。分かりやすい情報を提供するウェブサイトも、定期的に更新されている。
また、キットそのものが問題を解決するわけではないことを伝えるのも大切だった。「不妊に悩むカップルにとってシームは有意義ですが、あくまでも簡易測定ツールにすぎません。正しい処置を受けるためには、病院に行く必要があります」と林氏。「このコミュニケーション活動が目指すのは、男性が早期に病院に行くことを促し、処置にかかる時間と費用を減らすことなのです」
一方で、チェックの結果を受けて子どもを持たない決断をするカップルもいるだろうが、それも一つの選択だ。「不妊治療についてカップルが話し合える文化を形成したいのです。子どもを持つことも選択肢ですが、話し合いの結果として子どもを持たないという選択肢も、カップルにはあるのです」(林氏)
シームのキャンペーンは今年の「カンヌライオンズ 国際クリエイティビティ・フェスティバル」で高く評価され、モバイル部門のグランプリ(今回はこのキャンペーンのみが受賞)や、日本の作品では初となる「グラスライオン」(グラスはジェンダーの不平等に関連する作品のための部門)を受賞した。また、ビジネス面においても順調なようだ。シームはアマゾンジャパンのヘルスケアキットの中で、トップの売れ行きを記録したこともあったという。キットを利用した男性の33%は、結果を受けて医療機関の受診を決断したという。林氏によれば、シームのキャンペーンは現在も継続中で、今後も男性不妊治療に対する意識変化の調査を通じて、商品とこのテーマへの歓心を高め続けていきたいとのことだ。
(文:デイビッド・ブレッケン 翻訳:岡田藤郎 編集:田崎亮子)