十分過ぎるほどの「助走期間」を経て、Spotify(スポティファイ)がついに日本でのサービスを開始した。料金プランは広告が表示される無料版と、広告なしで月額980円(約10ドル)のものの2種類。カラオケ好きには嬉しい歌詞の表示もある。まずはベータ版として、「招待コード」を受け取ったユーザーだけがエントリーできる方式を導入した。
日本の音楽市場は年間売上30億米ドル(10年前の50億ドルからは減少)で、世界第2位。だがSpotifyの参入は遅れていた。日本ではすでにアマゾンのプライムミュージックやアップルミュージック、さらに国内ブランドのAWA(アワ)、ラインミュージックといった名の通ったブランドによる有料ストリーミングサービスが先行している。無料コンテンツを提供するユーチューブも、間接的ではあるが強力なライバルだろう。
市場の可能性
とは言っても、日本の音楽ストリーミング市場はまだ軌道に乗っておらず、開拓すべき余地はたくさんある。市場調査会社eマーケターによれば、日本のスマートフォン利用者で音楽ストリーミングサービスを使ったことのある人は約4分の1に過ぎない。
日本では依然CDの人気が高く、音楽ストリーミングが振るわないのはそのせいだと言う関係者もいる。国内音楽市場でCDが占める売上の割合は、実に80%以上。この途上国のような現象は不可解に映るが、米国ではすでに「時代遅れの代物」であるタワーレコードは今でも日本で85店舗を運営している。
しかしeマーケターの調査からは、音楽ストリーミングが振るわないほかの理由が見えてくる。まず、料金が手頃ではないこと。競合各社がいずれも無料お試し期間から有料サービスに移行させる方式を取ったのに対し、Spotifyは常時無料のプランと有料プランを並行させている点が特徴的だ。電通デジタルプラットフォームセンターの坂田雄馬氏は、「Spotifyは日本で初めての『フリーミアム』モデルの音楽サービス。他社のサービスより多くのユーザーが興味を持つのではないでしょうか」と言う。ほかにも提供する楽曲の幅広さや音質、プレイリストの機能性といった点が、当然ながら他社より優れているとeマーケターは指摘する。
原宿に拠点を置くクリエイティブエージェンシー、ウルトラスーパーニューの共同創業者マーク・ウェセリング氏はSpotifyの将来を楽観視するが、結局のところ「提供する楽曲をどれだけ増やせるか、に尽きるでしょう」。日本の音楽市場は非常に細分化されており、常に慎重な姿勢を崩さないレコード会社との交渉はひと筋縄ではいかないだろう。
「どこのサービスも全ての楽曲をカバーするにはまだまだ、というような状態です」と言うのは、東京を拠点とする音楽ビジネスコンサルティング会社ミュージック・ソリューションズの社長セバスチャン・マイヤー氏。Spotifyは4,000万を超える楽曲を提供するというが、「まだそれでは甘いでしょう。サービス開始に必要な、最低限の楽曲数を揃えたに過ぎない」。
日本の音楽ファンの85%は国内アーティストを好む。マイヤー氏は各社共通の課題について、「常に最新ヒット曲を確保し、幅広いアーティストを取り揃えること。あるとき視聴できたものが翌日にはできなくなる、といった現状を変えなければ成功は望めません」と指摘する。しかし一方で、ほとんどが海外アーティストの楽曲で占められているアップルのiTunesが比較的成功を収めていることも否定しない。
「啓発」とローカライズ
日本でストリーミングサービスの普及を図るには、潜在的ユーザーの啓発が大いに必要だろう。多くの市場では、CDからiTunesのようなダウンロードサービスへの段階を飛び越してストリーミングに突入した。日本はまだその移行プロセスにある。25歳以下の音楽ファンにはストリーミングの利用者が多いが、ユーチューブのコンテンツから何げなく入手した非正規のアプリケーションサービスを使っているケースが多く、収益化にはつながっていない。
Spotifyの名は日本の音楽業界ではよく知られているが、「ほとんどの一般消費者にとっては謎の存在でしょう」と言うメイヤー氏。招待コードを持ったユーザーだけにエントリーを認める同社の戦略には、ビデオストリーミングのHulu(フールー)のアプローチ同様、じっくり浸透させたいという意図が感じられる。「テレビ広告や屋外のアクティベーションを大々的に展開してデビューしたのに、その後すっかり鳴りを潜めてしまったグーグルプレイミュージックとは対照的です」と同氏。
充実した楽曲数と明確なブランドポジショニングに加え、機能面で日本市場のニーズ(必ずしも他の市場と同じとは限らない)に応えて自社を差別化する戦略が、最終的にはSpotifyに必要となってくるだろう。同氏は「日本はいつも独自の世界で、サービスのローカライズが不可欠となる場合が多い」と言う。プレイステーションミュージックにコンテンツ配信するためソニー・プレイステーションと提携したことや、モバイル・カラオケの歌詞などが同社にとってのその第1歩だ。
同社の参入によって、競合各社も広告型サービスに乗り出すかどうかは定かではない。「音楽ストリーミングの広告効果には疑問がある」と言うメイヤー氏。「日本にはドライブ文化がなかったこともあり、以前からラジオ市場は強くありませんでしたから」。
オーディオ広告の先駆者となるか
メイヤー氏とは全く異なる見方をする向きもある。電通はオンラインラジオと音楽ストリーミングの成長を見込んで、4月にプログラマティックオーディオサービスを立ち上げた。その際同社は、「日本にはデジタルオーディオ広告のメソッドが1つとして確立しておらず、まだ初期段階にある」とコメントしている。
坂田氏は、「広告的観点からすると、Spotifyの広告は時間や場所を問わず音楽を楽しみたいユーザーに対して、非常に見やすいフォーマットで表示される。電通は、Spotifyが日本市場でデジタルオーディオ広告のパイオニアとなってくれることを期待しています」と述べる。
ウェセリング氏は、Spotifyのプラットフォームは検討に値すると評価する一方、無料版に表示される広告はユーザーから「煩わしいと思われるのではないか」と疑問を呈する。コマーシャルメッセージに対する人々の許容度は、「状況に応じて変わる」というのだ。「自宅では広告のないプレミアムサービスを選び、BGMのエンターテインメントのように使われるオフィス環境では、広告が入ってもそれほど気にしない。そんな傾向があると思います」。
マインドシェア・ジャパンでストラテジーのヘッドを務めるリンドン・モラント氏は、パーソナライズしたメッセージを大規模に配信できる潜在力にSpotifyの価値を見出す。「広告媒体として力を発揮できるかどうかは、リアルタイムの消費者行動に即したプランニング次第でしょう」。同氏はまた、Spotifyとツイッターの関係にも注目する。「両社がデータとターゲティングを組み合わせれば、クロスプラットフォームのプランニングの可能性は間違いなく高まります」。
さらに同氏はマーケターにとっての課題として、あるバンドやジャンルが特定の時間に人気を伸ばす理由の解明、将来何が人気になるかという予測、視聴体験の質の向上につながる企画を打ち出すことなどを挙げる。
Spotifyのユーザー数は世界全体で無料版が約6,000万人、有料版が4,000万人。まだ利益は出していないものの、時価総額は80億ドルに達する。日本での成功は、来年に予定されている新規株式公開に向けて重要な布石となるだろう。
(文:デイビッド・ブレッケン 翻訳:鎌田文子 編集:水野龍哉)