デジタルの「浄化剤」
ブロックチェーンの大きな魅力の1つは、信頼性だ。このネットワークは元来ビットコインの取引のために開発され、完璧な透明性を誇る。1つひとつのアクション(ブロック)は記録され、ネットワーク内の全ての人々の活動は可視化。変更不可の記録(ブロックチェーン)を全員が共有できるのだ。
怪しい動きは即座に感知されるため、多くの人々がブロックチェーンを不正広告に対する「特効薬」とみなす。全米広告主協会(ANA)の推計によれば、2017年の広告業界の不正広告による被害額は約65億米ドルだった。
イーサリアム(Ethereum)共同創設者でブロックチェーン企業コンセンシス(ConsenSys)創設者であるジョー・ルービン氏は、「広告界は不正広告のせいでひどい状況にある」と話す。 「不正行為で既存のシステムから多額のお金を巻き上げている悪人たちが、数多くいるのです」。
こうした不正は、ブロックチェーン技術によって理論上不可能となる。これは多くの広告主にとって吉報だ。広告代理店の立場を代弁し、VML東南アジアで国際アドバイザリー部門の責任者を務めるオリバー・エリクソン氏は「ブロックチェーンによってプログラマティックは完全に終わりを迎えるという声もありますが、むしろデジタル広告のエコシステムの自浄化を促進するでしょう」と話す。
「ブロックチェーンは確実に破壊的革新をもたらします。が、だからと言ってプログラマティックが生まれた核心的理由を否定するとは思いません。むしろ自動取引エンジンを通じて、より効率性を高めるでしょう。プログラマティックを再構築する必要性が生まれることで、責任の所在がより明確な環境に適応できるようになるのです」
デジタル広告の世界でドメインの有効性を確認する試みは、アドチェーン(AdChain)によって既に行われている。アドチェーンはドメイン名をホワイトリストとブラックリストに分ける分散型ブロックチェーンレジストリだ。アドチェーンのトークン保有者は「トークンベースの台帳」を使い、広告界で最も信頼のおけるプレイヤーにリンクしようとする。レジストリ利用者の数が増えれば増えるほど、トークンの価値も上がるからだ。信用が置けないとみなされたドメインに、利用者は集まらない。
また、アドチェーンが提供するプラットフォーム、メタエックス(MetaX)はブロックチェーンを活用し、信頼性と透明性が高いアドインプレッションの検証やトラッキングの提供を目的とする。
ブロックチェーンベースのコンテンツプラットフォームを提供するヴーラー(Vuulr) CEOで元広告マンのイアン・マッキー氏は、「ブロックチェーンは不正を防止するだけでなく、業界のあらゆるステークホルダー(利害関係者)の間の透明性を高める」と話す。「誰もが今の状況に不満足で、確固とした『真実』を求めています。各自がそれぞれのトラッカーを導入し、それぞれの本当の数字を知りたいと望んでいるのです」。
更に同氏は、不正問題をすぐに解決しなければ「ブロックチェーンはプログラマティックを相手にしないかもしれない」と不穏な予測をする。ブロックチェーンはクリエイターやブランド、消費者を直接結びつけることができるからだ。
「広告業界の浄化に努めても、誰も望まないただクリーンなビジネスになるだけで、割の合わない結果に終わることもあり得ます」。
エリクソン氏も、「仮にプログラマティックがこの新しい秩序に適応しても大きな変革が起こる」という。「プログラマティックが完全に共用され、極めて効率の良い、文字通り単なる取引エンジンになるのではないでしょうか。今は非常に多くのアドテクノロジーのベンダー企業が個人データを活用し、消費者の獲得に懸命ですが、彼らの影響力は弱まっていくでしょう」
「妨害的広告」の終焉
ブロックチェーン現象と個人データに関し、更に特筆すべき点がある。既存の非分散型の秩序 ーー 広告代理店やパブリッシャー、銀行、保険会社などどのような企業のものであれ ーー に不信感を覚え、不当に利用されていると思い始めている人々が、こうしたシステムから逃れようとする動きが強まっているのだ。彼らは自分たちで管理できる、新たな分散型システムを求めている。
分散型の通貨やトークンを備えた透明性の高いブロックチェーンは、マーケティングやコミュニケーションの世界を揺るがすような、これまでにない大きな力を消費者に与える可能性がある。「その兆しはあった」とマッキー氏はいう。
「トラッキングをオフにできるブロックチェーンやアドブロッカー、ブラウザなどは、押し付けがましく不快で、妨害するような広告がやがて消える兆候を示唆しています。ブランドは兎にも角にも、『新たなゲームプラン』を学ばなくてはなりません」
こうした「デジタル自治」に対する欲求が行き着く先は、消費者が自分の個人データの管理を企業の手から奪い戻し、自分が望む広告だけを閲覧できる世界だ。コセンシスのルービン氏はこれを「分散型ワールドワイドウェブ」、あるいは「ウェブ3」と呼ぶ。
「それが実現すれば、ネットに個人情報が拡散し、フェイスブックのサーバーに記録されてマーク(・ザッカーバーグ)の金儲けに利用されるようなことがなくなるわけです」
eマーケターによれば、2017年の世界のデジタル広告支出のほぼ半分は巨大な消費者データを持つフェイスブックとグーグルに投下された。この事実を鑑みると、企業が所有するオンラインデータを通した現在の消費者向けデジタル広告システムが大きな打撃を受ける可能性は十分にある。
それがまだ先の話、と考えるのは間違いだ。既に変化は起きている。例えば、全ての広告とトラッカーをブロックする新しいブロックチェーンベースのブラウザ、ブレイブ(Brave)。ベーシックアテンショントークン( Basic Attention Token = BAT)を使用することで、ユーザーは自分たちがコンタクトしたい好きなパブリッシャーとマイクロペイメント(少額決済)が行える。
デイタム(DATUM)は、ユーザーがブロックチェーン台帳に全てのデジタルデータを匿名で安全に保管でき、自分の好きなやり方で(広告業界に当てはめれば、広告を出したいと考える広告主に)データをシェアしたり販売したりできる。
我々に身近なところでは、ジェットエイト( Jet8 )やインダハッシュ(IndaHash)といったインフルエンサーが利用する空間で、既に企業が独自の暗号通貨を導入し、インフルエンサーへの支払い手段としている。クリアコイン(ClearCoin)はリアルタイムでのブロックチェーンメディアの売買を可能にし、WPPやIPG、オムニコム、ピュブリシスグループなど大手代理店や主要ブランドなどと既に取引を行っているという。
こうした動きに対する明確な反対意見が、「ブロックチェーン技術はまだ決して一般的ではない」というものだ。これはユーザーアダプション(ユーザーにどれだけ選択してもらえるか)という、ブロックチェーンが抱える大きな課題につながる。
一般消費者にとって、ブロックチェーン技術のほとんどは曖昧で分かりにくい。「自分のデータをもっと自分で管理できる魔法のような新しいシステムに非分散型サービスから移行するには、まだ心理的に大きな障壁がある」とエリクソン氏。
今日の消費者にブロックチェーンへの理解が著しく欠けていることを考慮すれば、異なる目的に使われる多くのトークンからなる「デジタルウォレット」に消費者が参加し、使いこなすようになるまでにはまだ越えなければならない大きな難関がある。それをよく理解するルービン氏は、「ブロックチェーンが本格的に取り入れられるには、更に大きな『衛生的要因』を解決しなければならない」と話す。
「これらは良い方向に進んではいるものの、ユーザーエクスペリエンスや信頼性をもっと十分なものにする必要があります。消費者が個人データやトークンを紛失するような事態は招いてはならないのです」
この点も、まだブロックチェーンがフェイスブックやグーグルの終焉をもたらす脅威になっていない所以だ。両社が影響を受けるのは間違いないだろうが、「それぞれ賢い企業ですから、何らかの形でブロックチェーンに関わって順応していくでしょう」とマッキー氏。
いずれにせよ、ブロックチェーンが広範に利用されるようになるのは時間の問題だろう。コンピューターのスクリーンにクレジットカードの番号を打ち込み、クリックするだけでショッピングができるなどと誰も想像しなかったのは、それほど昔の話ではないのだから。
「ブロックチェーンは最終的に、広く消費者に受け入れられるでしょう」とエリクソン氏。「こうした『自治アイデンティティー』システムは、いずれフェイスブックのログインのような機能を持つようになる。しかしいずれにせよ、あらゆる『魔法』がブロックチェーンに備わるのです」。
では、やはりこれは広告業界の終末につながるのだろうか。そう結論づけるのはまだ時期尚早だ。広告業界も対策に乗り出している。例えば先月、米国でスタートした「アドレッジャー・コンソーシアム(AdLedger Consortium)」。デジタル広告サプライチェーンにブロックチェーン技術の適用を目指す組織で、メンバーにはグループエムやIPGメディアブランズ、ピュブリシスメディア、ウェイブメーカー(Wavemaker)などが名を連ねる。
エリクソン氏は、「まず解決せねばならない課題は、業界内の巨大な知識の格差の解消です」と話す。また、より多くの代理店やブランドが「来るべき変革を受け入れる姿勢を打ち出すことも重要」。
マッキー氏は広告業界、特にブランドにとっての課題はより根本的なものだいう。「これまで彼らは管理力や影響力はお金で買えるものと思ってきました。今後必要なのは、そのお金を信頼され卓越した存在になるために使わなければならない、という認識なのです」。
(文:ファイーズ・サマディ 編集:水野龍哉)